机上の空席推理.1
中学の頃から訪れている喫茶クレイジィ。今日は、毎月の定期イベントになっている、とある人物との歓談のために足を運ぶことになっていた。
ドアを開けると、備え付けの鈴がカランカランとこだまする。自宅から徒歩十分のところにある、喫茶クレイジィ。市境をまたいだ彩出市にある、個人経営の喫茶店だ。そこでは、彩出に住む人たちがコーヒーを片手にいつも賑わっている。店内は四人掛けテーブル席が一つと二人がけテーブル席が五つ。店の規模としては大きくないが、それにもかかわらず、様々な年齢の人々がいつでも話を交わし合っていた。
喫茶クレイジィに通うようになったのは中学に上がった頃から。高校生となった今でも、少なくとも二週間に一回ぐらいのペースで足を運んでいる。単にコーヒーが飲みたくなった時、お店にやってくる人やマスターと話がしたい時、最近だと読書が進まなくてむしゃくしゃした時。いつでも快く迎えてくれる。
今日、クレイジィにやってきたのは、月に一度楽しみにしている、とある人との世間話をするためだ。にぎわう座席の間を挨拶をしながら縫って窓際の座席に向かう。薄手のニット纏い、黒ぶちの眼鏡の似合う彼女、杏菜さんはコーヒーを嗜みながら、日の注ぐ小窓を見つめていた。
「こんにちわ、杏菜さん」
声をかけると、あらとこちらに顔を向け、にっこりと微笑んだ。笑顔を返そうとするが相変わらずうまく笑えなくて口角が変に上がる。最近は本が読めずに渋い顔をしてばかりなので、以前よりもさらに表情が凝り固まっている気がする。そろそろ一度、笑顔の練習をしたほうがいいかもしれない。
「こんにちわ、黒川くん。ささ、座って座って」
「失礼します」
杏菜さんの目の前に腰を下ろす。
「今日は、晴れましたね」
毎回、天気の話題で始まるのがお決まりと化していた。
「ええ。前回は、雨でしたものね。もう直ぐ、藤が見ごろだそうよ」
「へぇ。藤、ですか。この辺で見られるものなんですか」
「見られますよ。才泉寺はご存知かしら? 商店街を抜けた先の」
「ああ、あそこですね。知ってます」
「毎年この時期になると、藤まつりが開催されているんです」
話から察していただける思うが、普段はテレビやインターネットといったものにはあまり触れないため、隣の市についての情報はあまり耳にしていない。そのため、彩出市の広告は杏菜さんから教えてもらうことが多い。ちょうど姉弟ほどの年齢差のため、過去に何度か彩出を案内してもらったことがある。
きっかけは忘れてしまったが、一人でコーヒーを飲みに行ってみようと、喫茶クレイジィの重い扉を叩いた際に、当時大学一年生だった杏菜さんとたまたま遭遇し、話をしたことがはじまりだったと思う。それが縁で現在に至っている。
「きっと、部活とかで花見に行くと思うよ。私がサークルに入っていた時も、よく行きましたよ。最近は忙しいんだけど」
そう言う杏菜さんは、今年度から大学四年生になるそうで、最近では卒業研究のためにあれこれと忙しくしているらしい。高校生にあがりたての自分にとって、大学生は華やかなイメージで、違う世界の住人のような印象を受けている。杏菜さん自身も凛々しさや可憐さが同級生とは天と地の差であるように思える。しかし、そのおしとやかな外見に反して、話を交わすと様々な知識や教養の深さ、物事への興味関心の高さを持つ内面が伺える。三年後の自分が杏菜さんのような教養ある人になっているのだろうか。少し大学生への期待と不安を感じた。しかし、のちに大学院に行くという話を聞いたこと、作家として精進していることを聞き、杏菜さんが特別すごいのだと知って安心した。そんな杏菜さんだが、自分の読書人生にも大きく影響を与えてくれた人で、感謝してもしきれない。この話はいづれ機会があったらしようと思う。
「へぇ。もうすぐゴールデンウィークですし、時間があったらそういうのが好きな友達がいるんで、行ってくるのもいいですね」
せっかく部活も休みだというし、新聞部周りや仲良くなった友人でも誘ってみるか。そのくらいのつもりだったのだが、
「彼女とかかな?」
杏菜さんには初々しく見えたらしく、当然そのような推測をされてしまった。
「いいえ。残念ながら」
苦笑いを浮かべつつ答えると、残念そうに杏菜さんは目を伏せる。
「黒川くんの惚気話、案外楽しみにしてたりするんだけどなぁ。良い子はいないの?」
杏菜さんは割と真剣に気になるらしい。そこまで言われると、少し考えてみなければなんだか失礼なような気がして、周囲の同級生を浮かべてみる。確かに、男に人気のある同級生が何人かいるが、自分にとってどうかと考えてみると、現状は厳しそうだ。
「そうですね。素敵な人はいると思いますけど、そういう目で見れる人は今の所…」
「そっか。それは残念…」
杏菜さんはしゅんとして、先に注文していたコーヒーに砂糖を足すと、マドラーでかき混ぜ、両手でカップを持ち上げて口に含んだ。話の合間を縫って、マスターが自分にもコーヒーを運んできてくれた。
「ささ、飲んで」
「いただきます」
実を言うと、杏菜さんと会うときはいつも、杏菜さんがコーヒーをおごってくれている。稼いでる人間として、後輩ちゃんにはお金を出させるわけにはいかないし、むしろこれから先おごり続けても借りは返せないからと、財布を出そうとすると取り上げられていた。しかし昨年からは毎回の押し問答で無駄な労力を使うくらいならもっと別のことに力を使おうよと説き伏せられ、おとなしく感謝していただくことになった。
借りという言葉が出てきたが、何度が杏菜さん頼みを手伝ったことがあり、感謝しきれないほどだったということかららしい。しかし、実際のところ、杏菜さんが思うほどに貢献できたと思えていないので、毎回おごっていただくのは内心良心が痛む。人として、そして知人として当たり前のことをしただけと思っているからだ。
真っ白なカップを火傷に気をつけつつ持ち上げ、淹れたてを口に運ぶ。水面から登る蒸気とともに、鼻腔に広がる豆の香り、舌先を暖かく流れていく中に感じられる苦みをひとしきり味わうと、いつものように話が始まった。
「で、最近面白いことはあった?」
「作家さんに提供出来る面白いネタ、ですか」
実は杏菜さん、こう見えて新人作家なのである。先ほど稼いでいるといったのは、小説による収入があることだ。
ペンネーム、安崎 茉奈。本名、巻咲 杏菜。「エスケープ」シリーズで本格的に作家デビュー。杏菜さんと出会った当時は、作品投稿を続けているアマチュア作家だったが、大学三年生のときに執筆した小説「反射する街」で彩出市小説大賞を受賞し、現在では大手出版社からも単行本化される売れっ子作家だ。そんな彼女だからこそ、物語、中でも謎に対しては強い興味関心を持っているようだ。
こんなに近く接していたり、こんな一介の高校一年生にネタ提供を持ちかけるような人が売れっ子だというから、世の中本当にわからない。一方で、そんな彼女のために、見たり聞いたりものの中で疑問に思ったことをメモするようになっていた。普段面倒くさがりなのに、珍しく長く続いていることの一つだ。思えば、このメモを取る癖も新聞部の取材に生きているのかもしれない。そうはいっているが恥ずかしいので部員には見せないようにしている。
今回も、この二週間でたまたま遭遇した謎があったため、携帯を取り出して話を始める。
「ひとつ、ありました」
「ほんと!」
「ええ。理由の分からない出来事が一つありました。一緒に考えてもらえますか」
「ええ。ぜひ聞かせて」
深呼吸をし、順を追ってメモの内容を話し始める。
「つい先日。二つ隣の南川駅の近くにある、喫茶店で奇妙な光景を目の当たりにしまして」
南川といえば、最近では観光にも力をいれており、饅頭と猫寺が有名になっている。近々雨乃が取材に行くとかどうとか言っていた気がする。
「南川ね。たまに取材で行ったりするけど、どこのお店なの?」
「紅挽館という喫茶店なのですが、ご存知でしょうか」
すると、ああ、という表情で杏菜さんは頷く。
「最近は行ってなかったけど、何度も伺ったことがありますよ。紅茶と、マスターの作るケーキが美味しいお店ですね」
「へぇ、紅茶も。それは知りませんでした。で、先日の日曜に初めて伺ったんです。喫茶店というよりは憩いの場という雰囲気で、クレイジィ同様、老若男女問わず笑い声の絶えない素敵な喫茶店でした」
「そうね。私が行った時も、和気藹々としていて、サロンのようだった気がする」
「はい。大変賑わっている様子で、カウンター席、テーブル席ともに埋まりきっていました。多少混雑しているようだったので、空席がなければ引き上げようかと考え、店内を見渡しました。で、奥の窓際角の座席がポツリと二席ほど空いているのを確認できました。どうやら座れそうだと思い、女性店員さんがメニューを運び終えるまで待ち、応対してもらいました。初めてであることを伝えると、座席に案内されました。ここまでは良かったのですが、なぜか通されたのは、おばさま方が席を埋めるデーブル席だったんです。確かに、相席でも良いかと尋ねられて大丈夫だと答えましたし、おばさま方からいろんなの話を聞かせていただけましたし、結果としては良かったのですが、なぜ、少人数用の座席が空いているのに、そちらに案内してもらえなかったのか、今思えば不思議で」
今思えば、自分の外見上、あまり社交性の高い人間には見えないと思うし、ましてや、席を埋めている人々とは年齢差もある。そんななかでも相席を進めたということは、何かしら理由があっておかしくはないだろう。説明を終えて、コーヒーに口をつけると、杏菜さんは嬉しそうに話し始める。さて、作家さんとの楽しい推理大会の始まりだ。
机上の空席推理.2に続く




