勇者は宣言された
木製の大きな扉を押すと、中庭から漏れた光に照らされた部屋に入れる。
召還の間は円形の部屋だ。召還に使ったと思われる魔法陣を囲むように椅子が並べられている。
朝は誰もいなかったこの部屋だが、今は召還された時と同じくたくさんの人がいた。琉生に上座下座などは分からないが、アリアが座っている席の側にはやたら豪華な神官服を着た人間が座っている。
魔法陣よりさらに奥に、王と王女がこちらに背を向けて立っていた。
どうやらステンドガラスを見ていたらしい。
「来たか」
琉生は一礼した。王が一歩進み出て手をかざすと、ざわめいていた部屋の中が一気に静まる。
やがて何も聞こえなくなった頃、昨日のヘタレっぷりはどうしたのか、王は泰然とした態度で語る。
この世の“理”について。
この世界には“理”というものが存在する。近代でも魔術師の間で研究が進められているが、どうしてそのような理が存在するのか、誰によって造られているのかなどは明確になっていない。
その中に、“儀式”というものがある。
王の説明を聞きながら、琉生は“儀式”とは戦争と言うより競技だと思った。
“役”という存在がこの世に揃う時、“儀式”は始まる。
“役”は二つ。“勇者”と“魔王”。
魔王がこの世に生まれ落ちると、魔族の力が増幅され人間の領を襲うようになる。人間からは勇者が現れるが、今回のように異世界から召還することもよくあるらしい。
そして、琉生が呼び出されたという訳だ。
勇者は魔王を倒し、魔族の暴走を止めなくてはならない。勇者か魔王、どちらかが消滅すれば儀式は終了する。
消滅という言葉に顔をゆがめた琉生だが、今までの儀式で勇者が負けたことは無いらしい。
(やっぱりチートがあるんだ)
自分でも不思議なことに琉生は負ける気がしなかった。理という力は、琉生にも働いているのだろうか。
「勇者殿には、魔王を倒して貰わねばいかんのじゃ」
儀式の説明をそう締めくくった王に頷いたとき、ふと素朴な疑問が浮かんだ。
「ところで、魔王というのは何処にいるんですか?」
「……それは…」
言葉を濁した王に琉生は首をかしげた。彼の視線はやや泳いだあと、左にずれた。そこには背筋を伸ばして菫の花のように立っているフェインがいる。珍しく琉生にくっついておらず、ただ立っている。
王に習って視線を向けると、彼の様子が少し違うことに気づいた。
「…フェイン?」
フェインは目を伏せ、ややうつむいてた。落ち込んでいるように見えるその仕草に驚きつつ、声をかける。
声に反応してフェインは目を瞬かせた。ややあって琉生の方を向き、頬を緩ませて笑う。その遅い反応に琉生は片頬を引きつらせた。
(寝てたよこの人!)
魔女とは立ちながら寝れる術すら持っているのだろうか。欲しいと思ってしまったではないか。
まだまぶたが重そうなので肩を軽く叩いておく。
「フェインって、魔王の居場所知ってるの?」
「………まぁね」
返事に大分間があった。まだ眠いのか。そんなに眠いのならわざわざついてくる必要も無かった気がする。琉生は呼ばれていたし説明を求めていたが、彼は自由の身だったはずだ。
琉生がフェインに、さらなる質問をしようか迷っていると王が咳払いをした。
「魔王については、後で魔女殿達に聞くが良い」
「分かりました」
(達…?)
素直に頷いたが、内心首をかしげた。だがこれも後で聞けば良い問題だ。とにかく続く王の言葉に耳を傾けた。
「余がおぬしの為に出来ることは、金銭面での援助と戦闘員の強化じゃ」
「…く、詳しく説明してもらえませんか」
後半はともかく、前半は完全に予想外だった。琉生にとってのマニュアルであるゲームでは、こういうのは最初だけ子供のお駄賃に色をつけたような金額を渡されるはずだが。
「おぬしは文無しじゃからな。無理矢理召還させたこちら側としては、おぬしが困らない程度の金銭を援助するのは当然のことじゃ。金銭面で困ったときはこの国の名を使うが良い。多少の無理も聞こう」
今までで最もこの王を敬いたくなった瞬間だった。
一番懸念していた問題が解決された。お金はとっても大事です。
「そして、戦闘員の方だが…」
「あ、それは昨日、ルーヴェルさんとアリア様には一緒に来てくれることが決まりました」
「…私もね。」
忘れられていると思ったのか、フェインはやや恨めしげな目をしていた。
慌てて弁解しようとしたのが、その様子に気づかない王が話を進めてしまった。
「まぁそうじゃろう。騎士と聖女と魔女が一緒に行くのは、毎回の通りじゃな」
「他にも“役”の人がいるんですか?」
「ああ。人間側の“役”じゃな」
王の言い方だと、魔族側にも魔王以外の“役”がいそうだ。他の“役”についても聞いてみたが、王はそこまでは知らないらしい。これもフェインに聞けと言われてしまった。
聖女は対魔族の攻撃の要。騎士は聖女を守る人。残る魔女は案内人のような物なのだろうか。それにしては特別扱いされている気がするし、“魔女”という異名も謎だ。
儀式についての説明が終わると、引き継ぐように聖女が席を立って進み出た。
「この世界の何処へでも神殿は存在します。勇者様が望めば、神殿はいつでも貴方を歓迎しますよ」
(宿屋使い放題ってことか…)
あごに手をかけてふむふむとうなってみる。これがゲームならばもっと喜んでいた。しかし残念ながら、現実では宿に泊まっても一晩で怪我や病気が全回復することなどない。
「武器や旅道具は神殿を出て商業区で手に入ります。後で私が案内しますね」
道具についてもそうだろう。この世界で薬がどれほどの効果を発揮するのは知らないが、期待しないほうが良いだろう。
「何かお聞きしたいことはありますか?」
アリアはやや硬い表情で首をかしげた。恐らく緊張しているのだろう。その緊張をほぐすためにも少しほほえみを浮かべて琉生は首を振った。
「無いです。ありがとう」
その途端ボンッと顔を赤らめたアリアに、対応を間違えたことを知る。
隣にいる魔女がジト目でこちらを睨んだ。
「……また誘惑して」
……拗ねるように言わるのはちょっと納得がいかない。誰が誘惑をしてるんだ。
(そもそも、みんなチョロ過ぎないか)
自分が男と認識されているというのはもう良い。良くはないが百歩譲れば許せないこともない。けれど、それとアリアが赤くなる理由はまた別だろう。
何か言いかえそうとしたとき、今まで黙っていた少女が一歩踏み出した。
「…話はお終いよね?」
王女様はそのまま止まることなく琉生の方へ歩いてくる。腕一本分ほど前で止まった。何か言うのかと思って彼女を見下ろすが、彼女は軽くうつむいて黙っている。
「どうしたの?」
「……勇者様に、お願いがあるの」
「何?」
暴走していた時と違い、今は真摯な目つきでこちらを見ている。一体何を言うのか内心戦々恐々としていると、父親が先に口を出してきた。
「ミリア! 結婚は無理じゃからな!」
「それはまた追々決めるわ。そうじゃなくて…」
王女様はもう迷っていなかった。するりと肘まである白い手袋をはずして、少しそれを見つめたあと思い切り振りかぶった。
当然、目の前にいる琉生に当たって床に落ちた。予想外過ぎて受け取ることが出来なかった。出来たとしてもしなかったと思う。
手袋を外し、それを投げつける。それを受け取った者は、ある契約を受けたことになる。
世界が違うのだし違う意味かも知れない。
投げつけたまま何も言わない王女の視線に負けてしまい、琉生はゆっくりと繊細な肌触りの手袋を拾った。
「決闘を、申し込むわ」
拾った琉生を目に入れたミリアは高らかに宣言した。