机上の空席推理.3(完)
隣接する市、彩出市の喫茶クレイジィを訪れた黒川。目的は、月に一度の恒例行事となっている、現役大学生作家「杏菜」さんとのお茶だ。今回も、彼女から小説のアイディアになるような変わった出来事はなかったかと尋ねられ、黒川は南川にある喫茶店「紅挽館」で起こった、『空席があるのに相席を案内された』出来事を話す。解決編です。
空席に飾られた写真立てが示すこと。俺と杏菜さんは僅かな時間沈黙し、それぞれが思案した。
「写真立ての写真部分が光で反射していた。ってことは、写真立てが黒川くんやお客さんの方に向いていた、ってことよね?」
杏菜さんは俺の表情を伺いながら言った。
「そうだったと思います。となると、写真を意図的にこちらに向いていた、というより向けていたという可能性が高そうです。加えてなんですが、写真立てはそのテーブルだけに置かれていて、デーブル中央に置かれていました」
「写真立ては単なるインテリアではなさそうね」
二人が向かい合って使う様な狭いテーブルに写真立てを置くのであれば、中央に置くのは何か意図があると考えるのは自然だ。
「はい。なにか、意味のある写真が飾られていた、と考えられそうです」
「写真立てといえば。喫茶店やカフェでは、よくデコレーションとして壁や壁際に飾られることが多いよね。どんな写真が定番かな?」
俺は一般的な喫茶店やカフェで見受けられる飾られた写真立ての内容を思い起こす。
「風景、雑貨、動物。そんなところでしょうか」
「あとは花や店先だったり。モノクロ写真が多い印象かな」
「確かに、レトロちっくなフィルタリングがされている様な気がします。そういえば」
「そういえば?」
花、という杏菜さんの何気ない言葉に当時のことを思い出した。
「花の話が出たので。話が変わってしまうんですが、相席のおばさま方と花の話をしました」
「はな? それとも、お花?」
イントネーションがどっちつかずだったからだろうか。杏菜さんが不思議そうな表情で自分の鼻をつつく。つつくたびに変顔っぽくなるその表情に笑いそうになったが、こらえて返事をした。
「は、はい。フラワーの方です。『壁掛けの花瓶が幾つかあって、綺麗ね』、とおばさまがおっしゃっていました」
「花の種類は?」
「なんでしたっけ。二種類あって、カタカナとひらがなだったような気がします」
イメージは浮かぶのだが、花に関する博識を持ち合わせていないため、断片的な記憶を思い起こす。
「それだと絞れないね。色とか、形状は?」
あんなさんはスマートフォンを取り出すと、花の画像検索をした。
「これなんかどう? 違うかな?」
ゆっくりと画面をスクロールしていく。見覚えのある花が目に入った。つけられた名前は、ガーベラ。そして、かすみ草。これだ。
「これです。確かにこれでした」
名前が分かったところで、自分の方でもそれらについて調べてみる。
「ガーベラの花言葉は『希望や、前進』。かすみ草の方は、『送別と感謝』、みたいですね。送別会などで贈られることが多い花のようです」
俺の言葉に、杏菜さんの表情が少し曇り始めていることに気づいてしまった。
「写真立てに、花、ね。ピースが揃うのにあと一押し、かな」
少し不安げな表情ながらも、真相に近づきつつある様子だ。ただ、その真相が本当に正しいのか、着実に確認しているようで、彼女の発する一言一言が重みを持ち始めていることを感じた。一方、俺はというと真相の一片すら見えておらず、一つ一つ経験した出来事から、関係性を見出すに至っていない。
「もしかして、わかったんですか」
尋ねるも、表情は沈む一方で、
「まだ断定できないから、口にしたくないかな。…ねぇ、黒川くん。コーヒーの種類は何を頼んだの?」
「これですか?」
慌てて俺は手元のコーヒーを掲げた。
「ううん。今飲んでいるものじゃなくて、紅挽館で」
ああ、そっちかと少し勘違いを恥じたが、おかしな点に気づく。
「あれ、コーヒーを頼んだことって言いましたっけ」
「ほら、最初に私が紅挽館について言った時、紅茶がおいしいことを知らなかったじゃない。ましてや、あなたがジュースを頼むとは思わないし」
ああそうだった。ここへきて最初にした話をすっかり忘れていた。さすが杏菜さん、と思いつつ俺は答えた。
「確かに、そうでしたね。紅挽館ではブレンドをいただきました。初めてのお店では、なんとなくその店らしさといいますか、個性が知りたくて、大体ブレンドを頼むようにしています」
「ブレンドの内容は?」
「えっと、なんでしたっけね。確か、モカを中心に、キリマンジャロ…」
「あれ、おかしいわね。私が行った頃には、キリマンジャロは入れてなかったような気がするんだけど」
「改良した結果、加える事にしたんじゃないでしょうか」
「それが、その段階でお気に入りだってマスターが言ってたはずなんだけどなぁ」
だんだんと、杏菜さんの表情が暗くなっているのは気のせいだろうか。
「マスターはどんな人だったっけ?」
マスターの人相は覚えていたので、話してみる。
「ええ、結構若めで、四十後半ぐらいでしょうか。まだ若造ですと、というようなことを聞きましたが」
「そう…」
杏菜さんは俯き、言葉の糸がぷつりと切れてしまった。悲しそうな表情と静寂。何度も推理の遷移を再計算するように、コーヒーカップを握ったまま、かすかな自問自答を繰り返す。もうその可能性しかない、杏菜さんがそう結論付けた瞬間、出る言葉もないまま、開いた口から溜息が漏れた。その表情を俺は今でも忘れられない。コーヒーを含むと瞳に正気を取り戻し、杏菜さんは額を上げた。
「…わかっちゃった。なぜ、空席だったのか。いや、なぜ空席のままなのかを」
「本当ですか?」
杏菜さんは自分自身の落ち着きを確認すると、力なく話を始めた。
「結論から言うと、あの座席はマスターのために空席にしてあるのだと思う。そして、わたしのイメージするマスターと黒川くん、あなたのイメージするマスターは違う人。きっと、わたしの浮かべているマスターは、あなたの浮かべているマスターのお父さんなのよ。そして」
息を置き、両手でカップを包む杏菜さんの表情を言い表すことは難しい。
「きっと、マスターはつい最近亡くなったんじゃないかな。それならば、空席にしている理由も納得がいく。それに、送別と感謝の意味を持つ花が飾られていたこと、ブレンドの内容が変わったことも。そして、きっと今のマスターが、お父さん(マスター)に見守ってもらえる様、お父さん(マスター)の写真をあの場所に置いてるんじゃないかな」
「…君たちも知っていたようだね」
振り向くと、喫茶クレイジィのマスター、織多さんがエプロン姿で立っていた。
「杏菜ちゃんの言う通り、息子さんは、お父さんにしばらく見守っていてほしいから、店内を見渡せるその座席にお父さんの写真を置いていたんじゃないかな」
「マスター知ってたんですか?」
「ああ、お別れの会に出てきたよ」
「普段からも交流が?」
俺は尋ねる。
「残念ながら、同業者とは顔を合わる機会は少ないんだ。自分の店で事足りることが多いからね」
「そう、ですか…」
「コーヒーやりながら死ねたこと、本望だっただろうね。そのくらい店を愛してるマスターだったことがお別れの会でよくわかったよ。それに、後継者もいるんだ。全てを受け入れた様に安らかな顔だったよ」
ここからは後日談。真相を知った俺と杏菜さんは、二人で紅挽館を訪れた。平日の夕方ということで賑わっていたが、まだ奥の座席は空席にされたままだった。
一度座席に案内された後、奥の座席に歩み寄った。ひとつ、意外だったことは、テーブルの写真立てには写真が入っていたのではなく、マスターと書かれた文字が貼られていた。マスターの肖像が入っているものとばかり思っていた僕らは、少し驚きながらも合掌しマスターの冥福を祈った。
「写真を撮られるのが嫌いだったんです。ありがとうございます」
振り返ると、新しいマスターとなった息子さんが微笑み、僕らに礼を言った。
「いいえ。美味しいコーヒーをいただきましたし、このくらいさせていただくのが当然です」
「父も、喜んでいると思います」
すると、後ろの方のおばちゃん集団が息子さんを呼んだ。
「せがれの兄ちゃん。ブレンド三つ」
「ありがとうございます」
「照明。前より、少し明るめにしたんですね」
杏菜さんはいった。きっと、気持ちを前向きに、そして明るくするためだと俺は思った。
「ええ。今までは少し暗くしすぎたと言ってたんで、少し明るくしました」
「少し、話をお伺いできますか?」
「ええ。では、オーダーが終わった後でまた来ます」
杏菜さんはこの話を気に入ったらしく、トートバックから、辞書ほどの厚さのオレンジの手帳を取り出した。
「ひとつ浮かんだことがあるから」
といいながら、ページの後半ほどを開いた。この取材ノートは特注で、今年で三冊目というから、作家というのは恐ろしい生き物だ。取材をするという点で同じであるはずが、この人には永遠に勝てる気がしない。
オーダーを終えた現マスターは隣いいかな、と俺と杏菜さんの居る隣の座席に座った。
「どうぞ」
「気付いていたんだけど、お姉さん。安崎先生ですよね?」
マスターは言う。
「ええ。よくお気づきで」
「まだ、聞きたそうな顔をしてましたから。少し、お話させてもらおうと。実は、父からも話を聞いていたもので。オレンジの辞書みたいな手帳を持つ大学生が来たら、話してくれと」
「そう言ってもらえていたのであれば、うれしいです」
「あの座席から、お客さんを見るのが好きだったんですよ、父は。もう少しだけ。店が回せるまでは、父にあの座席にいてもらおうかと思います」
「その話ですが、実は…」
杏菜さんはページを戻し、何かが挟まれたページを開いた。
「お渡ししたいものがありまして」
それは、元マスターが恥ずかしがりながら、微笑み、テーブルに座る、”いい”写真だった。今のマスターと親子であることがよく分かる。
「これは。…こんな風に笑うんですね。あの人は」
「よかったら、もらってください」
「ええ。飾らせていただきます」
元マスターはにんまりとしながらも、目元を潤ませていた。
「注文は、どうされますか?」
杏菜さんは、自信を持って答えた。
「紅茶と、ケーキを」
届いた紅茶とケーキを、懐かしげに杏菜さんは見つめた。アールグレイの香りは穏やかな気持ちになり、手作りのショートケーキはクリームの甘さとイチゴの酸味のバランスに酔いを感じた。
「どう?」
杏菜さんは嬉しそうに俺に言う。
「おいしい、です」
そう言うと、杏菜さんは笑みを浮かべた。
「言ったでしょ、紅茶とケーキが美味しいお店、って。よかった、黒川くんにも味わってもらうことができて。息子さん、しっかりマスターの味を継いでくれてる」
「マスターは、息子さんの中に居るんですね」
「ええ」
疑問に残っていたことを杏菜さんに尋ねた。
「どうしてマスターの写真を持っていたんですか?」
「私が作家になろうとした時に、マスターと賭けをしたの。実は、黒川くんに言ってなかったんだけど、私も実は新聞部に入っていたことがあってね」
「ええ!? 聞いてないですよ!」
さらりと出た衝撃発言に、俺は驚きのあまり身を翻す。食器に袖口が当たってしまい、ガラス音を立てる。慌てて食器を抑え、一呼吸おくと、俺はもう一度杏菜さんに確認した。
「ほ、本当に新聞部のOGなんですか?」
「ええ。部誌とか新聞のバックナンバーを見れば、名前があるはずだから」
「そ、そうですか…。急に言われて驚いちゃいましたよ。それはそうと、マスターの写真はどういった経緯で?」
「記事紹介でマスターの写真を載せたくて、交渉したら、効き紅茶で当てたらいいよって言われてね。まぐれだと思うんだけど、当てちゃって、写真を撮らせてもらったの」
「な、なるほど」
「今となっては、私が持っていても仕方ないものだし、いい機会だから渡そうと思って持ってきちゃった…あれ、なんでだろう」
杏菜さんの頬を涙がこぼれ落ちた。
「どうしてこんな時に限って、いろんなことを思い出すんだろうね」
何年も前のささいな記憶。そして、それからマスターに覚えてもらえているほどの交流があれば、溢れてくるものがあるのも当然だろう。杏菜さんは、さめざめと涙をながしながら、話を続ける。
「紅挽館ってお店の名前じゃない。本来の意味合いはきっと、紅は紅茶の紅、挽は豆を挽くの挽でしょう」
「はい。そうだ思います」
「でもね。紅といえば、紅の涙。これも嘆き悲しんで流す涙のことなのよね。そして、挽という字にはね、「死者を悲しんだり、弔う」、という意味もあるのよ」
悲観的な単語が頭に並んでいるのだろう。それでも、前を向いていくこと、それを息子さんが示してくれているじゃないか。俺は杏菜さんにティッシュを渡した。
「杏菜さん」
「何?」
「マスターは、満足されて旅立った、と言っていたじゃないですか。過去の楽しかった思い出まで悲しみに変えるのは、マスターへの弔いになりませんよ。紅挽館、という単語を使わせてもらうなら。この館で、紅のように鮮やかな思い出をくれたことを胸に刻んで、生きていくことの方が、マスターも喜ぶはずです」
「なんか、黒川くんが好きそうな、いい回しね」
杏菜さんは涙を拭きながら言う。その言葉に、俺はじわじわと恥ずかしさがこみ上げてきた。
「あの、その」
「わかってる。慰めてくれてることぐらい」
俺は当惑し、ごまかすため、ようやく紅茶に手をつけた。一口含み、空席に置かれた写真立てを見つめる。マスターの写真に差し替えられたその写真の笑顔。そして、口内に広がる息子さんへと伝えられた味。心を包む様に優しいその味は、僕の記憶にもっとも深く、そして鮮やかに刻まれることになるのだろう。
最近短編の方にばかり投稿してしまっていましたが、こちらも進めていきます。自分が描きたいものはやはり、短編で閉じた世界ではないと思いますので。
出来上がっていたものを書き起こすことに怠惰になってしまっていたことをお詫びし、レインズ・ライフを進めていきます。
さて、今回は(今回も?)喫茶店を題材にしました。自分自身も、ここ五年ほど通っているお店があります。チェーン店と違って、空間を共有し、知らない人でも話の輪を広げてくれました。加えて、個人経営の喫茶店ではお店のマスターや奥さんの人柄も素敵な方が多く、魅力を感じています。
最初は敷居が高いかもしれませんが、ノックしてみてはいかがでしょうか。そこには素敵な出会いが待っているかもしれません。
本編のことは解説するほどの内容ではないとと思いますので、この辺で。




