第11章・4:増していく痛み
仲間たちの表情には、はっきりとした心配が浮かんでいた。
目の前にいるのは――
誇り高き戦士。
そして、噴水を満たせるほどの血に染まった少年。
「本当に医者は必要ないのか?」
シュウが真剣な表情で問いかける。
「大丈夫だ。」
エデンは落ち着いた声で答えた。
「全然大丈夫じゃない!」
ヴァイオレットが思わず声を上げる。
彼女は布でエデンの顔についた血を丁寧に拭き取っていた。
「ちゃんと診てもらわないと!」
「本当に平気だって。」
エデンは苦笑する。
「それより、シュウは試合に集中した方がいい。」
「ダメ。」
ヴァイオレットはきっぱりと言った。
「ちゃんと診てもらう。」
「……分かった。」
エデンは小さく頷いた。
だが――
その瞬間。
エデンの胸に蘇ったのは、先ほどの感覚。
圧倒的な差。
どうしようもない無力感。
心の奥底から込み上げる、悔しさ。
(弱い。)
その事実が、何度も頭の中で響く。
「……やっぱり、俺は弱いな。」
拳を握る。
「どういう意味?」
シュウが静かに尋ねる。
「ヨヘイに完全に叩き潰された。」
エデンは正直に言った。
「攻撃がどこから来たのかすら分からなかった。」
「シュンを見た時点で、もう驚くことはないと思っていた。」
「でも違った。」
目がわずかに潤む。
「シュンは、ただ俺と遊んでいただけだったんだ。」
「本当の力の1%すら見ていなかった。」
「確かに一発当てた。」
「でも……」
「悔しさの方が大きい。」
拳を握る力が強くなる。
その指先が震えていた。
シュウはその様子に気づく。
何か声をかけようとした、その時――
「自分の努力を過小評価するな、バカ。」
ユキが不機嫌そうに言った。
「最初から分かっていたはずよ。」
「自分の手の届かない怪物が相手だって。」
「それでも戦った。」
「それだけでも大したものよ。」
「ユキ……」
シュウが驚く。
「ヨヘイにあれほどの一撃を当てた人間なんて、ほとんどいない。」
「少しは誇りなさい。」
「でも調子に乗るな。」
「負けたことに変わりはないんだから。」
ほんのわずかに、ユキの口元が緩んだ。
エデンは言葉を失った。
「……熱でもあるのか?」
「親切にしてるのよ、このバカ!」
エデンは思わず笑った。
その笑顔は、先ほどまでの痛みを忘れさせるほど温かかった。
それにつられて、仲間たちの表情も和らぐ。
(祖父さん……)
エデンは心の中で呟く。
(あなたが思っているほど特別じゃないかもしれない。)
(それでも――)
(守りたいものがある限り、何度でも立ち上がる。)
(たとえ、その先に死があったとしても。)
「ありがとう。」
エデンは素直に言った。
「お前もな、ブス。」
「黙れ、バカ。」
ユキが即座に返す。
「ところで、シュウ。」
「ん?」
「リュウザキに勝つ算段はあるのか?」
「もちろんある。」
シュウは笑った。
「たぶん失敗するけどね。」
「それで諦めるのか?」
「まさか。」
シュウの目が真剣になる。
「全力で行く。」
「正直、最悪の相手だけど。」
「それでも――」
「やるしかない。」
「……だな。」
エデンは拳を差し出した。
「勝ってこい。」
シュウはその拳に応える。
「勝利を持ち帰る。」
静かに拳がぶつかった。
それは約束だった。
演習場の反対側では、第一グループもまた、自信に満ちた笑みを浮かべながら集まっていた。
しかし、その中でただ一人、ヨウヘイの表情だけが明らかな苛立ちに歪んでいた。
「おめでとう、おめでとう、天才くん」
ロワは軽く拍手しながら、どこか茶化すように言った。
「何が見えた?」
ヨウヘイは回りくどい言い方をせず、単刀直入に問いかけた。
「え? 何のこと?」
「奴のことだ。あの“悪魔”だ。どんなトリックを使った?」
「ああ……なるほど。つまり、不正を疑っているわけか?」
「それ以外に説明がつかない」
「ただの隙だよ。気にするほどのことじゃない」
ロワは肩をすくめながら、あえて軽く流した。
「気にしないわけにはいかない。あんな取るに足らない存在に、対抗されるなどあってはならない」
「本当に頑固だな……」
ロワは呆れたように小さくため息をついた。
「もし本当に気にするべきことがあるとすれば、その“悪魔”は、そう遠くないうちにお前を超えるということだ」
「あり得ない」
ヨウヘイは即座に否定した。
「たとえどれほど才能があろうと、今の俺のレベルに到達するには時間がかかる。
その頃には、俺はさらに上にいる」
「変化があまりにも微小だから気づいていないのかもしれないが……エデンのゼンカは、止まることなく成長し続けている」
その言葉を聞いた瞬間、場の空気が凍りついた。
意味を理解できず、誰もが言葉を失った。
「おいおい、ロワ……さすがに冗談が過ぎる。そんなこと、あり得るわけがない」
ゼフは不安を隠しきれない様子で口を挟んだ。
「その子に肩入れしているのは分かるが、それはさすがに無理がある。そんな短時間でそこまで進化する存在などいない」
セバスチャンも冷静に指摘する。
「……私も最初はそう思った」
ロワは静かに答えた。
「初めてそれを理解しようとしたとき、思考が壊れそうになった。
だが、間違いない」
ロワの瞳には、確信が宿っていた。
「理由も原理も分からない。だが、お前が攻撃を与えるたびに、エデンのゼンカはわずかに上昇していた。
さらに、あの異常な再生能力まで加われば……近いうちに、確実に脅威となる」
ロワの脳裏に、あの瞬間の光景が蘇る。
エデンのゼンカが砕け、そして同時に再構築されていくような異様な感覚。
「まるで痛みそのものが、彼をより危険な存在へと変えているかのようだった」
ロワは静かに続けた。
「その力の限界がどこにあるのか、私には想像すらできない。
だが、いつか必ず限界点が訪れる。
そして、その時……世界の流れが変わるかもしれない」
「ならば、その前に殺す」
ヨウヘイは一切の迷いなく言い放った。
「何を言っている……?」
ロワの視線が鋭くなり、明確な敵意を帯びる。
「もしあいつに指一本でも触れてみろ。死ぬのはお前の方だ」
「身の程をわきまえろ、ロワ」
ヨウヘイは低く警告した。
張り詰めた空気の中、仲間たちは言葉を失い、ただ唾を飲み込むことしかできなかった。
……
その緊張が限界に達する前に、力強い声が場を切り裂いた。
「休憩は終わりだ!」
ヘラクレスが高らかに告げる。
「リュウザキ・ホシ、シュウ・サジェス。プラットフォームへ上がれ」
一方では、リュウザキが迷いなく前へ進み出た。
その口元には、不気味なほど歪んだ笑みが浮かんでいる。
もう一方では、迷いと恐怖を胸に抱えたシュウが立ち止まっていた。
だが、その瞬間。
彼が振り返ると、そこには三つの見慣れた顔があった。
信頼と期待を込めた、静かな激励の視線。
その視線を受けた瞬間、シュウの足は止まらなかった。
彼は一歩前へ踏み出す。
自らの限界を超えさせる“怪物”へと立ち向かうために。




