偽物のあやかし
深夜二時の新宿駅東口。
『命の買い取り、いたします』看板の前に、ひとりの客がやってきた。
青ざめた顔をした冴えない男だ。
「あの……本当にここで買い取ってくれるんですか? 実は昨日、歌舞伎町の路地裏で『命の買い取り』って看板を見かけて……」
「?」
クロが不機嫌そうに目を細めた。
「その店で『命を買い取るための鑑別手数料』として、十万円渡したんです……。そしたら『買い取る価値もない命だ』って言われて追い返されたんです。うわさで新宿にも同じ店があるって聞いて、ここも同じなんじゃないかって……」
男の話を聞き、クロが尾をパタンパタンと怒りを露わにする。
「おや、僕たちの偽物ですか。それは興味深いですねぇ」
榊は静かに立ち上がると、怪しく微笑んだ。
「お兄さん。その『別の店』の場所を教えていただけますか?」
深夜二時半。歌舞伎町の奥深い路地裏。
怪しいパイプ椅子の横に『命の買い取りいたします』と書いた雑な段ボールを掲げ、一人の男がいた。
絶望した人間を集め、「寿命を買い取る前に、命の査定費用が必要だ」と嘘をついて金を騙し取っていたのだ。
「ずいぶんと繁盛しているようですねぇ」
暗闇から、静かに榊とクロが姿を現した。
男は眉をひそめ、吐き捨てるように言った。
「なんだお前?お客じゃ…ねえな?」
榊は柔らかな微笑みを崩さず、折りたたみ椅子の前に立った。
「そう見えますか?実は僕も、自分の寿命を買い取っていただきたく思いましてねぇ。……査定していただけますか?」
男は一瞬怪訝そうな顔をして榊とクロの顔を交互に見つめた。
「手を出せ。査定料は先払い十万――」
男はそう言うと、榊の白く細い手を強引に自分の前に引き寄せた。
「乱暴な…」
その瞬間――
詐欺師の顔から一瞬で血の気が引いた。
榊の手に触れた瞬間、人間の脳が耐えきれるはずもない。数百年の刻を生きるあやかしの、重く肥大化した途方もない命の濁流が、直接男の頭の中に流れ込んだのだ。
「あ……が……あぁぁぁぁっ! 死ぬ! 命が、重い……! 化け物……化け物だぁぁぁっ!」
男は白目を剥き、自分の頭を抱えてアスファルトのの上を転がり回った。恐怖で狂いそうになりながら、必死に許しを乞う。
「ひぃっ……助けて……ごめんなさい! 騙してました! 嘘です! 命なんて買い取れません!」
榊は冷たく見下ろし、ゆっくりと男の頭上に爪を伸ばした。
「命を商う覚悟もないくせに、真似事をしてはいけませんよ。……他人の絶望を食い物にした報いです」
榊の猫爪が、男の頭上に輝く寿命の数字をゆっくりと撫でる。
爪先からハラハラと舞い落ちたのは金色ではなく黒い砂だった。
「ひあああああっ……!」
寿命を根こそぎ削り取られた男は、一瞬で老人のようにしわがれ、最後は声もなく気絶した。
生き長らえたとしても、二度とまともな精神には戻れないだろう。
クロは男が持っていた札束を前足で突き飛ばした。
「本物の『命の買い取り』がどんだけ恐ろしいか、身をもって知れ」
榊は散らばった黒い砂を冷ややかに見つめ歌舞伎町の夜空へ解き放った。
「さあ、クロ。戻りましょう。……本当の絶望を抱えたお客様が、待っているかもしれませんからねぇ」
紫煙が歌舞伎町の路地裏を包み込み、偽物の惨めな自滅劇に静かな幕を下ろした。
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