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黄金の勇気

深夜二時の新宿駅東口。

冷たい風が吹き抜ける路地裏の隙間に、今夜も小さな看板と折りたたみ椅子が置かれていた。


『命の買い取り、いたします。寿命=10,000円』


「…寒い。どうにかしろ榊」

前足をお腹の下に隠した 香箱座りで、自販機の上からクロが見下ろしている。


榊はクロを自販機の上から下ろして自分の膝の上に置いた。榊のエプロンのポケットにはここに来るときに自動販売機で買ったあつあつの缶ポタージュが入っている。


「悪くない。……おい榊。今夜はなんか、変な気配がするぞ」


クロが耳をピクピクと動かして身を乗り出した。


「怪異の気配ではありませんね。ですが……ひどく小さな足音です」


榊が視線を落とすと、路地裏の暗闇から、おどおどとした人影が姿を現した。


それは、大きなリュックサックを背負った、十歳にも満たない幼い少女だった。

リュックの隙間からはウサギのぬいぐるみが顔を出しており、少女の膝は擦りむいて血が滲んでいる。

深夜の歌舞伎町近くに、小さな子供が一人で迷い込んでいたのだ。


少女は泣き出しそうな目で周囲を見回していたが、やがて足元にある看板の文字を見つけると、ハッと息を呑んだ。


「お、お兄ちゃん……ここ、『命』買ってくれるの……?」


舌足らずな声で尋ねる少女に、榊は驚きを隠さず、静かにかがみ込んだ。


「ええ、そうですが……お嬢さん、こんな夜更けにどうされたのですか? お家の方は?」


少女は小さな拳をギュッと握りしめ、ポロポロと大きな涙をこぼし始めた。


「おばあちゃんが……病院で、ずっと眠ってるの。『もうすぐお空に行っちゃう』ってお母さんが泣いてた……。だから、私のお命をお兄ちゃんにあげる! これで一万円もらったら、おばあちゃんの病気を治すお薬を買えるでしょ……!?」


少女は夜中に家を抜け出し、おばあちゃんを助けたい一心で、街を歩き回ってこの露店を探し当てたのだった。

自分が死ぬという意味すら、まだ正確には理解していない。

ただ「命と引き換えにお金がもらえるなら、それで大好きな人を救える」と信じ込んでいた。


その健気で愚かな純粋さに、クロが言葉を失う。


「……チッ」


榊は優しく表情を和らげると、少女の前に膝をつき、その小さな頭を撫でた。


「お嬢さん。残念ながら、当店は『命の売り買い』しかできません。病気を治す魔法の薬はお店には置いていないのです」


「そんな……っ! じゃあ、おばあちゃん死んじゃうの……!? 私の命、いらないの……!?」


少女がわっと声を上げて泣き出す。

榊は首を横に振ると、ポケットから温かい缶ポタージュを取り出し、少女の小さく冷え切った手に持たせた。


「ですが……あなたが今夜、おばあちゃんを想って暗い道を一生懸命走ってきた『勇気』なら、買い取ることができますよ」


「……ゆうき……?」


「ええ。あなたが恐怖に耐えてここまでやってきた時間を、僕に少しだけ売ってください」


榊がそっと爪をかざすと、少女の頭上から、チリ……と一粒の小さく輝く黄金の粒が引き抜かれた。

少女の体力を奪うこともない、ほんの僅かな「思い出の欠片」だ。


「はい、買い取り完了です。対価の一万円になります」


榊は一万円札を丁寧に折りたたみ、少女の手中に握らせた。


「このお札で、明日おばあちゃんが好きなお花を買ってあげなさい。あなたが笑顔で会いに行くことこそが、どんなお薬よりもおばあちゃんを元気にするはずですよ」


少女は温かい缶ポタージュとお札を抱きしめ、しゃくりあげながら大きく頷いた。


「……うん! お兄ちゃん、ありがとう……!」


直後、路地裏の入口から「おい! こんなところにいた!」と警察官の声が響いた。

娘がいなくなったことに気づいた親が、警察に捜索願を出していたのだ。

少女は警察官に抱きかかえられ、「お兄ちゃん、ばいばい!」と手を振りながら帰っていった。


「柄にもねえことしやがって。ゆいにでも影響されたか?」


クロが鼻を鳴らしながら自販機から飛び降りてくる。その声には、どこか優しい響きが含まれていた。


「どうでしょうね。……ですがクロ、これで準備は整いました」


榊は文鎮の横に置いたガラス瓶を掲げた。

高校生の白い砂、サラリーマンの真鍮色の砂、少女の純粋な黄金の粒――。

多様な人間の『生』の欠片が混ざり合い、瓶の中で重厚な不運の波紋を放ち始めている。


「人間の想いが集まり、運命の天秤が傾くほど……あやかしの因果は強烈に引き寄せられる。そのうち、大物が来ますよ」


夜風が路地裏を強く吹き抜ける。


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