第16章・4:待ち受けるもの
【アケア王国・コリントスのポリス】
穏やかな海風が、
その土地の海岸を優しく包み込んでいた。
波は静かに岩へ打ち寄せ、
黄金色の砂浜を柔らかく濡らしていく。
そしてそこには――
世界で最も白い大理石によって造られた巨大な屋敷が存在していた。
その場所にいたのは、
最も聡明なる女神――アテナ。
「あなたから呼び出されるなんて珍しいわね」
アテナは波が踊る海を眺めながら口を開く。
「あなたって、どちらかと言えば閉鎖的なタイプでしょう?」
シュンは静かに紅茶を差し出しながら答えた。
「俺は神が嫌いだ」
「……でも、手を差し伸べてくれた相手には感謝するべきだってことくらいは学んだ」
「ふふっ」
アテナは小さく笑い、
ティーカップを受け取る。
「それで?」
「今日は何を話したいの?」
「この前の件の礼を言いたかっただけだ」
シュンは静かに続ける。
「あなたがいなければ、ヨゲンの計画は成功していたかもしれない」
「謙遜しないで、シュン」
アテナは紅茶を口に運びながら言った。
「たとえ私が協力していなくても、あなたならきっと何とかしていたわ」
「いつだってそうでしょう?」
シュンは静かに目を細める。
「俺は、“起きなかった可能性”より、“実際に起きた結果”を見るタイプなんだ」
「……本当に、何にでも答えを持ってるのね」
「まあ、そんなところだ」
肩をすくめながら答えるシュン。
アテナは小さく笑い、
再び紅茶を口にした。
だがそのまま、
彼女の意識はどこか遠くへ沈んでいく。
その様子に気づいたシュンは、
静かに問いかけた。
「……まだ、あいつのことを気にしてるのか?」
「え?」
「何の話?」
「悪いけど、あなたは感情を隠すのが下手だ」
「目を見れば分かる」
「心配してるだろ」
その言葉に、
アテナは苦笑する。
「ふふっ……それをあなたが言うの?」
シュンは静かに海を見つめたまま続ける。
「安心しろ」
「きっとあいつは大丈夫だ」
「かなり強い」
「エデンから聞いた」
「毎日死ぬ気で鍛えてるらしいな」
「それに……あいつ、あなたの頭の良さまで受け継いでるみたいだ」
「いい子に育てたな」
その言葉に、
アテナは自然と微笑んだ。
だがその笑みは、
どこか脆く、
そして寂しげだった。
――――
「……でも」
シュンの声音が少しだけ重くなる。
「もう、“本当のこと”を隠し続けるのはやめた方がいい」
「それはあいつ自身を傷つけるだけじゃない」
「今の役割を演じ続けてるあなた自身も壊してる」
アテナは静かに目を伏せた。
「……言えないのよ」
「このまま隠し続ければ、真実を知った時、あの子の心は耐えられない」
「時間が経てば経つほど、傷は深くなるぞ」
「まだ……あの子は知る準備ができてない」
アテナは小さく呟く。
「私はもう十分、あの子を傷つけてきた」
「これ以上、ようやく手に入れた小さな幸せまで奪いたくないの」
「たとえ私がどんな代償を払うことになっても」
「たとえ、あの子に憎まれることになっても」
「……私は全部受け入れるつもりよ」
シュンは深くため息をついた。
「どうしてそこまで頑固なんだ?」
その問いに、
アテナは静かに笑う。
「だって――」
「私は、神様だもの」
シュンは小さく目を細め、
静かに言った。
「……後で“忠告しなかった”とは言わせないからな」
. . .
「ところで、シュン」
アテナは海を眺めたまま、
ふと思い出したように口を開いた。
「彼女は元気なの?」
「彼女?」
「……あなたの娘のことよ」
「ああ、あいつか」
シュンは軽く肩をすくめる。
「まあ、順調ってところだな」
「聞いた話じゃ、一年生なのに、もうダイヤモンド級に届いてるらしい」
「さすがね」
アテナは小さく笑う。
「父親が“史上最強の人間”だもの」
「……それでも少し意外だったわ」
「ワタラハ学院に預けたなんて」
「理由を聞いても?」
「単純に、それが一番いいと思っただけだ」
シュンは静かに答えた。
「アマテラスは数少ない存在なんだ」
「あいつみたいな力と傲慢さを制御できるのはな」
「だったら、どうしてあなた自身で育てなかったの?」
その問いに、
シュンは苦笑する。
「認めたくないけど……アドナイス、俺のやり方が大嫌いなんだよ」
「訓練になると妙に真面目で堅いし」
「あなたにそっくりだ、師匠」
その言葉に、
アテナは思わず吹き出した。
「正直に言うと、あなたは本当に手のかかる弟子だったわ」
「オデュッセウスと二人して、授業を全部遊びみたいにしてたでしょう?」
「でも――」
彼女は静かに目を細める。
「武器を握った瞬間だけは違った」
「その目は、誰よりも揺るがない“指導者”の目をしていた」
シュンは穏やかに笑った。
「最高の師匠から学んだからな」
「……謙遜しすぎよ、シュン」
アテナは静かに首を振る。
「もう私は、あなたを弟子なんて呼べない」
「とっくに追い越されてしまったもの」
「でも覚えておきなさい」
彼女の声音が少し鋭くなる。
「あなたのその甘さは、いつか必ず命取りになる」
「心を閉ざさなければ、あなたは死ぬわ」
だが、
シュンは迷いなく答えた。
「それでもいい」
「……本気で言ってるの?」
「俺の人生は、もう俺だけのものじゃない」
「アケアだけじゃない」
「今は世界中が、お前を必要としてるのよ」
「あなたは“英雄”なの」
シュンは静かに笑った。
「悪いな、師匠」
「でも俺は、人間であることを捨てるつもりはない」
「たとえ、そのせいで死ぬとしても」
「……ちゃんと聞いてる?」
「真面目に聞いてます」
「どこがよ……」
アテナは呆れたようにため息をつく。
それでも、
シュンの目は少しも揺らがなかった。
「どうしてそこまで貫こうとするの?」
その問いに、
シュンは静かに空を見上げた。
「昔、約束したんだ」
「この力で、“世界を照らす”って」
「たとえ世界が闇に飲まれても」
「俺はそこに立つ」
「希望を取り戻すための“光”になる」
彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「心を捨てた戦士に意味なんてない」
「俺は、“心”で戦いたい」
「もし俺が人間じゃなくなった時――」
「その時は、もう“シュン”じゃない」
その言葉に、
アテナは深く息を吐いた。
「……それでよく私を頑固呼ばわりできるわね」
「はは」
「もう分かったわ」
彼女は静かに海へ視線を向ける。
「あなたを説得するのは無理みたいね……」
「ねえ、シュン」
アテナは静かに問いかけた。
「あなたは、あの子に何を見たの?」
「どうして、そこまでして守ろうとするの?」
シュンはしばらく黙ったまま、
海の向こうを見つめていた。
そして静かに口を開く。
「――天国と地獄だ」
「一人の人間の中で、その両方が共存しているのを見た」
アテナの目がわずかに揺れる。
「エデンは、お前とも俺とも違う」
「光も闇も、どちらも受け入れられる存在だ」
「相反する二つの力を繋げられる」
「……そんなこと、本来なら神ですら不可能なはずなんだ」
シュンは静かに笑った。
「でも、あいつ一人じゃ無理だ」
「だからこそ、俺たちが必要になる」
「“俺たち”? ちょっと待ちなさいよ」
アテナは呆れたように眉をひそめる。
「私を勝手に巻き込まないでくれる?」
「あの子のこと、私はまだ認めたわけじゃないのよ」
「そのうち変わるさ」
シュンは穏やかに答えた。
「もう少しあいつを知ればな」
「ありえないわ」
「悪いけど――」
シュンは小さく笑う。
「あいつ、“不可能”を叶えるのが好きなんだ」
「それに……」
――その瞬間だった。
強い風が二人の間を吹き抜ける。
その風は、
シュンが抱えていた“最大の秘密”さえも運び去るようだった。
そして――
その言葉を聞いたアテナは、
完全に凍りついた。
「……シュン」
「冗談、でしょう……?」
だが、
シュンは静かに首を横に振る。
その笑顔は、
穏やかなのに、
どこまでも脆かった。
「……あの子には、お前の導きが必要になる」
「お前がいなければ、あいつは勝てない」
アテナは息を呑む。
「そんなこと……」
「俺がお前に頼むのは、お前が一番適任だからだ」
シュンはそっと、
アテナの肩に手を置いた。
アテナは言葉を探すように唇を噛む。
だが、
何一つ返すことができなかった。
「エデンはもう、一歩進んだ」
「新しい恐怖と試練へ向かう道をな」
「……でも、あいつなら乗り越える」
シュンは笑う。
心の底から信じているような、
そんな笑顔だった。
「だって、エデンだからな」
――FIUUUUUUUUU……
大きな風が吹き抜ける。
二人の天才の心を揺らしながら、
夕焼けはゆっくりと海の彼方へ沈んでいった。
そして――
未来を知る彼らが前を見つめるその頃、
アテネの海岸では、
一人の少年が、
まだ見ぬ未来を見つめていた。
……
【同時刻・アテネ】
(……もう、自分の現実から逃げ続けるわけにはいかない)
エデンは強く拳を握る。
(ブラックライツがそこまで俺を欲してるなら――)
(今度は、あいつらに血を流させてやる)
その決意の背後から、
二つの人影が現れた。
アイザック・ヨイ。
そして――シュウ・サジェス。
「覚悟、決まったみたいだな、エデン」
シュウが口角を上げながら言う。
「シュウ……」
「そろそろ世界中に見せつけてやろうぜ」
「俺たちの“意志”をな、悪魔」
その笑顔は、
どこまでも挑発的で、
どこまでも眩しかった。
「……ああ!」
エデンも力強く頷く。
「でも正直、お前が来るのは意外だったよ、アイザック」
シュウが肩をすくめながら言う。
アイザックは小さく笑った。
「エデンの覚悟に……少し心を動かされただけだ」
「それに、他に手を挙げる人間もいなさそうだったからな」
「違いねぇ」
シュウは笑う。
「今の俺たち、周りから見ればただの自殺志願者だろうしな」
「……でも」
彼の目が鋭く光る。
「勝てば全部ひっくり返る」
「その時は、全員に証明してやるよ」
アイザックとエデンは静かに頷いた。
――その時。
「どうやら全員揃ったみたいね」
妖艶な声と共に、
アフロディーテが姿を現した。
「もう一度だけ確認するわ」
「本当にこの道を選ぶのね?」
「今ならまだ引き返せる」
「大会を棄権すれば、それで全部終わるわ」
だが――
誰一人、言葉では答えなかった。
その代わり、
彼らの瞳には、
消えることのない炎が燃えていた。
アフロディーテは小さく笑う。
「……なら、もう言うことはないわね」
「さあ、ノルクへ向かうわよ」
その瞬間、
彼らの前で空間と時間が歪み始めた。
砕けるような光の裂け目から、
純白の翼を持つ美しいペガサスが現れる。
その背には、
黒い木材と黄金装飾で作られた豪奢な馬車。
そしてその上には――
底抜けに明るい笑顔を浮かべた神がいた。
「おっ、誰か送迎頼んだかー!?」
ヘルメスが元気よく叫ぶ。
「ヘルメス……!」
エデンが目を見開く。
「よう、小悪魔!」
「顔つき、ちょっとマシになったじゃねぇか!」
「世界をぶっ壊す準備はできてるか?」
エデンは真っ直ぐ前を見据えた。
「……はい」
「よぉぉぉし!」
ヘルメスは大きく拳を掲げる。
「それじゃあ出発だぁぁぁ!!」
「ヴァイキングの国へ!!」
「「「おおおおおおっ!!」」」
――――
大災厄が起きてもなお、
世界は止まらない。
エスカトス王の命令通り、
《Tournament of God》は続行されることとなった。
たとえ、
それが大きな代償を伴うとしても。
だが王は、
その犠牲すら受け入れる覚悟を持っていた。
雪の下に潜む“裏切り者”を狩るために。
その裏切り者は、
やがて“光の剣”によって裁かれることになる。
――しかし。
世界中の視線が大会へ向けられる中、
雪は静かに、
紅く染まり始めていた。
――――
【ノルク王国・某所】
雪原には、
無数の死体が転がっていた。
どれも無残に引き裂かれ、
原形すら留めていない。
その惨状を、
小さな岩の上から見下ろしている一人の女がいた。
フードの奥で揺れる紫色の瞳。
その視線は、
妖艶で、
狂気的で、
そしてどこまでも美しかった。
「……愛しいエデン」
女は静かに微笑む。
「もうすぐ、また会えるわね……」
雪は静かに降り続ける。
だがその白さでは、
もう血の匂いを隠すことはできなかった。
――TO BE CONTINUED――
皆さんこんにちは!
皆さんの信頼できる作家、ZM_16です!
全90話、16エピソードにわたって続いた
『GODS I ― Season 1』が、ついに完結しました。
少し寂しい気持ちもありますが、
それ以上に、今はとても幸せです。
このリブートを始めた時、
僕は「キャラクターたちの感情や信念を、もっと深く皆さんに届けたい」と願っていました。
そして――
皆さんの応援のおかげで、それを実現できた気がしています。
本当に、本当にありがとうございます!
でも、GODSはまだ終わりではありません。
むしろ、これは“もっと大きな物語”の始まりです。
これから先も、
エデンたちには数え切れないほどの舞台、試練、そして強敵たちが待っています。
次に皆さんと会う時は――
紅き雪が舞う地、《NORK》で。
『GODS I ― SEASON 2:NORK』
2026年8月3日 公開開始。




