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最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 翡翠


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18/41

第18話 最凶公爵令嬢は、整えて来る相手を待つ

 放課後の空気は、昼までとは質が違った。


 王立アルディオン学園では、講義が終わると人の輪郭が少し変わる。授業中は“生徒”として同じ箱に収まっていた者たちが、放課後になると家格、学科、実力、派閥、興味によってそれぞれ別の顔へ戻っていくのだ。


 セレスティア・ヴァン・グランフェルは、その変化を嫌いではなかった。


 建前が剥がれる分だけ、見やすくなるからだ。


 教室を出ると、案の定、視線が追ってきた。


 午前のディルクとのやり取りは、休み時間のうちに一年一組の全員へ浸透している。三年騎士科の上級生が教室へ来て、あれだけ明確に手合わせを求め、セレスティアがそれを“今は価値が薄い”と切って捨てたのだ。噂にならない方がおかしい。


「お嬢様」


「何かしら」


 廊下を歩きながら、ルークが低く言う。


「本日は、一段と面白がられております」


「ええ」


「恐れられているというより、何かが起きることを期待されている空気です」


「下品ね」


「まったくでございます」


 セレスティアは少しだけ目を細めた。


 人は、手の届かない強者そのものより、強者がぶつかる瞬間を見たがる。そこに生じるひびや熱を、遠巻きから安全圏で眺めたがる。そういう意味では、今の自分とディルクは学園にとってちょうどいい見世物の種なのだろう。


 だが、それ自体はどうでもいい。


 重要なのは、ディルクが本当に整えて来るかどうかだ。


 中央棟から渡り廊下へ差しかかった時、前方の柱の影に見覚えのある姿があった。


 レオン・ハルヴェイン。


 二年騎士科の制服を着たまま、壁にもたれず、しかし待ち伏せが露骨にならない位置で立っている。ああいう立ち方をする時点で、やはりこの男は雑ではない。


 セレスティアは歩みを止めない。


 レオンもまた、適切な距離まで引きつけてから静かに口を開いた。


「少しだけ、よろしいですか」


「内容によるわ」


「でしょうね」


 彼は苦笑めいた息を漏らす。


「長くは取りません」


「どうぞ」


 ルークが半歩だけ位置をずらす。レオンの進路も、周囲の通路も見える位置だ。護衛としての間合いは崩れない。


 レオンは回廊の先を一度だけ確認し、それからまっすぐセレスティアを見た。


「ディルク先輩、本気で来ます」


 前置きはなかった。


 だが、その短い一言だけで十分だった。


「そう」


 セレスティアは静かに返す。


「やっぱり、ね」


「ええ」


 レオンの声音も静かだ。


「今朝のやり取りで、先輩はかなりはっきり自覚したはずです。あなたが“ただ強い相手”に反応しているわけじゃないことを」


「苛立ちを見られたから?」


「それもあります」


「それだけではないわね」


「ええ」


 レオンは頷いた。


「先輩は、自分が雑に扱われるのはまだ耐えられます。でも、自分の剣そのものを“整っていない状態のものとして見切られた”のは、かなり響いている」


 セレスティアはわずかに口元を上げた。


「繊細なのね」


「剣を主軸にしている人間ほど、そこはそうなります」


「あなたも?」


「……否定はしません」


 その間が、少しだけ面白かった。


「それで」


 セレスティアは問う。


「あなたは何を伝えたいのかしら。ディルク先輩が本気で来ることそのもの? それとも、私に受けるなと言いたいの?」


 レオンはすぐには答えなかった。


 その短い沈黙に、本音と整理の両方が混じっているのが分かる。


「どちらでもありません」


「では?」


「あなたが受けるなら、今度は“見るべきもの”になると言いたいんです」


 その言い方に、ルークの気配がわずかに変わる。


 警戒ではなく、評価寄りの変化だ。


 レオンは続ける。


「今までは、先輩があなたを面白がっていた。あなたも先輩を面倒な上級生として見ていた。けれど次は違う」


「ええ」


「互いに、相手がどういう種類の人間かをもう少し知っている。その上で向き合うなら、ただの挑発では終わりません」


「でしょうね」


 セレスティアは頷く。


 それは自分でも分かっていた。


 苛立ちを指摘した時点で、ディルクは次にそこを整えて来る。もし本当に正面からやりたいと思っているなら、感情で濁らせたままは来ない。


 そういう相手なら、見る価値がある。


「あなたは、受けてほしいの?」


 セレスティアがそう聞くと、レオンは一瞬だけ目を細めた。


「……見たい気持ちはあります」


「正直ね」


「ですが、それだけでもありません」


「続けて」


「あなたが受けるなら、先輩も手を抜かない。逆にあなたが断り続ければ、別の形で測ろうとするかもしれない」


「例えば?」


「公開の場で追い込む。人を使う。話題を作る」


 リカルドのような安い上級生の顔が、セレスティアの脳裏を一瞬よぎる。


「なるほど」


「先輩はああいう小細工を好む人ではありません。でも、目的のためなら盤面は使う」


「雑なのに?」


「雑な人ほど、必要な時だけ妙に手際がいいこともあります」


 それは妙に的確な表現だった。


 ディルクは整ってはいない。だが、雑だからといって鈍いわけではない。むしろ、雑に見えることで相手に油断を誘う類ですらあり得る。


「お嬢様」


 ここでルークが口を開いた。


「確認ですが」


「何」


「ハルヴェイン先輩は、あくまで観測者として助言しているのか、それとも今回は少し踏み込んでおられるのか」


 問いは静かだが、鋭い。


 レオンはそれを正面から受けた。


「踏み込んでいる自覚はあります」


「理由は」


「ディルク先輩が本気になるなら、周囲も巻き込まれるからです」


「周囲とは」


「騎士科、見学者、教師、そして」


 レオンは一瞬だけセレスティアを見る。


「あなたの周囲も」


 ルークはそれ以上追及しなかった。


 代わりにセレスティアが口を開く。


「つまり、あなたはこう言いたいのね」


「ええ」


「私が受けるかどうかを、自分の意志で早めに決めた方がいい。そうでないと、ディルク先輩の土俵で勝手に形が作られるかもしれない」


「その通りです」


「悪くない整理ね」


 セレスティアは率直にそう言った。


 レオンは少しだけ肩の力を抜く。


「伝わったなら良かった」


「でも、一つ訂正しておくわ」


「何でしょう」


「私は最初から、自分の意志以外で決めるつもりはないの」


「……ええ、そうでしょうね」


「だから、形を作られる前に決めた方がいい、というのはその通り。でも、急かされて決める気もないわ」


 レオンは頷いた。


「それも分かっています」


「本当に?」


「分かっているから、今この程度の言い方で来ています」


 その返しに、セレスティアはほんの少しだけ笑った。


「そういうところは嫌いではないわ」


「二度目ですね」


「覚えていたの?」


「忘れる方が難しいです」


 ルークがごく僅かに視線を逸らす。咎めるわけではないが、その会話をそのまま流すつもりもない顔だ。


「それで」


 セレスティアは話を戻す。


「ディルク先輩は、いつ来ると思う?」


「早ければ明日」


「遅ければ?」


「二、三日以内でしょう。熱があるうちに形にしたがるはずです」


「なるほど」


 セレスティアは回廊の窓から外を見た。


 訓練場の屋根が夕光を受けている。風は穏やかだ。だが、その穏やかさが逆に、近いうちに何かが起きることを際立たせていた。


「受けるなら、公開の場がいいわね」


 独り言のように言うと、レオンの眉がわずかに動く。


「最初からその想定ですか」


「ええ」


「なぜです」


「変な余地が減るもの」


 セレスティアは淡々と答える。


「閉じた場所でやれば、後でいくらでも話を盛られるでしょう。公開なら、少なくとも見た者の数だけ基準が残る」


「たしかに」


「それに、あなたたち騎士科は“見せる場”の意味を知っているのでしょう?」


「ええ」


「なら、半端な整え方では来ないはずよ」


 レオンは数秒、黙ってセレスティアを見た。


 その沈黙は驚きというより、少しの納得に近かった。


「あなた、本当に戦う前から盤面を見ているんですね」


「今さらでしょう」


「ええ」


 レオンは小さく笑う。


「本当に、今さらでした」


 そこで会話は一つ区切れた。


 これ以上長引かせると、また別の意味がつく。レオンもそれを分かっている。


「伝えることは以上です」


「分かったわ」


「では」


「ええ」


 レオンが一礼する。


 だが去る直前、ほんの少しだけ言い淀む気配があった。


「まだ何か?」


 セレスティアが問うと、レオンは視線を逸らさずに言った。


「個人的には」


「ええ」


「あなたが受けるなら、見たいです」


 短い沈黙。


 それは好意の告白でもなければ、無責任な野次馬の熱とも違う。純粋に、価値のある対峙として見たいという本音だった。


 セレスティアはそれを理解した上で、ほんの少しだけ顎を引いた。


「そう」


「ええ」


「なら、期待しすぎないでおきなさい」


 その返答に、レオンはわずかに口元を緩めた。


「努力します」


 去っていく背中を見送ってから、ルークが口を開く。


「お嬢様」


「何かしら」


「かなり整っておられるようでいて、あの方も少しずつ本音が出ております」


「ええ」


「いかがご覧になりますか」


 セレスティアは少しだけ考えた。


「やっぱり悪くないわね」


「ハルヴェイン先輩が」


「ええ。少なくとも、自分が見たいものを誤魔化さない」


「たしかに」


「だからこそ、まだ信用はしないけれど、話す価値はあるわ」


 ルークは静かに一礼した。


「承知いたしました」


 最凶公爵令嬢は、整えて来る相手を待つ。

 ただし、待つのは受け身だからではない。

 相手がどこまで本気で、自分の乱れを削って来るかを見るためだ。


 ディルクは近いうちに来る。

 しかも今度は、本気で来る。


 それは面倒で、同時に悪くない話だった。


 そして翌日。

 騎士科の訓練場前で、

 ディルクは本当に“整えた顔”でセレスティアの前に立つことになる。


 その時、彼が差し出してくるのは挑発ではない。

 正式な申し込みだ。

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