第13章・3:世界が燃えるのを見る
ゼウスの目は、大きく見開かれていた。
その視線の先にある光景を、
理解することすらできないまま。
彼の表情は、完全に凍りついていた。
王として守ると誓った国。
そのすべてが――
炎に包まれ、
瓦礫と化していた。
街は崩れ、
命は消え、
築き上げてきたものは、
ただの灰と記憶へと変わっていく。
……
他の神々もまた、
動くことができなかった。
誰一人として、
この悪夢から目を逸らせない。
「……いや……」
ゼウスの膝が崩れる。
そのまま、地に落ちた。
「……違う……」
震える声。
圧倒的な存在であるはずの神が、
たった一人の人間によって、
心を砕かれていた。
沈黙。
重く、息苦しい静寂。
だが――
その中で、
一人だけ動いた者がいた。
「……行く」
アヌビスが、立ち上がる。
迷いはなかった。
「どこへ行くつもりだ、アヌビス!」
アマテラスの声が響く。
「決まっている!」
アヌビスの瞳が燃える。
「民が苦しんでいるのに、ここで黙って見ていられるか!!」
拳を握る。
「神が光を示せないなら――」
「俺たちは何のために存在している!!」
そのまま、
人の領域へと続く門へ向かう。
だが――
「……?」
足が止まる。
異様な気配。
「なんだ……これは」
手を伸ばす。
見えない“何か”に触れる。
「通れない……?」
力を込める。
だが、
びくともしない。
(……結界か?)
オーディンは静かに観察していた。
(いつの間に……)
「こんなものに構っている暇はない!」
アヌビスが吼える。
力を込め、
拳を振り抜く。
「待て!!」
アマテラスの叫び。
だが――
遅い。
――――――
ドォンッ!!
凄まじい衝撃。
次の瞬間、
アヌビスの身体が吹き飛んだ。
「アヌビス!!」
アマテラスが駆け寄る。
地面に倒れた彼の身体は、
深い火傷に覆われていた。
意識もない。
「……そんな……」
その手が震える。
「落ち着け」
オーディンの声は冷静だった。
「死にはしない」
「まだ理性が残っていたようだ」
「これ以上の力を使っていれば、命はなかった」
アマテラスの瞳に怒りが宿る。
「……黙れ、老いぼれ」
だが、
オーディンは意に介さない。
「この結界は、外へ出ることを禁じている」
「力を使えば使うほど、反動は大きくなる」
「今できることは一つだけだ」
「……ここで待つこと」
「ふざけるな!!」
ヘルメスが叫んだ。
「民が死んでいるのを見ながら、何もするなと!?」
「そうだ」
オーディンは即答した。
「我々は神だ」
「我々が倒れれば、誰が世界を導く?」
ヘルメスの拳が震える。
「……クソが……」
「気づいているか?」
オーディンは続けた。
「ゼンカが封じられている」
「この結界は、計算され尽くしている」
「我々を閉じ込めるために」
視線が鋭くなる。
「これは偶然ではない」
「時間をかけて準備されたものだ」
「……つまり?」
ウィツィロポチトリが問う。
オーディンは断言した。
「裏切り者がいる」
「ゼウスの側に」
「しかも――」
「かなり近しい存在だ」
場の空気が凍りつく。
その瞬間。
――――――
バチッ……バチバチバチッ!!
ゼウスの身体から、
膨大な雷が溢れ出した。
その瞳に、
雷光が宿る。
国家を滅ぼすほどの力。
だが今、そのすべてが――
怒りに染まっていた。
(……殺す)
(誰であろうと)
(必ず見つけ出して――)
(この手で殺す)
ただ一つの感情だけが、
彼の中で燃え上がっていた。
復讐。
その時――
再び、あの声が響いた。
冷たく。
計算され尽くした声が。
「……見えたか?」
ヨゲンの姿が、歪んだホログラムの中に浮かぶ。
「世界よ」
その一言で、
すべての視線が彼へと向けられた。
「これが――代償だ」
「真実を隠し続けた代償」
燃え続ける都市。
崩れた街。
消えていく命。
「力を持つ者たちの傲慢が」
「無辜の者たちに支払わせた代価だ」
その声は静かだが、
一切の揺らぎがなかった。
「いずれ、この悲劇は」
「世界すべてに降りかかる」
叫び声が響く。
瓦礫の下で助けを求める声。
「この世界は――」
「欺瞞と裏切りの上に築かれている」
「兄弟すら裏切る構造の中でな」
炎が燃え上がる。
崩れ落ちる建物。
「なぜだ?」
ヨゲンの瞳が細くなる。
「なぜ、信じるべき存在が」
「最も残酷な沈黙を選ぶ?」
子供の泣き声。
途切れない。
「なぜ、答えに手が届いた瞬間――」
「それは消される?」
誰かが叫ぶ。
誰かが倒れる。
「時代も、場所も関係ない」
「真実に近づく者ほど」
「この世界から排除される」
炎の中へ飛び込む親。
失われた命を探して。
「アトランティス」
「エルフ」
「星と語る者たち」
「翼を持つ種族」
「そして……悪魔」
「数え切れない種族が消された」
「真実を守るために」
沈黙。
ほんの一瞬。
だがそれは、あまりにも重い。
「その真実は――」
「神に選ばれし者たちですら」
「隠し続けている」
そして、
ゆっくりと口を開く。
「この世界を統べる男は――」
「本来、その座にいるべき存在ではない」
その言葉が落ちた瞬間、
世界がざわめいた。
神々。
人間。
亜人。
すべての種族が揺らぐ。
疑念が広がる。
だが――
雲の上。
その男は、
ただ静かに見下ろしていた。
まるで、
すべてが“遊び”であるかのように。
ヨゲンは続ける。
「なぜ、俺が恐れないか分かるか?」
「こうして顔を晒し、言葉を放つ理由」
わずかに笑う。
「簡単なことだ」
「王も、その配下も――」
「恐れていない」
「殺したければ、やればいい」
挑発。
明確な意思。
「だが、その瞬間」
「俺の言葉は真実になる」
「意味を持つ」
視線が鋭くなる。
「……だがな」
「俺は簡単には死なない」
声が低くなる。
「世界に与える」
「“本当の王”を」
「世界の本質を書き換える力を持つ子供を」
炎がさらに強くなる。
都市が崩れていく。
「たとえ――」
「世界を灰に変えようとも」
「それが代償なら、喜んで払う」
狂気。
だが、確信に満ちた狂気。
そして――
最後の言葉。
「……よく聞け」
「エスカトス」
その名が、重く響く。
「これは――戦争だ」
【同時刻――雲の彼方】
それまで世界を覆っていた影が、
ゆっくりと――
“喰われた”。
まるで存在そのものを塗り替えるように。
そこに現れたのは、
世界を統べる男。
長く、滑らかな黄金の髪が静かに揺れる。
その肌は、
人のものとは思えないほどに完璧で、
まるで精巧に作られた陶器のようだった。
視線を向けた瞬間、
息を呑む。
片方の瞳は、純粋な黄金。
もう片方は――
まるで宇宙そのものを閉じ込めたかのような深淵。
黒の衣。
精緻な金の装飾。
その中でも異様に目を引くのは、
全てを見透かすかのような“二つの眼”の紋様。
そしてその腕には――
十二の指輪。
黄金の鎖で繋がれ、
前腕へと絡みつく。
片耳には“始まり”。
もう片方には“終わり”。
すべてが、
意味を持っていた。
「……なるほど」
静かな笑み。
余裕に満ちた声。
「面白くなってきたな」
その男の名は――
エスカトス。
“王”。
――――――――――
世界は止まらない。
崩壊の中でも、
確実に動き続ける。
駒は配置され、
運命は収束していく。
一つの“真実”が、
世界へと投げ込まれた。
そして――
戦争が始まる。
もはや、後戻りはできない。
その中心にいるのは、
あの少年。
呪われた存在。
彼の運命は、
今、
細い糸の上にあった。
切れれば終わる。
繋がれば――
すべてが変わる。
その糸は、
血に濡れ、
残酷に揺れていた。




