第15章・3:流された血
生き残った三人は、
アレックスボルトに先導されながら、
ゆっくりと山を下っていた。
誰一人として口を開かない。
だが、
その沈黙はどんな言葉よりも重かった。
彼らの顔に刻まれているのは、
苛立ち。
恐怖。
そして、
消えることのない傷跡。
アレックスボルトは、
横目でその様子を見つめる。
何か声を掛けようとした――その時だった。
別の声が、
静寂を破る。
「……ありがとう」
「それと……ごめん」
エデンが小さく呟いた。
その言葉に、
リュウザキとヨヘイは目を見開く。
壊れかけた少年を、
信じられないものを見るように見つめた。
「もし二人が来てなかったら……」
エデンは苦く笑う。
「俺、多分……あそこで諦めてた」
「……いや、死んでたかもしれない」
震える声。
それでも彼は、
真っ直ぐ二人を見た。
「なんで助けに来たのかは分からない」
「でも……」
「ほんの少しだけでも」
「二人は俺の“光”になってくれた」
その瞬間。
エデンは深く頭を下げた。
誇り高かった少年の、
心からの感謝。
「……エデン」
リュウザキが小さく呟く。
「俺たちの関係が良くないのは分かってる」
「それでも、俺は二人に借りができた」
「どんな形でも」
「いつでも」
「必要なら命だって賭ける」
迷いのない声だった。
……
「綺麗事で俺を懐柔できると思うなよ、悪魔」
ヨヘイは吐き捨てるように言う。
「おい、ヨヘイ」
「俺たちは別に、お前に何か貸したつもりはねぇ」
ヨヘイは鼻を鳴らした。
「クラスメイトのために戦うなんて、当たり前だろ」
その言葉に、
リュウザキは思わず目を細める。
“クラスメイト”。
初めてヨヘイの口から出たその言葉が、
妙に温かく感じられた。
「……ヨヘイ」
「感謝するなら、俺たちじゃない」
リュウザキは空を見上げる。
「星に感謝しろ」
「……う、うん」
エデンはぎこちなく頷いた。
だがその直後。
ヨヘイは鋭い目でエデンを睨む。
「だが覚えておけ、悪魔」
「お前が少しでも危険だと判断したら――」
「俺は自分の手でお前を殺す」
「お前の闇を消し去る“光”になってやる」
挑発的なその宣言に、
エデンは何も言い返さなかった。
ただ静かに頷く。
自分が今、
どんな立場にいるのか。
それを理解していたからだ。
(……面白い)
アレックスボルトは、
黙ったままエデンを見つめる。
その瞳には、
わずかな興味が宿っていた。
やがて一行は、
アテナイ市街へと辿り着いた。
そして、
そこでようやく。
彼らは今回の戦いがどれほどの惨劇だったのかを、
本当の意味で理解する。
襲撃のことも。
街が壊滅したことも。
頭では分かっていた。
だが――
実際にその光景を目にした瞬間。
誰もが胃の奥を掴まれるような感覚に襲われた。
そこに広がっていたのは、
地獄だった。
鉄の臭い。
焼け焦げた肉の臭気。
それらが街全体を覆い尽くしている。
かつて白く美しかった石畳は、
今や血で紅く染まっていた。
どこを見ても、
崩壊。
炎。
死体。
絶望。
「……なんだよ、これ……」
エデンは吐き気を堪えながら呟く。
「どうしてこんなことに……」
リュウザキは周囲を見渡しながら尋ねた。
「被害状況は?」
アレックスボルトは淡々と答える。
「現時点で確認されている死者は五千人以上です」
「ですが、まだ全体の被害は把握できていません」
その数字に、
空気が凍り付く。
ヨヘイが険しい顔で口を開いた。
「……学生たちは?」
「安心してください」
アレックスボルトは即答する。
「学生側に被害はありません」
「大半が、攻撃範囲外の区域にいました」
「……そうか」
ヨヘイは小さく息を吐いた。
その様子を見ていたエデンは、
ふとアレックスボルトへ視線を向ける。
「……なんでそんなに冷静なんだ?」
「ん?」
「こんな状況なのに」
「全然取り乱してない」
エデンは困惑した表情のまま続けた。
「俺たちとそんなに歳変わらないだろ?」
「なのに……なんで平気なんだよ」
アレックスボルトは少しだけ目を細める。
そして、
迷いなく答えた。
「……人の命が、俺に掛かっているからです」
「もし俺が一瞬でも恐怖や迷いに飲まれれば」
「そのせいで誰かが死ぬかもしれない」
彼は静かに、
瓦礫の街を見渡す。
「別に、何も感じていないわけじゃありません」
「ですが、俺まで崩れれば」
「皆が希望を失ってしまう」
その言葉に、
エデンは息を呑んだ。
そして、
自分の弱さを噛み締めるように呟く。
「……すごいな、あんた」
. . .
やがて一行は、
急ごしらえで作られた避難区域へ到着した。
そこでは数え切れないほどの負傷者たちが、
慌ただしく治療を受けている。
「……本当に地獄だな」
エデンは周囲を見渡しながら呟いた。
至る所に苦しむ人々。
泣き叫ぶ子供。
血塗れの兵士たち。
絶望が、
そこには溢れていた。
「ここなら安全です」
アレックスボルトが淡々と言う。
「治療班も全員配置されています」
「……俺たちも何か手伝えるか?」
ヨヘイが尋ねる。
だがアレックスボルトは首を横に振った。
「その怪我で無茶をしないでください」
「今は休むのが最優先です」
「……分かったよ」
その時だった。
「よかったぁぁぁぁ!!」
勢いよく飛び込んできた影が、
エデンへ抱き付く。
「先生……」
アフロディーテだった。
「もう、本当に心配したんだからぁぁ……!!」
「無事でよかったぁぁ……」
涙声のままエデンを抱き締める。
その後ろから、
全身傷だらけのヘラクレスが歩いてきた。
「だから言っただろ」
「こいつらは簡単には死なねぇって」
彼は口元を吊り上げる。
「アフロディーテ、お前が思ってるよりずっと強い」
エデンは辺りを見回しながら尋ねた。
「先生、ハデス組は……?」
「安心して」
アフロディーテは優しく答える。
「みんな無事よ」
「街を覆ったガスで気絶してるだけ」
その言葉に、
エデンはようやく拳を緩めた。
「……よかった」
「とにかく、まずは治療ね」
アフロディーテは学生たちをテントへ連れて行こうとする。
その背を見ながら、
アレックスボルトが静かに呟いた。
「……面白い生徒たちですね、先生」
アフロディーテは少し驚いた顔をする。
「あなたが誰かに興味を持つなんて珍しいわね」
「特に、あのエデンという少年には興味があります」
アレックスボルトは静かに目を細める。
「彼の中で、“何か”が生まれ始めている」
「そして、その“何か”がどこへ向かうかを決めるのは――」
「あなたとシュンでしょう」
彼は遠くを見るように呟く。
「その怪物が生まれた時」
「彼はどちらへ進むのか……興味深い」
そう言って、
彼はゆっくり歩き出した。
「……アレックスボルト」
「何でしょう?」
アフロディーテは少し不安そうに問い掛ける。
「シュンは……」
「今回のことを後悔してると思う?」
その質問に、
アレックスボルトは立ち止まった。
そして静かに答える。
「シュンは、自分の選択を後悔する人ではありません」
「それに――」
「彼が選んだのは、“駒”ではなく人間です」
アフロディーテは黙って聞いていた。
「誰よりも彼自身が、その選択の代償を理解している」
「だからこそ、これからも背負い続けるでしょう」
「……今までずっとそうしてきたように」
彼は小さく息を吐く。
「俺たちにできるのは」
「ただ、彼の隣を歩くことだけです」
アフロディーテは苦く笑った。
「……そうね」
「ごめんなさい」
「信じてください、先生」
アレックスボルトは静かに言う。
「彼は――俺たちの英雄ですから」
. . .
同じ頃。
その男は、
世界を統べる神々を閉じ込めていた結界の前に立っていた。
その瞳に宿る重圧は、
世界そのものより重い。
そして、
それを理解できるのは彼だけだった。
全てを失う覚悟を持つ者だけが、
背負える重み。
シュンは冷たく呟く。
「……そろそろ出て来い」
「隠れてる鼠共」
彼は静かに手を伸ばした。
次の瞬間。
――バキィィィン!!
裁きのような轟音が響き渡る。
その巨大な結界は、
まるでガラスのように砕け散った。
シュンは圧倒的な静けさのまま、
巨大な扉へ手を掛ける。
そして。
ゆっくりと開いた。
内部にいた神々は、
差し込む光に一瞬目を細める。
血と痛みに染まったその光の中から、
一人の男が現れた。
――シュン。
神々ですら、
責任を問わなければならない男が。




