9.買い物
翌日。
花音が用意してくれた朝食を食べた後、彼女に身支度を整えてもらって出かける態勢になったとき。
「人の多い場所だから滅多なことは無いだろうが、念のためな。」
旦那様はそう言って、私に向けて何か呪文を唱える。身を守る加護の術をかけてくださったらしい、本当にお優しい御方だ。ふと隣を見ると、花音も日正さんから同じような加護を貰ったらしい。使用人といえどぞんざいには扱わない裏戸家の方針は、見ているとつい実家の酷い有様と比べてしまう。両親も姉も、自分の身を守っているところしか見たことは無い。いけない、折角のお買い物なのに暗い気持ちになってしまった。必要のないことは忘れて、素直に初めてのお出かけを楽しもう。
日正さんが運転する車で連れてこられたのは、日ノ本で知らぬ者はいない老舗百貨店。お姉様が度々買い物に行っては、大勢の使用人に大量の紙袋を持たせて帰ってきたのを思い出す。まさか自分がここで買い物をすることになるなんて、お姉様を遠目に見ていた頃は思いもしなかった。
「俺は呉服屋の店主と話さねばならぬ用事があるから、良音殿は櫻井と見て回ってくると良い。勿論、欲しいものがあったら好きなように買い物してくれ。」
「あ、ありがとう、ございます…………」
先日から「遠慮は無用」と繰り返されているが、やっぱり尻込みしてしまう。
花音は私の気持ちを知ってか知らずか、鼻歌まじりに準備を進めている。
「おっかいっものっ♪おっかいっものっ♪りーおんさーまと~おっかいっものっ♪」
「そ、そんなに楽しみなもの……?」
「嬉しいんですよぉ。良音様に自由に使えるお金が用意されてるってことが!ふっふふ~ん♪」
我が事のように喜んでくれる彼女の様子に、厚意を素直に受け止められない自分が嫌になる。裏戸家の人々は快く私を受け入れてくれているというのに、どうしても心のどこかで「私は能無し」という言葉を繰り返してしまう。家族にそう言われて育ったのだから仕方ないのだと、割り切ってしまえばいいのに、できない。妖力を持っていないことは事実で、妖術師の家系では無価値なことも事実。旦那様や花音の思いやりを疑ってはいない、私自身が劣等感を拭えないのだ。
心の澱みを抱えながら、私は煌びやかな店内へ足を踏み入れた。
百貨店など生まれて初めて来たものだから、照明の光を反射する商品の輝きだけで目が回ってしまいそうになる。化粧品、アクセサリー、鞄……女性向けの商品が集まったフロアで、私は意識が遠のいてしまうのを必死に堪えた。隣に立つ花音はあれやこれやと指差して盛り上がっているが、今まで生きることに精一杯だった私にはどれがどういう物なのか殆どわからない。とはいえ通路の真ん中で突っ立っているワケにもいかず、とりあえず見て回るべく足を踏み出した。
「わぁ~、凄いですよ良音さま!百貨店とか、初めて来ました!」
「花音もそうなの?」
「実家は田舎ですし、都会で一人暮らしだとこんな高級店に来るお金の余裕は無いですし。奈緒美さまのお供には、力持ちな男性陣が付いて行ってましたから~。」
「そういえばそうだったわね。」
買い物に行くたび、使用人に大量の荷物を持たせて帰ってきていたお姉様。しかもただ男性というだけでなく、筋肉質で容姿の整った男性に目を付けては雇っていた。彼らも彼女にとって、荷物持ちだけでなく『アクセサリー』として扱われていた。お姉様のことを思い出し気落ちしているうちに、あちこちの商品に目移りする花音とはぐれそうになる。
「あっ、ま、待って花音。」
「────ハッ、申し訳ございません良音さま!私ったらつい……」
「うぅん、いいのよ。花音が楽しいなら私も嬉しいわ。」
「ダメですよぉ、今日は良音さまのお買い物に来たんですから。良音さま“が”楽しくないと。」
「わ、わかってはいるのだけれど……」
整然と並ぶ美しいアクセサリーはどれも魅力的だが、つい「私なんかが」と思い手が出ない。メイクも碌にしたことが無い、オシャレのやり方もわからない自分には勿体なく感じてしまう。でも花音の言うことは尤もだし、旦那様からのご厚意も無駄にしたくない。とにかくまず、この煌びやかな空間にあてられた気持ちを落ち着けないと。
あれこれ考えた結果『思い付いたこと』を、少し言い辛いが口に出した。
「花音………その、お願いがあるのだけれど。」
「はい!なんでしょう?」
「えぇと、お互いの立場的には良いことではないのを重々承知の上で………、………………手を、繋いで欲しいの。」
「へっ!?」
萎縮した気持ちから早まる動悸を落ち着かせるには、やっぱり花音に支えて貰うのが一番だと思えた。こうでもしないと、この場所を一人で姿勢を正して歩ける自身が無い。
それに、理由はもう一つある。
「私は今まで家族や友達と買い物なんてしたことも無くて、ましてや誰かと手を繋ぐ機会だって無かった。でも、こうして堂々と花音と並んで買い物をしていいのなら……私にとってお姉様以上に、実の“お姉ちゃん”みたいな存在である花音と手を繋いでみたいと思ったの。………………ダメ、かしら?」
「そ────そんなの断れるワケ無いじゃないですかぁ!ダメじゃないです、全くもってダメじゃないですぅ!!」
「────!ありがとう、花音。」
「嬉しいです……私はずっと、良音さまに何もしてあげられなかったから……。旦那様たちに物申す力も、良音さまをあの家から連れ出す勇気もありませんでした。良音さまを助けられなかったのが、帰省してからもずっと心に残っていて……。でも、良音さまが私をそういう風に思っていてくれていたなんて…………うぅ。」
「泣かないで花音。この世に私を心配してくれる存在が居るという事実だけで、私は今まで生きてこられたのよ。」
「うぅ、良音さまぁ~………」
目を潤ませる花音の手を、そっと握る。彼女は嫌な顔一つせず、しっかりと握り返してくれた。たったそれだけのことで、心がホッと落ち着く。高校まで卒業した歳で「手を繋いで欲しい」なんて子供っぽいお願いだとわかっていたけど、花音が優しく受け入れてくれて嬉しかった。彼女の手を握っていると、眩しく感じていた店内が段々しっかり見えてきた気もしてくる。
「じゃあ、行きましょうか。」
こうしてやっと、真っ直ぐ店内を歩き始めることができた。




