表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最凶公爵令嬢は王家にも頭を下げない  作者: 玉響すばる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/41

第15話 最凶公爵令嬢は、陰口ごと切り捨てる

 その日の夕方、王立アルディオン学園の空気は妙に乾いていた。


 春の終わりに差しかかった風はまだ冷たくはない。だが、校舎の石壁に反射する夕陽の色だけがやけに鋭く、長く伸びた影の中に人の感情を濃く沈ませているようだった。


 セレスティア・ヴァン・グランフェルは、本棟西側の回廊を歩いていた。


 今日の講義は終わっている。寮へ戻る前に、図書室で確認したい資料が一つあった。王国建国期の地方軍制に関する記述で、昨日の政治学の講義中に少し違和感を覚えたからだ。


 頭の中では、まだ先ほどのレオン・ハルヴェインとの会話が整理されていた。


 ディルクは正面からだけでは来ない。

 レオンはそう見ている。

 セレスティア自身も同感だった。


 あの手合いは、相手を試す時、真正面の勝負だけで満足しない。崩れ方を見たがる。つまり、剣でなくてもよいのだ。空気でも、噂でも、人間関係でも、相手の姿勢が崩れるなら、それは十分な観察対象になる。


「お嬢様」


「何かしら」


 ルークが半歩後ろから静かに声をかける。


「少々、人の流れが不自然でございます」


「ええ」


 セレスティアも気づいていた。


 西側回廊は、この時間なら本来もっと静かだ。だが今は、人がいないのではなく、意図的に“いなくなっている”空気がある。少し前まで誰かがいて、だが今は角の向こうへ引いた。そういう種類の空白だ。


 そして、その空白の先から聞こえてきた。


「――だから言ったんだよ。あの女、頭がおかしいって」


 男の声。


 若い。おそらく一年か二年。


 もう一つ、少し笑いを含んだ別の声が続く。


「でも、あれだけ王子殿下や上級生に目をつけられて、逆にいい気になってるんじゃないのか?」


「気取ってるだけだろ。強いとか何とか言われてるけど、結局は公爵家の娘ってだけだ」


「それにクロイツ様まで変に関わってるのが意味分からないよな」


「利用価値があるんじゃないか? どうせああいうのって、持ち上げれば勝手に気持ちよくなるだろ」


 セレスティアは足を止めない。


 だが、ルークの気配だけが一段冷えた。


 角を一つ曲がれば、声の主たちは見える位置に出る。


 おそらく相手は、こちらが聞いていると思っていない。あるいは、半分は聞かせるつもりで言っている。どちらにしても安い。


 角を曲がる。


 そこには男子生徒が三人いた。


 一年の制服が二人。二年が一人。壁際に寄りかかるように立ち、さっきまで随分気安く人の品定めをしていたらしい。


 セレスティアの姿を見た瞬間、三人とも目を見開いた。


 完全に想定外だった顔だ。


「……続けなさいな」


 セレスティアは立ち止まり、静かに言った。


「面白い話をしていたのでしょう?」


 沈黙。


 一年の男子のうち一人が、青ざめたまま一歩下がる。もう一人は虚勢で立とうとしているが、喉が引きつっていた。二年の男子だけが、遅れて表情を整える。だが遅い時点で三流だと分かる。


「な、何のことですか」


 その二年生が言った。


 ルークの気配がさらに冷たくなる。だがセレスティアは動じない。


「聞こえていたのよ」


「誤解では?」


「便利な言葉ね、誤解って」


 セレスティアは相手を順に見た。


「私が頭がおかしい。気取っている。公爵家の娘ってだけ。持ち上げれば勝手に気持ちよくなる」


 淡々と復唱するたび、三人の顔色が悪くなる。


「だいたいその辺りだったでしょう?」


「……」


「それで?」


 セレスティアは首を傾げた。


「面と向かっても言えるの?」


 二年生の男子が、ようやく体勢を立て直そうとした。


「別に、陰口のつもりで言ったわけじゃ――」


「では何?」


「その……噂を話していただけです」


 その返しに、セレスティアは少しだけ笑った。


「逃げ方が安いわね」


 その一言が、綺麗に刺さる。


「自分の言葉に責任を持てないなら、最初から口を開かなければいいのに」


「っ……!」


「噂を話していただけ?」


 セレスティアは一歩だけ近づいた。


「あなたたちの言葉には、驚くほど中身がない。自分で見たことより、人から聞いた熱で喋っているだけでしょう」


 二年生が歯を食いしばる。


 図星だ。


「でも、そういう人間ほど、自分は空気を読んで話しているつもりなのよね。責任を取る気もないくせに」


 一年の男子の一人が、耐え切れず声を上げた。


「じゃあ何ですか! 皆そう思ってるってことですよ!」


 空気が変わる。


 ようやく、本音に近いものが出た。


 セレスティアはその男子を見た。


 顔は幼い。怒りというより、焦りに近い赤さが出ている。周囲の熱に押されて、自分も乗ったのだろう。主体性は薄い。だからこそ扱いやすいし、だからこそ浅い。


「そうでしょうね」


 セレスティアはあっさり言った。


「別に、私は好かれようとしていないわ」


 予想外の返答だったのだろう。


 男子が一瞬、言葉を失う。


「怖いと思うのも、面倒だと思うのも、関わりたくないと思うのも自由よ。でも」


 彼女は視線を三人へ流す。


「だからといって、安い場所で集まって、人の価値を勝手に決めていい理由にはならないでしょう?」


 二年生が苦々しく言う。


「……別に、あんたの価値を決めたつもりは」


「決めているじゃない」


 即答。


「強さも家も人間性も、全部“どうせこうだ”で片づけていたでしょう。それを価値づけと言わずに何て呼ぶの?」


 誰も返せない。


 言葉がなかった。


 セレスティアはそこで、完全に切るように言う。


「陰で好き勝手言うのは構わないわ。どうせ、そういう人間はどこにでもいるもの。でも、せめて自分の目で見た範囲だけで話しなさい」


「……」


「見てもいないものまで知った顔で喋るから、薄っぺらいのよ」


 廊下の空気が、妙に澄んでいる。


 夕陽が窓から差し込み、三人の顔色の悪さまで照らし出していた。


 その時だった。


「随分と景気の悪い顔をしているじゃないか」


 別の声がした。


 低く、少しだけ笑いを含んだ男の声。


 視線を向けると、回廊の先から二人の男子生徒が歩いてくる。


 一人はレオン・ハルヴェイン。


 もう一人は、昨日の公開模擬戦でセレスティアへ声をかけた三年生、ディルクだった。


 タイミングが良すぎる、とセレスティアは思う。


 偶然か。半偶然か。あるいは初めからどこかで見ていたか。どれでもあり得る。


「ハルヴェイン先輩……ディルク先輩……」


 二年生の男子が顔を強張らせる。


 上級生の格が違うのだろう。露骨に動揺が出る。


 ディルクは三人を一瞥し、それからセレスティアへ視線を移した。


「何だ、公爵令嬢殿。今日は剣ではなく舌で切っていたのか」


「今さらでしょう」


 セレスティアは平然と返す。


 ディルクが笑う。面白がっている顔だ。


 レオンは三人の男子を見た。


「何を言ったのかは知らないが」


 声は静かだった。


「相手を選ばないと、次はもっと痛い目を見るぞ」


 それだけだった。


 怒鳴りもしない。脅しもしない。だが、その一言で三人の顔色がさらに悪くなる。


 二年の男子が慌てて頭を下げた。


「し、失礼しました……!」


 そのまま三人とも、逃げるように去っていく。


 足音が遠ざかるのを見送りながら、ディルクが肩を竦めた。


「つまらん連中だな」


「そうでもないわ」


 セレスティアが言うと、ディルクの目が細くなる。


「ほう?」


「ああいうのは、どこにでもいるもの。だから価値があるのよ」


 レオンがわずかに首を傾げる。


「価値?」


「ええ。人の質を見るにはちょうどいいでしょう」


 セレスティアは淡々と続けた。


「誰が乗るか。誰が止めるか。誰が見ているだけか。ああいう安い陰口ひとつで、周囲の人間の程度が見えるもの」


 ディルクが声を立てずに笑う。


「面白い見方をする」


「そう?」


「普通は不快になる場面だ」


「不快よ」


 セレスティアはあっさり認める。


「でも、不快だから価値がないとは限らないでしょう」


 その返しに、ディルクの瞳に熱が宿る。


 明らかに面白がっている。


 レオンは少しだけため息に近い息を漏らした。


「やはり、そう来ますか」


「何が?」


「普通に慰める気が失せる返答です」


「頼んでいないわ」


「ええ、でしょうね」


 短いやり取りの中で、ルークは一言も挟まなかった。


 ただし、その視線はディルクに寄っている。レオンにはまだ一定の保留があるが、ディルクに対しては明確に警戒が強い。


「で」


 セレスティアが問う。


「二人とも何?」


 ディルクが先に笑った。


「通りかかっただけだ」


「嘘ね」


「半分はな」


「残り半分は?」


「お前がまた何か起こしていないか、少し気になった」


 ひどく正直だった。


 レオンが横で小さく眉を寄せる。


「先輩」


「何だ」


「それをそのまま言うから、警戒されるんです」


「今さらだろう」


 セレスティアはそのやり取りを見て、少しだけ口元を上げた。


 レオンは整っている。

 ディルクは雑だ。

 だが雑なりに、少なくとも嘘だけで塗り固める男ではない。


「あなたたち、ずいぶん暇なのね」


「暇ではない」


 ディルクが即答する。


「ただ、お前は退屈しのぎにはちょうどいい」


「安い口説き文句ね」


 今度はレオンがほんの少しだけ目を閉じた。


「お嬢様」


 ルークが低く言う。


「そろそろお戻りになった方がよろしいかと」


「ええ」


 セレスティアは頷いた。


「では、先輩方。ごきげんよう」


「もう終わりか?」


 ディルクが言う。


「何か不満?」


「少しは」


「知ったことではないわ」


 その返答に、ディルクが笑う。


 気を悪くしたのではない。むしろ、余計に興味を持った顔だ。


 レオンはそんな先輩を横目で見てから、セレスティアへ視線を向けた。


「お気をつけて」


「何に?」


「今日は、見えている敵意でした」


 レオンの声は静かだった。


「次は、もっと見えにくいかもしれません」


 セレスティアはその言葉を受け止め、ほんの僅かに頷く。


「覚えておくわ」


 それだけ返して、歩き出す。


 ルークが半歩後ろへ続く。


 ディルクの視線が背中へ刺さるように残っているのが分かった。レオンはそれより静かだが、確実に見ている。


 回廊を曲がり、人の気配が遠のいたところで、ルークが口を開く。


「お嬢様」


「何かしら」


「本日は、随分と賑やかでございました」


「ええ」


「ハルヴェイン先輩とディルク先輩、いかがご覧になりますか」


 セレスティアは少しだけ考えた。


「レオンは、やっぱり嫌いではないわ」


「ええ」


「ディルク先輩は面倒ね」


「かなり」


「でも」


 セレスティアは窓の外へ目を向けた。夕暮れの空が、薄く紫を混ぜ始めている。


「価値はあるでしょう」


 ルークは静かに一礼した。


「承知いたしました」


 最凶公爵令嬢は、陰口ごと切り捨てる。

 そして切り捨てた先に現れた相手すら、

 敵か味方かではなく、

 まず価値があるかどうかで測る。


 盤面はまた少し動いた。


 安い敵意。

 それを見に来る上級生。

 それを止めるでもなく、見守る者。

 そのすべてが、少しずつセレスティアの周囲へ集まってくる。


 そして翌日。

 その盤面に、

 今度は最初から“学園の外”の色を帯びた話が差し込まれる。


 送り主は王族ではない。

 だが、王族以上に面倒な可能性を秘めた相手。


 グランフェル公爵家と、

 学園の外側にある政治が、

 初めて正面から接続されることになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ