第11章・2:二日目
【アテネ郊外 ― 正午】
雲一つない空。
太陽は真上に昇り、容赦なく大地を照りつけていた。
岩と木々に囲まれた広い空間。
そこに集められた生徒たちは、新たな試練を前に立っていた。
その瞳は――
昨日よりも強い炎を宿している。
「ようこそ、皆さん。」
アフロディーテの声が響く。
「ご覧の通り、今日は学院から離れた場所に来ています。」
「理由は単純。」
「本日は、一対一の決闘を行ってもらいます。」
ざわめきが広がる。
「勝利するたびに、ランキングの順位が上昇します。」
「そして、その順位は――」
「トーナメント第一ラウンドへの参加権に影響します。」
「つまり、これから数ヶ月にわたる試練の一つ一つが、あなたたちの未来を決めることになるのです。」
愛の女神は優雅に微笑んだ。
「では、今回の試験の審判を紹介しましょう。」
彼女が後方へ視線を向ける。
深い木々の影の中から――
一人の男が姿を現した。
揺るぎない自信。
山をも砕くような肉体。
その存在だけで、空気が変わる。
ヘラクレス。
多くの生徒たちが歓声を上げた。
伝説の英雄が、今まさに目の前にいる。
(すごい威圧感だ……)
アイザックが緊張した笑みを浮かべる。
(この人の近くにいるだけで安心できる……)
セバスチャンが感心する。
(皮膚を傷つけるには、どれほどの力が必要だろうか。)
リュウザキは冷静に観察していた。
「試験での皆さんの戦いは拝見しました。」
ヘラクレスが穏やかに語る。
「ここまで辿り着くために、多くの努力を重ねてきたことでしょう。」
「今日の戦いも、期待しています。」
「本日の決闘では、私が審判を務めます。」
その声は落ち着いていたが、圧倒的な説得力を持っていた。
「戦闘は――素手のみ。」
「属性ゼンカ、強化ゼンカの使用は禁止。」
「己の肉体のみで戦ってもらいます。」
「ゼンカの使用が確認された場合――」
「即失格です。」
静寂が流れる。
「対戦相手は完全にランダムで決定されます。」
アフロディーテが続けた。
「一度敗北した者に、二度目の機会はありません。」
「各グループのメンバーは、他グループの誰かと対戦します。」
「ただし第一ラウンドでは、同じ相手グループと再び戦うことはできません。」
(つまり――)
シュウは静かに分析する。
(グループ1は圧倒的に有利だ。)
(他の者たちは、彼らと当たらないことを祈るしかない。)
(純粋な力比べなら、あの暴力女は問題ないな。)
エデンはロワをちらりと見た。
(だが俺たちは、運にも左右されるだろう。)
(だとしても――)
(負けるつもりはない。)
呪われた子供の瞳が鋭く光る。
「最後に、今回の採点方式について説明します。」
アフロディーテが指を立てた。
「第一ラウンドで敗北した場合、得点は0。」
「力がすべてではありませんが――」
「生き残るための強さは必要です。」
「第一ラウンドを突破した者は、ランキングに5ポイント加算。」
「以降も同様に、勝利ごとに5ポイント追加されます。」
「このミニトーナメントで最大20ポイントを獲得可能です。」
(少なくとも、この条件で私に勝てる者はいないわね。)
ロワは余裕の笑みを浮かべる。
(唯一、警戒すべきは――ユキ。)
ロワの視線に気づき、ユキは眉をひそめた。
(その笑顔……嫌な予感しかしない。)
(また変なこと考えてるんじゃないでしょうね。)
「それでは――」
アフロディーテが紙を広げる。
「抽選を開始します。」
最初の二枚。
そこに書かれていた名前は――
ヴァイオレット・レカルツ。
そして。
アイザック・ヨイ。
. . .
(予想通りの結果ね。)
地面に倒れたヴァイオレットの姿を見ながら、エデンは静かに思った。
「勝者――アイザック・ヨイ!」
「よくやった、レムール!」
ジェイクが嬉しそうにアイザックとハイタッチする。
「その呼び方、やめてくれないか……」
アイザックは困った表情を浮かべた。
「いいじゃないか、愛情表現だ!」
ジェイクは彼の背中を軽く叩く。
「そ、そうか……」
「彼のこと、知ってる?」
ロワがセバスチャンに視線を向けた。
「いや、あまり。」
セバスチャンは首を振る。
「分かっているのは、アレスの息子だということくらいだ。」
「ただ、推薦ではなく自力で入学したらしい。」
「なるほど……」
ロワは目を細めた。
(近接戦闘の型としては、あまり洗練されていない。)
(むしろ、どこか不自然。)
(間合いの取り方が極端ね……)
(武器に依存している可能性が高い。)
(それに――)
(何かを無理に矯正しているように見える。)
「気になるのか?」
セバスチャンが意味深に笑う。
「まさか。」
ロワは即答した。
「拳は嘘をつかないもの。」
「でも彼は――」
「自分に嘘をついている。」
「なるほど……」
セバスチャンは興味深そうに頷いた。
……
「大丈夫か?」
エデンが手を差し出す。
「は、はい……ありがとうございます。」
ヴァイオレットはその手を取った。
「落ち込む必要はない。」
エデンは優しく微笑む。
「君の相手は、優れた戦士だった。」
「次がある。」
「自分を信じろ。」
「……はい。」
ヴァイオレットは微笑んだ。
だがその笑顔は、どこか無理をしているように見えた。
エデンは一瞬、言葉を失う。
それはまるで――
かつての自分を見ているようだった。
隠したい感情を、無理に押し込めた笑顔。
「どうかしましたか?」
ヴァイオレットが首を傾げる。
「いや……なんでもない。」
エデンは視線を逸らした。
「次の試合。」
アフロディーテが紙を読み上げる。
「ロイ・トレド。」
「ゼフ・ミズシマ。」
「手加減してくれよ、海の王子様。」
ロイが軽口を叩く。
「安心しろ。」
ゼフは鋭い歯を見せて笑った。
「気づく前に終わらせてやる。」
「ルールを忘れるな。」
ヘラクレスが忠告する。
「反則は失格だ。」
二人は無言で視線を交わした。
その瞳には――
抑えきれない闘志。
「始め!」
次の瞬間。
ゼフが先に動いた。
ロイは反射的に防御姿勢を取る。
ゼフの攻撃は荒々しかった。
拳、蹴り、体当たり。
一切の規則性を持たない連撃。
「速すぎる……!」
ロイの背中に冷たい汗が流れる。
ゼフは止まらない。
腕も脚も、全てが武器だった。
「もっとだ!」
「もっと!」
「もっと!」
ゼフは笑いながら攻撃を続ける。
(ポセイドンの息子、ゼフ・ミズシマ。)
アフロディーテは冷静に分析していた。
(この年齢にして膨大なゼンカを持つ。)
(さらに、この野性的な戦闘スタイル。)
(型に慣れた相手ほど対応が難しい。)
(ロイは刀に依存している。)
(武器を失った時、平均的な戦士に過ぎない。)
(この敗北は良い教訓になるでしょう。)
ゼフの連撃は止まらない。
ロイは徐々に後退していく。
足場の端へ追い詰められる。
「終わりだ!」
ドン!
強烈な飛び蹴りが炸裂した。
ロイの体が宙を舞う。
そのまま場外へ落下。
「いい釣果だな。」
ゼフは口元の血を拭った。
「勝者――ゼフ・ミズシマ!」
「今の蹴り、見たか?」
ゼフが興奮した様子で仲間に話しかける。
「うん、すごかったね。」
ロワは興味なさそうに答える。
「セバスチャンはどう思う?」
「え?何の話だ?」
「おい!なんで俺の試合を無視するんだ!」
「戦い方が美しくないから。」
ロワは肩をすくめた。
「君、本当に戦えるのか?」
セバスチャンが冗談めかして言う。
「ヨヘイ!何か言ってやってくれ!」
「まず、話せるようになったことに感謝するべきだ。」
白髪の青年が静かに言った。
「魚に言葉を教えるのは大変なんだ。」
「おい!」
グループ1の間に笑いが広がる。
その中心にいたのは――
白い髪。
黄金の瞳。
王のような存在感。
(あれがヨヘイか……)
エデンは彼を見つめた。
(悪い人間には見えないな。)
しかし――
視線が交差した瞬間。
ヨヘイの目が冷たく染まる。
底知れぬ敵意。
(……どうやら。)
(向こうは、そう思っていないらしい。)
試合は次々と進んでいった。
そして――
次に舞台へ上がったのは、ユキだった。
彼女は余力を残したまま勝ち進んだが、その表情は決して満足していなかった。
「戦え!臆病者!」
ユキが怒鳴る。
ヘラクレスが彼女の肩を押さえ、なんとか制止していた。
「落ち着け、ユキ!」
「戦う気はないわ。」
エリスは気だるそうに言った。
「勝ちはあなたのものよ。おめでとう。」
「逃げるのか!」
「好きに言えばいい。」
エリスは振り返ることなく舞台を降りた。
周囲は困惑したまま沈黙する。
誰も彼女に声をかけようとはしなかった。
下手に刺激すれば、何が起こるか分からない。
「こんなの、勝利じゃない……」
ユキは拳を握りしめる。
悔しさが滲んでいた。
確かに、エリスは戦わなかった。
武人としての誇りを持つユキにとって、それは受け入れがたい結果だった。
……
次の試合は、まるで休む暇も与えなかった。
互いの動きは速すぎて、目で追うだけで疲れてしまう。
(俺じゃ、勝ち目がないな……)
エデンは心の中で呟いた。
ジェイクとセバスチャンの戦い。
激しい攻防の末――
勝者はジェイクだった。
これにより、彼は初めてグループ1のメンバーを破った者となった。
「どうだ、レムール!」
ジェイクが誇らしげに叫ぶ。
「す、すごかった……」
「よし、祝福のハグだ!」
筋肉の塊のような腕がアイザックを締め上げる。
「ぐっ……!」
「このままだと死ぬわよ。」
ルクスが冷静に指摘する。
「あ、すまん。」
ジェイクが慌てて離した。
アイザックの顔にようやく血色が戻る。
「それでも、よくやった。」
リカが水を差し出した。
「リカ……君は本当に優しいな……!」
ジェイクは感動していた。
(単純な人……)
ルクスは温かく微笑んだ。
一方――
敗北したセバスチャンは、うつむいたままグループ1へ戻る。
「仲間にちゃんと評価してもらえるのは羨ましいな。」
ゼフが皮肉を言う。
「悪くなかった。」
ロワが腕を組んだ。
「相手が悪かったわね。」
「似たタイプ同士。」
「いや……違う。」
セバスチャンは拳を握る。
「まるで、俺の動きを全て読まれていた。」
「常に試されている感覚だった。」
「速度で劣っていたわけじゃない。」
「むしろ、俺の方が上だったはずだ。」
「それでも、全て止められた。」
「神の眼か?」
ロワが鋭く問う。
「違う。」
ヨヘイが即座に否定した。
「それを使えば、ルール違反だ。」
ヨヘイは小さく笑った。
「純粋な戦闘の才能だろう。」
「態度は馬鹿だが――」
「我々の誰よりも計算高い。」
「なるほど……」
ロワは興味深そうに目を細める。
「原石、というわけね。」
……
短い休憩の後。
アフロディーテが次の紙を取り出した。
そして――
運命は、無情だった。
「次の試合。」
「ヨヘイ・アクティナ。」
「エデン・ヨミ。」
「……冗談だろ。」
エデンの顔がわずかに歪む。
(運が悪いわね、小さな悪魔。)
ロワは心の中で呟いた。
(これはまずい……)
アフロディーテは内心で焦っていた。
(実力差が大きすぎる。)
(それに――)
(ヨヘイは悪魔を憎んでいる。)
(止めるべきかしら……?)
一瞬の迷い。
しかし。
彼女は見た。
エデンの瞳に宿る炎。
揺るがぬ意志。
(……そうね。)
(前に進むなら、乗り越えなければならない。)
(どうか、運が味方しますように。)
世界の視線が、一つの舞台へ集まる。
そこに立つのは――
最強の候補。
そして、最弱の少年。
神の血を継ぐ者。
闇を宿す者。
光と影が、ついに相対する。
神の後継者。
闇の後継者。
その衝突は――
避けられない運命だった。




