第11章・5:本能
張り詰めた空気が、静かにその場を支配していた。
シュウの視線は揺るぎなく、確かな決意を宿している。
それとは対照的に、リュウザキの瞳は冷たく、計算された静寂に満ちていた。
「君と戦えるなんて、光栄だよ――天才くん」
リュウザキは皮肉めいた笑みを浮かべながらそう言った。
「その呼び方、やめてくれないか? 嫌いなんだ」
「どうして? 君は十年に一人現れるかどうかの天才なんだろう?」
「こんなに情けない天才がいるかよ」
シュウは小さく自嘲した。
「へぇ……なるほど」
シュウは視線を逸らさず、目の前の歪んだ殺意を放つ男を見据える。
(どうやってこの怪物を止めるか、ずっと考えていた……)
(だが、こいつのような相手に、理屈だけの作戦は通用しないと分かってきた)
(普通、死や血に深く関わってきた者は、その意図を隠しきれないものだ。だが……リュウザキのゼンカからは何も感じない)
シュウはそのゼンカをじっと観察した。
圧倒的な静寂。
押し潰されるほどの冷たさ。
そこには傷も歪みも存在しない。
まるで生命の輝きを失ったかのような、空虚な闇だけがあった。
(どんな人生を歩めば、こんなにも暗いゼンカになるんだ……?)
それでも、シュウの決意は揺らがない。
(それでも、迷うわけにはいかない。
俺の勝利を待っている人たちがいる。
期待を裏切るわけにはいかない)
シュウは静かに構えを取った。
「――始め!」
合図と同時に、シュウは防御姿勢を取った。
その様子に、リュウザキの口元がわずかに歪む。
(なるほど、無駄を徹底的に省いている……か)
次の瞬間、リュウザキが一気に距離を詰めた。
鋭く、速く、そして容赦のない連撃。
しかし、その攻撃はシュウには届かない。
シュウは圧倒的な精度と速度で、すべてを回避していく。
(やはり……リュウザキは距離を詰める戦いに慣れている)
(戦闘スタイルは、おそらく近接武器の使用を前提としている)
(距離を保てば、適応される前に勝機を掴めるはずだ)
(あとは――)
シュウが後退しようとした、その瞬間。
リュウザキが二歩、静かに後ろへ下がった。
「……何?」
予想外の行動に、シュウの動きが止まる。
「どうした? ただの動きにしては、ずいぶん驚いているようだな」
リュウザキは微笑みを浮かべた。
「ずっと距離を詰め続けると思っていたのか?」
シュウは答えない。
だが、その沈黙こそが動揺の証だった。
(大丈夫だ……迷うな。前に進むだけだ)
シュウは一気に踏み込んだ。
高速の連撃が繰り出される。
しかし、その攻撃もまた、リュウザキには届かない。
まるで次の行動を最初から知っているかのように、すべてを回避していく。
シュウが攻撃のパターンを変えようとした瞬間。
鋭い衝撃が、何度も体に突き刺さった。
乾いた音が、空気を切り裂く。
時間が経つにつれ、シュウの視界が歪み始めた。
(三人……? どうしてリュウザキが三人に見える……?)
それでも攻撃の手を止めることはない。
リュウザキはただ、指先だけでシュウの体を打ち続けていた。
その動きは、まるで蛇が獲物を絡め取るかのようにしなやかだった。
(なんだ……この感覚は……?)
シュウの呼吸が重くなる。
(呼吸が……鉛のように重い……)
(まるでこいつ……俺の動きを、考える前から知っているみたいだ……)
(それだけじゃない……俺の行動に合わせて、本能的に最適な動きを選んでいる……?)
(そんなこと……あり得るのか……?)
ふと、ある記憶がよぎる。
(この感覚……“無力さ”を感じたのは、エデンと戦ったとき以来だ……)
視界が、さらに霞んでいく。
(だが……今は考えるな……)
(何があっても……勝つんだ)
シュウは攻撃姿勢へと踏み込む。
だが、その瞬間。
彼の目が大きく見開かれた。
リュウザキはすでに――
完璧な位置で、カウンターの構えを取っていた。
「どうして……?」
シュウは呆然と呟いた。
再び、自分の動きが完全に読まれていたことに気づいたからだ。
「なるほど……どうやら大きな誤解をしているようだな、天才くん」
リュウザキは静かに言った。
「私が短剣を使うからといって、それが唯一の選択肢だと思ったのか?」
「暗殺者というものは状況に適応し続ける存在だ。
一つの戦い方に依存したり、特定の型を優先したりはしない。
相手に読まれた時点で、それはすでに敗北に等しいからな」
リュウザキは淡々と続ける。
「たとえ両腕を失ったとしても、お前に勝ち目はない。
お前が次の行動を考える頃には、私はすでに適応し、無力化している」
(くそ……)
「お前は、私に読まれた瞬間に負けている」
リュウザキの声には、一切の感情がなかった。
「少しばかり複雑な思考を持っているようだが……
自分の感情も行動も制御できていない」
「怒れば殴る。
嬉しければ笑う。
すべての行動が機械的で、不自然だ」
「お前と戦っていると、まるで子供を相手にしているようで退屈だ」
「……黙れ」
「とはいえ、子供の方がまだ楽しませてくれそうだがな」
冷たく、鋭い笑み。
「黙れと言っているんだ!!」
シュウは怒りに任せて叫んだ。
「ほらな……やはりそうだ」
リュウザキは淡々と続ける。
「挑発されたら怒るとでも学んだのか?
それとも、それが戦いにおける正しい反応だと信じているのか?」
「もう……黙れ!!」
シュウは叫びながら、一気に踏み込んだ。
その瞬間。
リュウザキの口元がわずかに歪む。
瞬きほどの時間で、三度。
鋭く、正確な打撃がシュウの体の急所に触れた。
シュウはその場に立ち尽くしたまま動かない。
(な、何だ……今のは……?)
体は静止している。
しかし、違和感だけが全身を駆け巡っていた。
(構うものか……迷っている時間はない……)
(あの男を、一刻も早く倒さなければ……!)
シュウは怒りに身を任せ、全力で攻撃を繰り出した。
連撃。
蹴り。
打撃。
上段からの振り下ろし。
下段からの突き上げ。
まるで無限の引き出しを持つかのような、多彩な攻撃。
その動きは即興的でありながら、紛れもなく天才のそれだった。
だが――
すべてが空を切る。
巨大な笑みを浮かべた少年には、かすりもしない。
(なぜ当たらない……?)
(これだけ攻撃しているのに、触れることすらできない……)
(まるで足場が無限に広がっているみたいだ……)
(リュウザキも、この世界そのものも……俺を嘲笑っているようだ……)
シュウは焦りに駆られ、さらに攻撃を重ねた。
一撃。
また一撃。
だが、その拳が届くことは決してなかった。
……
その瞬間、場にいた全員が目の前の光景に言葉を失った。
天才と称された少年は――
そこに存在しない何かと戦っていた。
シュウは虚空へ向かって拳を振るい続けていた。
まるで、誰にも見えない敵を追い続けているかのように。
一方で、リュウザキは地面に座ったまま、退屈そうにその様子を眺めていた。
シュウは空へ向かって叫びながら、決して届くことのない影を追い続けている。
その表情には、明らかな焦燥と絶望が浮かんでいた。
「……もう終わらせるべきだな?」
ヘラクレスが不安を滲ませながら言った。
「ええ……」
アフロディーテもまた、恐怖を隠せずに頷いた。
「シュウ・サジェスは戦闘継続が不可能と判断する!
よって、この試合はここまでだ!」
ヘラクレスの宣言が響き渡った。
「ふぁ……ちょうど眠くなってきたところだ」
リュウザキは小さく呟きながら、ゆっくりと体を伸ばした。
そして立ち去る直前。
リュウザキは無造作に手を伸ばし、シュウの後頭部へと正確な一撃を叩き込んだ。
次の瞬間。
シュウの意識は途切れた。
「ゆっくり休め、天才くん」
低く、暗い声が落ちる。
――ドサッ。
乾いた音と共に、シュウの体は力なく地面へ崩れ落ちた。
抵抗することもなく、彼の頬は床に触れる。
リュウザキは振り返ることなく、静かにプラットフォームから降りていった。
その様子を見た仲間たちは、迷うことなく駆け寄った。
エデンがシュウの体を抱き起こす。
「……まだ息はある」
脈を確認しながら、エデンが言った。
「すぐにアスクレピオスのところへ連れて行かないと!」
ヴァイオレットが焦りを滲ませる。
「分かった、俺が連れて行く。
ヴァイオレットはユキについていてくれ」
「大丈夫、そこまでしなくても――」
「強がるな」
エデンは静かに言った。
しかし、その直後。
ユキの瞳に宿る激しい怒りに、エデンは気づいた。
まるで今にも爆発しそうなほどの、抑えきれない憤怒。
「今の状態で一人にするわけにはいかない。
誰かを殺しかねない」
エデンは冷静に続けた。
「悔しい気持ちは分かる。だが、今は怒りに任せて動く時じゃない。
あの男は……そういう感情を利用する」
「……チッ。好きにすればいい」
ユキは舌打ちし、元の場所へ戻っていった。
「ヴァイオレット、頼んだ」
「ええ、任せて。誰も殺させないようにするわ」
軽く冗談を交えながら答える。
「助かる」
……
エデンはシュウを抱えたまま、その場を離れていった。
プラットフォームから離れるにつれて、エデンの表情は徐々に変わっていく。
瞳に宿る光が、冷たく、暗く沈んでいった。
(あいつは……必ず殺す)
シュウの敗北。
それは第四グループにとって、三人目の脱落を意味していた。
だがそれ以上に――
誇りを深く傷つける結果だった。
チーム最強の戦士が、あのような形で地に倒れた。
その光景は、彼らの胸に強い痛みを刻み込んだ。
しかし同時に、その屈辱は彼らの結束をより強固なものへと変えていく。
二度と、あのような屈辱を味わわないために。
それでも、世界は立ち止まらない。
戦いは続く。
ただ一人の勝者が決まる、その瞬間まで。




