第12章・7:北斗七星
夜は静かに、ギリシャの都を包み込んでいた。
空には無数の星が瞬き、
淡い光が大地を優しく照らしている。
アテナイの最も高い場所。
神の血を受け継ぐ少年は、静かに街を見下ろしていた。
人々の営み。
小さな笑顔。
何気ない日常の一瞬一瞬が、
この世界を形作っている。
(……これが)
(俺が守りたい世界だ)
その瞬間、
ヨウヘイの表情がわずかに引き締まる。
気配を感じ取ったように、ゆっくりと背後へ視線を向けた。
「……隠れているつもりなら、今すぐ出てこい」
「死にたくなければな」
・・・
ガサッ――
茂みがわずかに揺れる。
そこから姿を現したのは、
歪んだ笑みを浮かべたリュウザキだった。
「へぇ……」
「完璧に隠れていたつもりだったんだがな」
低く笑う。
「何の用だ、三流の殺し屋」
ヨウヘイは冷たく言い放った。
「大した用じゃないさ」
「ただ、我らがクラスの天才くんと少し話したくてね」
「それが何か問題でも?」
「お前の場合は問題だ」
リュウザキは肩をすくめながら近づき、
そのまま崖の縁へ立った。
眼下に広がる光に満ちた都市。
「……悪くない景色だ」
「こうして見ると、本当に美しい」
ヨウヘイは彼を観察した。
その瞳に、
敵意が見えなかったからだ。
「この前の件、礼を言っておこう」
リュウザキは街を見つめたまま言った。
「借りを作ったままなのは性に合わない」
「……礼など必要ない」
「ただ、あの悪魔が気に入らなかっただけだ」
「本当に?」
リュウザキが小さく笑う。
「いい加減、自分に嘘をつくのはやめたらどうだ?」
「お前がエデンに抱いているのは憎しみじゃない」
「……嫉妬だ」
ヨウヘイの眉がわずかに動く。
「自分の感情を認めるのが下手だから」
「“悪魔が嫌いだ”なんて理屈に押し込めている」
「……くだらん」
ヨウヘイは否定も肯定もしなかった。
ただ沈黙する。
その態度こそが、
答えのようにも見えた。
「……なぜ俺を選んだ」
ヨウヘイが低く問う。
「止めたかったなら、自分でやればよかっただろう」
「物事は、自然に見える方がいい」
リュウザキは淡々と答えた。
「説得力が必要だからな」
「お前とエデンの関係は、最初から周知されていた」
「少なくとも、皆はそう思っている」
「もし俺が決闘を申し込んでいたら」
「GODSでの立場を失っていたかもしれない」
「なにせ俺は」
「天才でもない」
「危険な悪魔でもないからな」
皮肉めいた笑み。
「それに」
「興味もあった」
「奴の力を、この目で確かめてみたくてな」
「……気味が悪い」
ヨウヘイは短く言った。
「褒め言葉として受け取っておこう」
リュウザキは楽しそうに笑った。
ヨウヘイはゆっくりと、
冷たく歪んだ笑みを浮かべるリュウザキの目を見据えた。
「……なぜ、そこまで奴を評価する」
その問いに、
リュウザキの口元がわずかに吊り上がる。
「お前自身が見ただろう」
「わずか一年にも満たない修練で」
「半神であるお前と互角に渡り合った」
「それだけでも異常だが……」
「奴は死の淵に立った瞬間」
「相反する二つの力を同時に扱った」
「普通なら、お前の一撃を受けた時点で終わっていた」
「だが奴は違う」
「絶望の瞬間に、ほぼ完全に破壊してみせた」
ヨウヘイの視線が鋭くなる。
「……それだけか?」
疑念を含んだ声。
「神の子であっても」
「まだ知るべきではないことがある」
リュウザキは静かに言った。
「いずれ分かる」
「時が来ればな」
リュウザキは背を向ける。
そのまま去ろうとした瞬間、
ふと思い出したように足を止めた。
「……だが」
「今回の件に免じて」
「一つだけ助言をやろう」
「雷の子よ」
ヨウヘイは眉をひそめる。
「何の話だ」
「北斗七星を見失うな」
「そこには、常に答えがある」
「……くだらん」
ヨウヘイは鼻で笑う。
「何だその馬鹿げた助言は」
「……達者でな」
リュウザキは小さく呟き、
そのまま茂みの中へ姿を消した。
「北斗七星、だと……?」
ヨウヘイは思わず苦笑する。
「まったく、あの変人は」
「毎回くだらないことばかり言う」
だが、
妙に引っかかる言葉だった。
無意識のうちに、
ヨウヘイは夜空を見上げる。
満天の星。
アテナイの最も高い場所。
光を遮るものは何もない。
そして、
すぐに見つけた。
北斗七星。
天頂近くに輝く、
七つの光。
どんなに弱い星であっても、
ここでは確かに見ることができる。
どんなに小さな光でも、
この街を照らすことができる。
「……上、か」
まだ意味は分からない。
形もない言葉。
だが、
この助言が
やがて運命を動かすことになる。
・・・
同時刻――
静寂に包まれた神殿。
人の気配すら存在しない、
暗く巨大な空間。
ゼウスは静かに歩みを進めていた。
その視線の先には、
一つの玉座。
石で造られた、
巨大で圧倒的な存在感を放つ王座。
まるで
既に滅びた存在たちの記憶のように
そこに在り続けていた。
表面には
神々よりも古い文字。
手作業で刻まれた
無数のルーンと紋様。
ゼウスはゆっくりと手を伸ばし、
その表面に触れる。
今や自分のものでありながら、
決して満たせぬ座のように感じられた。
「……時は満ちた」
低く、静かな声。
「評議会を招集する」
その頃、
神々は準備を始めていた。
アテナイもまた、
他国の統治者たちを迎える支度を整えている。
光と闇が交差する中、
影は静かに動き続ける。
そして気づかぬうちに――
彼らは既にそこにいた。
すべてを見渡せる場所に。




