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レインズ・ライフ  作者: Atsu
Who is the 6th writer(s)?
25/35

作中作 はなびらのように

作中作の完全版です。

 美しく散りゆく桜の花びらは、今もなお、あの頃の僕の未熟さを思い起こさせる。

もう一度、戻れるなら。戻れたなら。あの頃の僕はどんな風に踠くだろうかー


 世界が崩れたのは一瞬だった。幸せな日常を切り裂くように迫り来る蛇行するトラック。轟音と共に迫り来る巨大な影は、僕に”どちらか”を、いや、”どちらも”選ぶ時間をくれなかった。


 卒業式を終えた、小学生最後の帰り道。中学校への希望と期待を胸に、年の離れた兄、幼馴染のハルカとともにこれからの中学生活を語り合っていた。

「ねぇ、ゆーくんは中学の部活、もう決めた?」

僕の横顔を覗き込み、微笑むハルカはこれからの生活を楽しみにしている様子で、やけに頬がにんまりと緩んでいる。

「バスケにサッカー、野球もいいな。でも、投げるの下手だし、やっぱりサッカーにしようかな。ハルカは、やっぱりバレー?」

「うん。他のも考えたけど、やっぱりバレー! 中学でも続けるの。今度こそ、全国大会いくんだ!」

前を見据えるハルカは胸の前で両手でガッツポーズした。

 学校から直線の通学路を抜け、交通量の多い交差点に差し掛かる。交差点からの伸びる幹線道路には桜並木が連なっており、温暖な気候がゆえに、早くも雨のようにその花びらを散らし始めていた。

 電柱近くには、飛び出し注意、学童注意の立て看板があちこちに設置されており、少し大げさではないかと思われるほど、それらは目立っている。数年前に一度、この交差点で大きな事故があったためだ。登校中の小学生の列に、暴走した自動車が突っ込んだのだ。この事故により、小学生十数名が怪我を負い、うち五名が亡くなった。その痛ましい悲報は、デレビニュースで大々的に取り上げられていた。暴走した車の衝突によって、近くにある水道管は破裂して水を吹あげ、事故後に映し出された大きく傾いた電柱と手向けられた花に、幼いながらも恐怖心を抱いたことを今でも覚えている。

「二人とも、これからは自転車通学になるんだから、交差点には気をつけないといけないぞ」

「分かってるって」

「そういえば、ゆーくんは自転車持ってなかったけど、乗れるの?」

「の、乗れるよ。ちょっとくらいなら」

痛い質問だ。最後に乗ったのはいつだろう。正直なところ、三輪車に乗った以降、自転車に乗った記憶がほとんどなかった。不安な表情を二人に読み取られ、兄は笑ってこう言った。

「それなら練習しないとな。中学生にもなって補助輪は恥ずかしいなんてもんじゃないぞ〜」

「教えてあげよっか? じゃないと一緒に通えないよ?」

二人に煽られた僕はすこしむっとして、

「もう、うるさいなぁ。一人で乗れるって」

顔を膨らませ、抗議の表情を向ける。

 歩行者用信号が変わる。二人に馬鹿にされたような気がして、その悔しさで歩道への足が止まる。どうして練習しておかなかったのだろう。足元を見つめ、自転車に乗るイメージをその場で浮かべる。ちっとも乗れる気がしない。足元にあった小石を蹴飛ばして鬱憤を晴らす。

「置いてくよー」

渡り始めた二人の背中に追いつこうと駆け出した、その時だった。流れる時間は、急激に速度を落とす。


 現実感のない、重力に支配された世界だった。その巨大な塊は、巨大な口を開けるように二人に向かって影を覆っていく。第一に芽生えた感情は、助けなければ、という思いだった。コマ送りで進む時間の中、僕は五メートル離れた二人へとかけていく。

 同時に二人を押し出そう。次に芽生えた思いは自己犠牲だった。兄とハルカの距離は二メートル。僕はめいっぱい両手広げながら進もうとする。同時に、絶望する。どれだけ腕を開いても、僕の両手は二人の間に広がる、たった二メートルさえ埋めることができなかった。

 スケッチブックをめくり上げるような速度で、それでもなお時間は進んでいく。一瞬で瞳から溢れ出した大粒の涙に投影された自分の表情を認識しながら、僕は手を伸ばした。

 選択できなかった僕の目の前の映像が加速を始める。巨大な塊が、兄、ハルカの順番に、巨大な塊が衝撃を加えていく。その鈍い音が僕の耳に突き刺さると同時に、二人の姿が僕の視界から消失した。


 それからの光景は、自己防衛が働いたのだろう。記憶から消えていた。ただ永遠の白飛びの世界の中、聞こえる救急車のサイレンと、担架の車輪。大勢の声だけが、僕の記憶に擦り付けられていた。唯一、涙の雨に打たれた一ヶ月間の映像で残っているのは、両親とハルカの両親、それに新しく担任になった先生が、自我の消え入りそうな僕に向かって何かを投げかける、そんな様子だけだった。

 曇り空が開け始めるのにかかったのは、おおよそ十年とという月日だった。止まった心の時間に反し、体の時間は進み続け、僕は成人式を迎えていた。他の同級生たちは、二人を忘却の彼方へと葬り去っており、僕も二人の記憶が徐々に僕の記憶の隅へと追いやり始めていることを感じていた。

 僕は、二者択一を選びきれなかった。その結果、その両者を失った。その事実が重い十字架となって、思考を許さず僕を押しつぶし続けていた。

 ただ、自分の意識を薄め、悲しみと憎しみ、謝罪の気持ちに沈んだ十年の間に、他に出来たことが本当はあったのではないだろうか。そんな思いが急に込み上げた、成人式の夜。盛り上がる旧友たちの飲み会の誘いをよそに、僕を二人の墓標へといざなった。何かが、何かが僕に決断を迫っている。そんな、切迫した感情が、急ぐ僕の胸に秘められ始めていた。

 澄んだ夜空とは対照的に、凍え切った冬の霊園はこの世の静寂の終着点のようだった。ただ凍りついたような無数の石柱が規則的に並ぶだけで、ここには、正気が一切ない。寒空の下、月明かりに照らされた僕は、並んだ二人の墓前にしゃがみ、見上げるように墓標を見た。

 約十年前、二人は生きていた。命があった。そして、死んだ。その事実を示すのは、亡骸を仕舞い込んだ無機物の塊。それなのに、どうしてこんなにも感情を震わせるのだろう。

 僕は生き続けるべきか。僕には、わからなかった。僕が生きる理由を探し求めることすらできないまま、心の傷を再生させるだけの人生に十年もかけてしまっていた。

「もう一度。あの日に戻れるなら、僕は二人ともを選ぶために死ねるよ。こんな命、持ってたって無駄だって気づいたんだ」

呼応するように、あの日の光景が鮮明にフラッシュバックする。白飛びしたはずの記憶が、徐々にピクセルノイズをはらみながら復元されはじめる。汚れた、誇張した映像だったはずのそれは、音とともに、あの日の重力とともに、封印されていた光景を呼び覚ました。


 最初は懐かしい気持ちが僕を包んだ。あの晴れた日の午後。三人で帰る映像が僕の網膜に再び投影された。林立する桜。雨のように降りしきる花びら。柔らかな日差し。そして、信号を渡り始める二人。全てが再現されていた。

 嘘だと思った。現実感をつかもうと、手に舞い落ちた桜の花びらに触れる。目に映った幼い手のひら。湿った花びらの質感。

 あと数秒足らずで事故が起こる。そして。この幼い自分は二人を選べずに、殺してしまう。そうだ。僕が、二人の代わりに死ななければ。あの時迷った一瞬を、今度こそ勇気に変えて。僕は全力疾走で二人の背中を押す。

 刹那、僕は体が崩壊する音を聞いた。脇腹。そして、肋骨。次々と砕けていく音は骨を伝って響く。意識を引きちぎろうとするその鈍痛に耐えようとするも、連れ立って破裂していく内臓に、僕の視界は真っ白に燃え上がっていった。消えゆく意識の中、ようやく罪を償えたこと喜びが湧き上がり、高揚感と心地よい安らぎが僕を包んでいった。

 もう、意識が戻ることはないと思っていた。はっと、意識が浮かんできた矢先、目の前に映ったのは、先ほどと同じ、事故直前の映像だった。どうしてなんだ。僕は猛烈な吐き気に襲われた。二人を救ったはずじゃないか。どうして時間が巻き戻るんだ。


 僕は二人を生かすため、生かし続けるために、あらゆる手段を尽くした。

 そこからは無限に近い殺戮現場の再現だった。僕が死に、兄が死に、ハルカが死に、また二人が死んだ。永遠に繰り返される再演は、二人の放つセリフを暗記するには十分で、彼らの言に合わせ、僕は言葉を口ずさむようになっていた。

 トラックに向かい、走った。何度走ったかわからない。運転席の気を失った男に届くことはない。血の雨の中で、すくい上げた二人の臓物を胸に抱く。その生暖かい感触を手のひらに感じながら、僕は叫ぶ。

「また…。また殺した!」


「みんなで、一緒に…」

どのくらい経っただろう。衝突する間際、ハルカが何かを口ずさんだ。いや、そう口ずさんだように見えた。思考を失い、永遠に再演される映像を目に焼き付けるだけのゾンビとなっていた僕は、その口元の変化に気づいた途端、自我を取り戻した。そして、気づいた。彼女の瞳に正気があることを。

 この繰り返される映像の中、意識が存在するのは僕だけだと思っていた。僕以外の二人は、殺戮するするトラックは、ただ人形遊びのように、この映像空間を構成する神にも似た何かによって、動かされたただの操り人形だと思っていた。

 そうじゃなかったのだ。彼女も、兄も、この永遠の再演にとらわれていたのだ。いうなれば、交差点に繋がれた地縛霊。死んだと思い込むのに必死だったこの十年間、この地獄のような光景のなかで、生きようともがき続けていたのだ。

 誰かが死ねば、この事故の繰り返しが終わるのではなかったのだ。二人も、この事故の世界のなかで、もがき、苦しみながら、自分を含めた三人が生還する手段を探し続けていたのだ。これが、二人がこの永遠の牢の中で、望んでいたことだった。


 二人が生きている。そう気づいた僕は、諦めることをやめた。些細なことでもいい、この状況が変わる一手を思考し続けた。たとえば、交差点に生えた草を引き抜いてみたり、信号機によじ登り、あたりを見渡したり。何か変わる一手を。たった数手先しか選べない中からの最良の一手を、僕は探し続けた。

 現実世界では、もう一生を終えるほどの時間を過ごしたかもしれない。その時だった。足元にあるひとかけらの石を見つける。これは。一番最初に事故にあった直前、僕が蹴飛ばした石だった。瞬間、稲妻に打たれたように、数手先の選択肢が僕の目の前に映像として提示された。

 狙うのは、運転席か、タイヤか。投影フォームまで映し出されたが、その先の軌道は見えなかった。ゆっくりと流れる時間の中で、一瞬の戸惑いが生まれようとしている。また僕は迷い続けて失うのか。何度も何度も殺した二人、そして僕自身の死体を、これ以上積み上げてはならない。

 迷いが晴れた瞬間、何度も繰り返した思考が、走馬灯のように同時投影された。僕は、運転席めがけ。その石を全力投球した。

 しかし、石はあらぬ方向へ飛び去っていく。

『投げるの下手だし、やっぱりサッカーにしようかな』

自分自身が最初に口ずさんだその言葉が、僕の脳内に響き渡った。倒れ込んで来るトラックを呆然と見つめていた刹那、トラックは何かによって、宙へ舞う。


 その光景に僕は目を疑った。空に虹がかかったのだ。上水管から破裂して吹き上がった大量の水が噴出し、その場に七色の橋をかけたのだ。その濁流はトラック真下から舞い上がったようで、トラックは交差点の対岸へと車体を滑らせていった。

 我にかえった僕は地面に倒れこむ二人に駆け寄り、抱擁した。

「生きてる……。生きてる!」

僕は滝のように泣いた。あの、二人の死後一ヶ月間に泣いた雨量を一日で泣いた。二人を抱く手は強くなる一方で、この十年分の、全ての感情という感情が涙を通して、体外に排出された。

「大丈夫、怪我はないから」

「痛いって、ゆーくん」

僕は紛れもなく、二人を、いや三人を掴み取ったのだ。

「よく、頑張ったね」

振り向くと、そこにはかつて、この場所で起こった事故で亡くなったであろう五人の少年少女たちが僕らを見つめていた。その言葉を告げると、彼らの体は桜のはなびらのようにその体を散らしていった。


 あのあとわかったことは、交差点付近で古くなった水道管の工事が行われており、僕の投げた石が原因でかつての事故によって破損していたバルブが外れ、その近くにある全ての上水管の挙動を急激に変化させ、あの場の上水管が破裂したとのことだった。

 意識を取り戻した時、僕は病室のベッドの上にいた。徘徊し、祖父母の墓の前で気を失っていたところを、二人が発見してくれたとのことだった。

「やっと、夢から覚めたんだね」

そこには、あの頃の面影を残しながらも、大人びた二人の姿があった。

僕は、あの事故以来、病室で夢遊病のような症状を続けていたらしい。自我はなく、コミュニケーションが取れないのに、勝手に徘徊を始めるやっかいな病だったとのちに周囲の人間から聞いた。


 翌日、僕の提案で、僕らはあの交差点に足を運ぶことにした。まだ、桜の蕾のない、寂しげな並木道は、少し色あせているようだった。

「よく、生きていたよな。俺たち」

兄は感慨深そうにあたりを見渡す。

「ほんと。死んじゃったかと思った。でも、こうして、あたしたちは生きている。それに、ゆーくんだって、意識が戻った」

昔と変わらず、交差点は無数の車両が行き交っている。僕は病床で細くなってしまった体をゆっくり落とし、そこに、二輪の花を添えた。

「スイートピーなんて、どうしたの?」

「ほら、昔。僕らの事故の前にあっただろう。通学中の少年少女の列に車が突っ込んだ事故。きっとあの事故がなかったら、僕らは死んでいた」

「白のダリアのほうは?」

「きっとあの事故で僕らが生きていたのは、彼女たちのおかげなんだ。そして、黙っていたけど、あの事故の瞬間、その子達を見たんだ」

「そんなこと聞いてなかったぞ」

「だから、僕が夢から覚めた今、伝えなきゃいけないと思ったんだ。君たちが僕たちを救ってくれたことに感謝しているって」

本当はそれだけじゃない。僕が二人を救うにあたって死んだ、たくさんの二人、そして、たくさんの僕。僕が迷い込んでいたあの光景の繰り返しの中で、彼らが死んだことは僕にとっては事実他ならないのだ。たとえ、二人が生存した世界に収束したとしても、はなびらのように散らした無数の死の世界線は嘘じゃないのだ。

「そうだったんだ。じゃあ、あたしも」

「俺も」

そういうと兄とハルカは僕の隣にしゃがみ込み、手を合わせてくれた。

「この命、大切にします…きゃっ」

不意に、風が吹き上がる。二輪の花は宙を舞い花びらを散らした。その姿は、こんなものはいらない。前に進みなさい、と言わんばかりだった。


 美しく散りゆく桜の花びらは、今もなお、あの頃の僕の未熟さを思い起こさせる。もう一度、戻って。何度も踠いて。ようやく、わかった。選ぼうとしなかった僕。どちらかを選ぼうとした僕。僕自身を投げうつことを選んだ僕。全部、違う。選ぶべきは、全てだったんだって。

 立ち上がった僕は二人に振り返る。十年経ったその姿に違和感がないわけじゃないけれど、僕の繰り返した時間に比べれば、わけはないはずだ。きっと取り返せる。どれだけ、フラッシュバックしたとしたとしても、僕は乗り越えられる。なぜなら。二人が。僕らが。こうして生き抜くことができたからだ。


                                       了

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