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7.婚約発表準備

 幸い、朝食はきちんと食べきることができた。旦那様からは「苦しくないか?」「吐き気はないか?」と心配されてしまったけれど、私は自分が思うより丈夫な内臓を持っていたらしい。ひたすら案じてくださる旦那様に繰り返し「大丈夫です」と伝えたが、きちんと笑えていただろうか。実家では口元が緩んでいるだけで「無能が笑うな」と殴られていたから、笑顔は苦手だ。しかし旦那様に安心してほしくて、自分なりに精一杯笑ったつもりではある。


 食後、昨日のように旦那様と日正さん、百乃木さんと花音を交えて話し合いが行われた。

「来月の会合で、良音殿を婚約者として正式に発表したい。」

「先延ばしにしても、他の家から縁談持ち込まれたりして面倒だしね。」

「来月…………」

 いよいよ私が、裏戸家の嫁となる準備が始まるのだ。緊張から、思わず膝の上で両手を握りしめる。その様子はあからさまだったようで、旦那様に「大丈夫だ」と優しくなだめられてしまった。

「昨日も言ったが、良音殿の立ち振る舞いは完璧だ。今朝も共に朝食を囲んだだけではあるが、その所作は完璧に洗練された令嬢のそれであった。一通りの有力術師の名前と顔さえ覚えて貰えれば、他に教えるべきことは何もない。」

「それでしたら…………実家ではお客様の『接待』を任されておりました故、いくつかの名家は頭に入っております。」

「……、…………そうか、なら時間はかからなそうだな。」

 しまった、また旦那様に気を遣わせてしまった。ちらりと花音を見れば、彼女も気まずそうな表情を隠せていない。申し訳ない、言葉選びには気を付けなければ。数秒ほどの沈黙を、旦那様が咳払いで切り替える。

「ゴホン………────会合は首都で行われる。昨日この山奥へ来たばかりの良音殿には悪いが、また都会へ戻ることになってしまうな。」

「その程度、お気になさらないでください。」

「大丈夫大丈夫!ここの地下には首都の別荘まで一歩で行ける転移術式陣があるから、電車の乗り換えとかは無いし!」

「まあ、そんな便利なものが?」

 日正さんがケラケラと笑いながら語ったものに、私はつい大きな声を出してしまう。彼は「ふふん」と得意げに口角を上げ、丁寧に説明してくれた。

「転移術式は個人で使うと、移動距離が長ければ長いほど妖力を消耗するものだ。けど予め指定の場所に繋がりを持たせた陣を仕掛けておけば、土地を流れる妖力で簡単に行き来できるんだよ。」

「へぇ……!」

「好きな場所に好きなように、とはいかないけど。裏戸家みたいにド田舎の山中が本拠地だと、首都にサクッと行けるだけ十分だしね。」

「日正、山奥なのは事実だが口さがないのもほどほどにしろ。」

 ため息交じりに旦那様が窘めると、日正さんはクスクスと肩を竦めて「はぁい」と軽く返す。実家では少しでも父の機嫌を損ねまいとする従者ばかり見てきたので、旦那様と日正さんの『主従の在り方』は新鮮だ。気心の知れた間柄というのが、はたから見てもよくわかる。他の家の様子は知らないけれど、目の前の二人の在り方は理想的の一つだと感じた。

「ついては、良音殿の身の回りの品を改めなければならない。」

「あ……」

「すまない、気を悪くしただろう。」

「いいえ、事実ですから。」

 当然だ、私の持ち物は服まで姉の使い古しばかり。会合に身に着けていけるものなど、一つも持っていない。新しいものを一通り買い揃えなければいけないのは、自明の理。

「つまり、お買い物ですね!!」

 バンッとテーブルに両手をつき、花音が顔を輝かせて声を上げた。余計な出費をさせてしまうと沈んでいた心が、その声で持ち上げられる。顔を上げると心なしか、日正さんの瞳も『キラーン』と輝いて見えた。

「良音様のために良音様のものを買うお買い物!私もお供して良いんですよね、ね!?」

「あ、あぁ…………」

「やったー!!ありがとうございます御館様!」

 ずいっと迫られて、旦那様が圧されている。彼女の気迫はどこからくるものなのか、私は首を傾げた。

「そ、そんなに楽しみなもの?」

「当たり前です!!ずっと奈緒美様のお下がりしか持てなかった良音様に、ご自身のためのお買い物が許されたんですよ!そのお供を私が務められるなんて、これ以上なく嬉しいです!」

「花音………」

 彼女の言葉に、鼻の奥がツンとする。涙が滲みそうになるのをぐっと堪えた。旦那様は花音の勢いに苦笑しながらも、姿勢を正し話を続ける。

「この際、普段着も一通り揃えると良い。良音殿の部屋にはまだ最低限のものしか用意できていないからな、娯楽も必要だろう。本でもゲームでもなんでも、好きなものを買っておくといい。」

「そんな、そこまでしていただくわけには、」

「遠慮するな。この程度、無駄遣いのうちには入らん。」

「御館様の言う通りですよ良音様!もう動画サイトでプレイ画面を見るだけで我慢しなくて良いんです!プレステとスイッチ2と、ゲーミングパソコンも買ってもらいましょう!!」

「花音ったら!」

「良音殿はゲームが好きなのか?」

「え、えっと…………スマホで見る動画サイトぐらいしか、娯楽がなかったもので………………。」

 名家に嫁ぐ者には相応しくないであろう趣味で、恥ずかしい。日正さんもいる手前、誤魔化すこともできず説明する。スマホだけは「呼び出したり仕事を言いつけるのに必要だから」と、父から買い与えられていた。図書館で本を読むのも好きだったけど、スマホで動画サイトを見るのも数少ない楽しみの一つだった。

 私の不安をよそに、旦那様は「そうか」とただ静かに微笑む。

「じゃあ、その辺りも櫻井と選んで買ってくるといい。俺は機械には疎いのでな、良音殿が自分の目で選ぶのが良いだろう。」

「そんな…………」

「重ねて言うが、遠慮するな。こんな山奥だ、娯楽は多めに用意しておかないと心の余裕を失うぞ。」

「……はい…………ありがとう、ございます。」

「そうそう!無趣味で仕事人間な譲治みたいになると、人として大切なものを失うよ~。」

「どういう意味だ日正!」

「あははっ!!」

 自分の欲しいもの、自分が憧れたものを与えられる夢のような話。旦那様と日正さんの軽口が、遠くに聞こえるような心地になる。欲しいものなんて、思い浮かんでもすぐ忘れるようにしてきたから。花音が言ってくれなければ、私から口にすることはなかっただろう。自我を殺すことを徹底しなければ、命すら危うかった頃とは違うのだ。

 私はとにかく、視界が霞んでいるのをバレないようにするので精一杯だった。


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