第17章・1:進み続ける意志を持つ者たち
神々が統べる世界。
エデン・ヨミはただ、愛する祖父とともに、穏やかな日々を過ごすことだけを願っていた。
しかし、立て続けに起こった悲劇が、そのささやかな願いさえも奪い去った。
住み慣れた家も、家族も、これまで当たり前だった日常も――すべてが一瞬にして崩れ去り、エデンは自分の知らない世界へと足を踏み入れることになる。
彼の胸に残されていたのは、ただ一つの目的。
謎の敵に連れ去られた祖父を、その手で取り戻すこと。
まだ何の覚悟も力も持たないまま、エデンはあまりにも過酷な道を歩み始めた。
そんな彼が出会ったのは、シュンと名乗る強大な戦士だった。
シュンに導かれ、エデンは英雄を目指す者たちが集う場所――GODS学園へと入学する。
そこで彼を待っていたのは、新たな仲間、強大なライバル、そして神々や怪物、数多の伝説が息づく、これまで想像すらしたことのない世界だった。
すべてを失ったあの日から初めて、エデンは思った。
もしかしたら、ここでならもう一度、自分の居場所を築けるかもしれない――と。
だが、その儚い安息が永遠に続くことはなかった。
かつて祖父を奪い去った者たちが、再び姿を現したのだ。
――ブラック・ライツ。
彼らの目的は、もはや闇の中に潜み続けることではなかった。
この世界そのものと、その頂点に立つ者たちへ、公然と戦いを挑むこと。
そして、その野望を果たすため、エデンの内に眠る謎の力さえも利用しようとしていた。
絶望が世界を覆い――
英雄たちは、次々と倒れていった。
誰もが希望を失い、最後の光さえ消えようとしていた、そのとき。
深い闇の中で、一筋の光が再び立ち上がった。
シュンが、戦場へと帰還したのだ。
彼の力によってブラック・ライツは撤退を余儀なくされ、数百もの命が救われた。
しかし、その勝利がすべてを元に戻したわけではない。
刻まれた傷は消えず、失ったものが帰ってくることもなく、残された数々の謎にも、いまだ答えは示されていなかった。
戦いは終わった。
――だが、エデンの物語は、ようやく始まったばかりだった。
生き残った者たちは、これから選ばなければならない。
あの敗北を、自分たちの物語の結末とするのか。
それとも――
傷つき、倒れ、それでもなお、前へ進み続ける意志を示すのか。
その遥か先。
果てしない雪に覆われた地で、新たな王国が彼らを待ち受けている。
『GODS I』SEASON II
雪の下の王国――ノルク
第17.1話
進み続ける意志を持つ者たち
ヒュウゥゥゥ――!
いつものように、柔らかな風がアカイアの海岸を吹き抜けていく。
オレンジや黄色に色づいた木々が、山々を鮮やかに染めていた。
だが、アテネの街を包む平穏と明るさとは裏腹に、空気の中には肌で感じ取れるほどの異様な緊張が漂っていた。
かつては無垢だった眼差しには、今や決して癒えることのない深い傷が刻まれている。
かつては輝いていた若者たちの瞳も、トラウマが落とした深い闇に覆われていた。
…………。
教室を支配していたのは、沈黙だった。
誰も口を開かない。
誰も意見を述べない。
ただ、年齢にはあまりにも不釣り合いな重荷を背負い、正面だけを見つめていた。
その身体は傷と血にまみれ、激しい痛みに蝕まれていた。
だが、最も深い傷は、彼らの心の奥底に刻まれていた。
――――――
アフロディーテは、その光景を黙って見つめていた。
教え子たちが味わった苦しみを、彼女は痛いほど理解していた。
本当なら、彼らには決して味わわせたくなかった苦しみ。
そうならないよう、彼女なりに力を尽くした。
それでも――守ることはできなかった。
だが、この沈黙をいつまでも続けるわけにはいかない。
「すでに知っている者も多いと思うが、『Tournament of God』は、王が定めた予定どおり開催される」
アフロディーテは、教室中に響く声で告げた。
「アカイアがどれほど困難な状況に置かれていようと、ブラック・ライツのような敵を前に迷いを見せるわけにはいかない――王はそう仰った。だからこそ、抽選は非公開で行われた。その結果、第一回戦の相手はノルクに決まった」
そして、重苦しい空気の中で言葉を続ける。
「規定では、生徒三名が出場することになっている。そこで、現時点のランキング上位三名――ヨヘイ・アクティナ、ロワ・マッチ、そしてゼフ・ミズシマを代表選手とすることに決めた」
…………。
誰一人、喜びの声を上げなかった。
誰一人、反応すら見せなかった。
ただ、沈黙だけがそこに残った。
アフロディーテは重い溜息を吐き、静かに口を開いた。
「今、誰も大会に出たいとは思っていないことは、十分に分かっている。あれほどのことを経験した後なら、なおさらだ」
彼女の声には、深い理解と苦悩が滲んでいた。
「だから、三人の選手が揃わなかった場合は、この対戦を辞退することにした。その責任は、すべて私が負う」
その言葉を聞いた瞬間、エデンは驚いた表情で教師を見つめた。
「あの夜、私たちが目にしたものは、大人でさえ簡単に忘れられるものではない……」
アフロディーテは、悔しさと悲しみが入り交じった声で呟いた。
「失われた命も、血も、あの叫び声も……今も頭から離れない」
その瞳が、ほんのわずかに揺れる。
「だが、部屋の隅で泣き続けていても、何も変わらないことも分かっている」
今度は、はっきりと言い切った。
「死んでいった者たちに安らかに眠ってもらうために、私にできることはただ一つ。私自身が精いっぱい生きることだ。生きるために、毎日戦い続けることだ」
そして、祈るように言葉を続けた。
「そうすれば、もしかしたら……本当にもしかしたら、彼らも少しは安らかに眠れるかもしれない……」
…………。
アフロディーテのか細い声を聞き、生徒たちは一斉に俯いた。
拳を固く握り、歯を食いしばる者もいれば、自分にのしかかる重荷から逃れようとするかのように、そっと目を逸らす者もいた。
だが、まさにそのとき――
重苦しい沈黙を切り裂くように、一つの声が響いた。
「俺が行く」
力強い男の声が、教室中に轟いた。
その場にいた全員が、驚きを隠せないまま一斉に振り返る。
「エ、エデン……?」
ユキが目を見開き、呆然と呟いた。
「エデン、お前……正気か?」
シュウが問い詰める。
「たぶんな……」
エデンは、まるで他人事のように答えた。
「エデン……」
「先生の言うとおりだ。これだけのことが起きたあとで、何もせずに立ち止まっているわけにはいかない」
エデンは拳を握り締める。
「あのクソ野郎どもは今も外で好き勝手やってる。それなのに、俺たちはここでただ腕をこまねいてるだけだ」
怒りを滲ませながら、言葉を続けた。
「こんなことになったのは俺のせいだ。だから、俺に文句を言う資格なんてないことも分かってる……」
一度、言葉を詰まらせる。
それでも、エデンは顔を上げた。
「でも……それでも、俺は戦いたい」
(もう迷っている場合じゃない。俺が弱かったせいで、大勢の人が苦しんだ……。数え切れないほどの名前が、数え切れないほどの遺志が、俺のせいで一瞬にして消え去った)
(もう、恐れることは許されない。あのクソどもが俺を欲しがるなら、くれてやる。だが――最後の瞬間まで、あいつらに血を流させてやる)
「僕も行く」
今度は、どこか怯えを含んだ声が上がった。
全員が驚いて振り返る。
そこにいたのは、緊張で身体を強張らせたアイザックだった。
「おいおい、冗談だろ……?」
ジェイクが引きつった笑いを浮かべる。
「冗談なんかじゃない」
アイザックは冷たく言い切った。
「そこの悪魔と一緒に行ったら、何が待ってるか分かってんのか?」
ジェイクはエデンを指し示し、声を荒らげた。
「一番マシなのが死だぞ!」
「おい、ジェイク! その口を閉じろ!」
激昂したシュウが吠える。
「あいつが友達だからって話を逸らすな! お前だって、あいつのそばにいると何が起きるか見ただろ!」
ジェイクも負けじと声を張り上げた。
「お前なら誰よりも、これがどれだけ危険なことか分かってるはずだ!」
「頭のイカれたクソ野郎どもがやったことを、エデンのせいにすんな!」
シュウが怒鳴り返す。
「シュウ、もういい。やめろ」
エデンが静かに制止した。
「でも……!」
「黙れ、ジェイク」
教室の空気を震わせるほどの威圧感を込め、ヨヘイが命じた。
「まさか、お前までそいつを庇うつもりかよ、ヨヘイ」
ジェイクは皮肉な笑みを浮かべた。
「最初にそいつを敵視してたのは、お前だろ?」
そして、吐き捨てるように言い放つ。
「少し仲良くなったからって、今さら庇おうとするなよ。この偽善者が」
「別に庇っているわけじゃない」
ヨヘイは冷静に言い返した。
「だが、あの夜に起きたことなら、本人が誰よりもよく分かっている」
その鋭い眼差しが、ジェイクを射抜く。
「開始早々に倒された馬鹿に、わざわざ思い出させてもらう必要はない」
「てめぇ……」
「ごめん、ジェイク。でも……」
アイザックは震える両手を、強く握り締めた。
「僕はもう、こんなに弱いままでいたくない」
その声は震えていた。
それでも、瞳に宿った決意だけは揺らがなかった。
「自殺行為だって分かってる。死ぬかもしれないことも……」
一度息を呑み、それでも言葉を続ける。
「でも、戦わなきゃいけないことも分かってるんだ」
そして、自らに問いかけるように言った。
「自分の弱さと向き合うことさえできないなら……僕は何のためにここにいるんだ?」
その言葉を聞き、仲間の瞳に宿る覚悟を目の当たりにしたジェイクは、悔しそうに歯を食いしばった。
「チッ……」
忌々しそうに舌打ちし、視線を逸らす。
「……勝手にしろ」
(この子たち……)
アフロディーテは、驚きを隠せないまま三人を見つめていた。
(どうして、あれほどのことがあったというのに、その瞳は今もこんなに強く燃え続けていられるの……?)
「先生が許してくださるなら、俺も行きます」
シュウはそう申し出ると、深く頭を下げた。
「シュウ……」
エデンが小さくその名を呼ぶ。
「加減を知らない馬鹿二人だけで行かせるわけにはいかないからな。誰かが手綱を握らないと。そうだろ?」
「じゃあ、頼んだぞ」
エデンは満面の笑みを浮かべて答えた。
(この子は……いったい何が、これほどまでに強い意志を支えているの……?)
アフロディーテは、エデンを見つめながら自問した。
「先生。これで三人揃った……そういうことでいいんですよね?」
「え……ええ……。異論のある者は?」
だが、その問いに答える者は誰一人としていなかった。
教室は、ただ静まり返っていた。
「それじゃあ――そろそろノルクへ向かう荷造りを始めましょう」
アフロディーテは、期待と同じだけの恐れを滲ませた笑みを浮かべて告げた。
「シュウ・サジェス、アイザック・ヨイ、エデン・ヨミ――覚悟はできているわね?」
「はい!」
三人の声が、寸分違わず重なった。
…………。
記憶は、風に舞う塵のようにゆっくりと薄れていき、生徒たちの意識を現在へと引き戻した。
馬車の外では時空が激しく捻じれ、果てのない不確かな空間の中で、異なる世界が混ざり合っていた。
旅の行き先は、確かに一つに定まっている。
だが、彼らを待つその王国には、予想もつかない出来事と数々の転機が待ち受けていた。
それらは、三人の若者だけではない。
やがて、世界そのものの運命さえ左右することになる。
しかし、あらゆるものが不確かな旅路の中で、エデンの胸には、ただ一つだけ揺るぎない想いがあった。
(俺はもう二度と――逃げない)
読者の皆さん、こんにちは!
今回も最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。楽しんでいただけたなら嬉しいです!
今回のお話は前回の出来事の続きであり、『GODS I』の第2シーズンとなります。
この章を楽しんでいただけたことを願っています。それでは、また次のお話でお会いしましょう!
いつまでも、GODS!




