第12章・4:罪
互いの視線に宿る緊張は、言葉にするまでもなかった。
父も、子も、
相手に向ける嫌悪を、少しも隠そうとはしない。
誰も聞いていないその場で、ゼウスは低く唸った。
「……何のつもりだ、馬鹿者」
「何の話だよ、クソ親父」
「とぼけるな。自分が何をしたか分かっているはずだ」
怒りを押し殺すことすらせず、ゼウスは吐き捨てた。
「お前は自分だけでなく、エデンまでも危険に晒した」
「それだけじゃない……GODSの施設を一つ、丸ごと破壊したんだぞ」
「何様のつもりだ?」
ヨウヘイは嘲るように鼻で笑った。
「へぇ……今さら俺の心配か?」
「ふざけるな、この愚か者が!!」
ゼウスの怒声が響く。
「もしお前の攻撃がほんの少しでもアテナイの街に届いていたら……」
「今頃、お前は追放どころでは済まなかった」
「安心しろよ」
ヨウヘイは肩をすくめた。
「罪のない人間が住む街を攻撃するほど、俺は愚かじゃない」
「心配無用だ、老いぼれ」
ゼウスの眉間に深い皺が刻まれる。
「……エデンを襲った理由は何だ」
ヨウヘイは真正面から視線をぶつけた。
「むしろ聞きたいのはこっちだ」
「なぜ、あんなものをGODSに入れた?」
「……それはお前の関与することではない」
「大いに関係ある」
若き戦士は断言した。
「少なくとも、あの悪魔の存在に違和感を抱いているのは俺だけじゃないはずだ」
「エデンは悪魔ではない」
ゼウスは即座に否定した。
「いや、悪魔だ」
ヨウヘイの声に迷いはなかった。
「あの禍々しい気配」
「ゼンカ」
「力の質」
「あいつを構成するすべてが、悪魔と同じだ」
「お前こそ知っているはずだ」
「奴らの傍にいる危険性を」
ヨウヘイの瞳が冷たく細められる。
「……それとも」
「七年前のあの悪魔のように」
「甘い言葉にでも騙されたのか?」
「……黙れ」
ゼウスの声が震える。
「その口を閉じろ!!」
怒りに任せ、ゼウスは手を振り上げた。
パァン!!
乾いた音が響く。
しかし――
ヨウヘイはその手首を容易く掴み止めた。
軽蔑に満ちた眼差しを向けながら、静かに言う。
「俺はもう……好きな時に殴られるガキじゃない」
「三流の神様」
ヨウヘイはゆっくりと力を込めた。
ゼウスの手首が軋む。
「忘れたのか?」
低く、押し殺した声。
「……俺は忘れていない」
「今でも聞こえる」
「夢の中で」
「あいつの悲鳴が」
「助けを求める声が」
「少しずつ……消えていく音が」
「お前が与えなかった救いを求めながら」
ゼウスは何も言えなかった。
ただ視線を逸らすことしかできない。
「そうだ」
ヨウヘイは冷たく告げる。
「あの時、お前は目を背けた」
「あれは……完全にお前の責任だった」
「今さら良い父親のふりをするな」
「最初からそんなものじゃなかったくせに」
「俺はただの気まぐれの産物だ」
「だが」
「その気まぐれが」
「お前の王座を終わらせる」
ヨウヘイは手を離した。
そのまま背を向けながら、最後に言い放つ。
「他の連中は信じるかもしれない」
「あの悪魔を受け入れた理由が、何か特別なものを見たからだとな」
「だが」
「お前が信念を曲げた理由は別だ」
「……焦っているんだろう」
ヨウヘイは振り返った。
嘲笑を浮かべながら。
「お前のゼンカは、ゆっくりと蝕まれている」
「だからエデンに“何か”を見た」
「自分の救いを」
「答えを」
「後継者を」
「だが――教えてやる」
「お前は死ぬ」
その言葉は、
神にとって決して存在しないはずの概念だった。
ゼウスの身体が石のように固まる。
「憎み続けてきた存在に」
「お前は近づいている」
「……“死”にな」
ヨウヘイは淡く笑った。
嘲りに満ちた笑み。
「ずっと好き勝手に生きてきた」
「何も失うことなく」
「何の責任も負わずに」
「だが」
「確実に老いている」
「弱くなっている」
「どれだけ威厳という仮面で隠そうとも」
「いつか」
「自分の罪に焼かれる日が来る」
「お前が苦しめてきた者たちは」
「笑いながら」
「お前の皮を剥ぐだろう」
容赦のない宣告。
「たとえ後継者を求めようとも」
「その願いは叶わない」
「気づいた時には」
「お前の支配は終わっている」
「……その時を終わらせるのは」
「俺だ」
重く、冷たい沈黙だけが残った。
憎悪に満ちたゼウスの視線を背に、ヨウヘイはゆっくりと踵を返した。
そのまま歩き出しながら、皮肉めいた声音で言い残す。
「その壮大で美しい孤独を、せいぜい楽しむといい」
「……どうせ、それがお前にふさわしい末路だ」
ヨウヘイの背中は、次第に遠ざかっていく。
ゼウスはただ、その場に立ち尽くしたまま、虚ろな視線で見送っていた。
やがて、その姿が完全に視界から消えた瞬間――
ゼウスの膝から力が抜けた。
地面へと崩れ落ちる。
「……ッ!」
次の瞬間、
「……プハッ!!」
激しく血を吐き出した。
手のひらを覆うほどの大量の血。
その顔色は一瞬にして蒼白へと変わる。
呼吸さえも、山を背負うかのように重い。
ゼウスは震える手で胸元の衣服をわずかに開いた。
そこには――
不気味な紫色の痣が、ゆっくりと身体を侵食していた。
まるで内側から腐食していくかのように。
「……くそ……」
(時間が……ない……)
(何としてでも……止める方法を見つけなければ……)
永遠に最も近いとされた神が、
初めて、自らの命が掌から零れ落ちていくのを感じていた。
不可能だと信じて疑わなかった現実が、
静かに、
確実に、
彼を蝕んでいく。
どれほど絶対的な存在であろうとも、
死から逃れることはできない。
たとえ――神であっても。
・・・
【数分前:ギリシャ劇場裏】
リュウザキは、目の前に立つフードの男を静かに見据えていた。
「……へぇ」
「俺の登場にしては、随分と落ち着いてるじゃないか」
皮肉を含んだ笑み。
しかし、男は何も答えない。
沈黙が続く。
「どうした?」
「舌でも抜かれたか?」
「……リュウザキ・ホシ」
歪んだ声が、静かに響いた。
「おや……」
「俺のことを知っているとは」
「光栄だな、ミスター謎人物」
リュウザキは芝居がかった仕草で軽く礼をする。
「それで?」
「何の用だ?」
「なぜエデンに会おうとした」
男はまっすぐ問いかけた。
「答え次第では」
「腕か、舌を切り落とす」
フードの男は小さく笑った。
その反応に、リュウザキの目がわずかに細まる。
「……何がおかしい?」
「なるほど」
男は呟いた。
「彼らがお前をここへ置いた理由が分かった」
「……どこまで知っている」
「重要ではない」
男は背を向ける。
「背中を見せるな」
リュウザキの声が低くなる。
「死にたくなければな」
「安心しろ」
男は肩越しに答えた。
「戦うつもりはない」
「負けるからな」
軽い笑い。
だが、その言葉には奇妙な重みがあった。
「だが、去る前に一つだけ忠告しておこう」
「忠告?」
「……光が動き始めている」
「気をつけろ」
その言葉を最後に、
フードの男の姿は空気に溶け込むように消えた。
まるで最初から存在していなかったかのように。
「……光?」
その一言が、
リュウザキの思考に深く刻み込まれる。
それは、
これから訪れる大いなる災厄を予兆する言葉だった。
世界を、
不可逆に変えてしまうほどの――
連鎖の始まりを告げる言葉だった。




