第10章・2:階級
張り詰めた空気が教室を包んでいた。
そこにいる全員の視線には、計り知れない重みが宿っている。
アフロディーテはしばらく何も言わず、静かに彼らを見つめていた。
その瞳に映っていたのは――
炎。
それぞれが抱える過去。
それぞれが刻んだ傷。
ゼンカに残る、決して消えることのない痕跡。
それらは、本人にしか理解できない痛みだった。
そして――
その光景を前に、愛の女神は鋭く微笑んだ。
「いい目をしているわね。」
自信に満ちた声が教室に響く。
「地獄よりも酷いものを経験し、それでも這い上がってきた者の目。」
「ここにいる全員が、普通の人間なら乗り越えられない何かを経験している。」
「だからこそ――あなたたちはここにいる。」
一歩前へ進む。
「あなたたちは“選ばれた者”。」
「どんな試練であろうと乗り越えられる、人類の中でも最上位の存在。」
わずかに頭を下げた。
「おめでとう。」
教室にざわめきが走る。
女神が見せた、わずかな敬意。
それは予想外のものだった。
しかし――
次の言葉が、その空気を一瞬で凍らせる。
ユキは反射的に戦闘態勢を取った。
「けれど、これは始まりに過ぎない。」
アフロディーテの声が低くなる。
「ここにいる大半は神になることを夢見ているでしょう。」
「けれど現実は違う。」
「あなたたちが望む場所には、すでに先人たちがいる。」
「あるいは――」
一瞬の沈黙。
「二十歳になる前に死ぬかもしれない。」
重い言葉が落ちた。
誰も反応できない。
「仮に生き残ったとしても、特別部隊に配属されるのが関の山。」
「それでも頂点を目指すなら――」
鋭い視線が全員を射抜く。
「誰よりも努力しなさい。」
「歩けなくなるほどに。」
「この世界で、誰もあなたたちを助けてはくれない。」
「欲しいものがあるなら、自分の力で掴み取りなさい。」
「なぜなら――」
教室の空気が変わる。
「全員が同じ頂点を目指しているのだから。」
神になる。
その言葉が、静かに響いた。
生徒たちは互いを見た。
まるで空腹の獣のように。
競争相手。
敵。
未来を奪い合う存在。
だが――
その中でただ一人。
エデンだけは前を見続けていた。
揺るがない視線。
迷いを抱えながらも、決して逸らさない覚悟。
それを見た瞬間――
アフロディーテの口元が、わずかに緩んだ。
「知っての通り、GODSでの二年間を終えた後、あなたたちはそれぞれ異なる道を選ぶことになる。」
アフロディーテは静かに歩きながら続けた。
「特殊部隊へ所属するか、あるいは十二家の直轄下で働くか。」
教室の空気が一瞬、重くなる。
「そのために存在するのが――」
わずかな間。
「トーナメント・オブ・ゴッド。」
その名が教室に響いた。
「戦士としての価値を証明し、
力ある者の目に留まる機会となる大会よ。」
「……その大会って何ですか?」
エデンの率直な疑問に、教室中の視線が一斉に向けられる。
「……馬鹿なの?」
ユキが呆れたように言う。
「そのためにここへ来たんじゃないのかい?」
シュウも首を傾げた。
「えっと……違う。」
教室に微妙な沈黙が流れる。
(まったく……英雄気取りの馬鹿は、いったい何を教えていたのかしら。)
アフロディーテは大きくため息をついた。
「トーナメント・オブ・ゴッドは、世界各地に存在する十二の神学校が参加する最大の祭典。」
「勝者には――王の願いが与えられる。」
教室がざわめいた。
「多くの者は、富や名声、絶対的な力を求めてここへ来る。」
「あるいは、美しい伴侶を望む者もいるでしょうね。」
口元に皮肉な笑みを浮かべる。
「ここにいる者の大半が、その“願い”を求めている。」
(王の願い……それほどの力を持つ存在なのか……?)
エデンは静かに考え込んだ。
「だが、その道は決して容易ではない。」
アフロディーテの表情が引き締まる。
「大会へ辿り着く前に命を落とす者も少なくない。」
「この世界では、死は禁じられていない。」
「生きるか死ぬかは――相手の慈悲次第。」
静かな緊張が走る。
「だからこそ、誰もが参加できるわけではない。」
「通常はランキング上位者のみが出場権を得る。」
「つまり――」
視線が鋭くなる。
「授業、訓練、模擬戦。
すべてがあなたたちの順位に関わる。」
「ここが楽な場所だと思っているなら、大きな間違いよ。」
その時、一人の少年が手を挙げた。
白い髪。
黄金の瞳。
「先生。
順位の話が出たということは、すでにランクは決まっているのですね?」
「ええ、その通りよ。ヨヘイ。」
アフロディーテは頷いた。
「現在の実力を基準として、すでに順位は決定している。」
「私たちは“可能性”では評価しない。」
「見えるものだけを信じる。」
「そして――」
静かに続ける。
「もしその評価が間違っていると思うなら、奪い取りなさい。」
「あなたたちより強い者が存在するというだけの話。」
教室に並ぶ学生たちの表情は変わらない。
むしろ――
闘志が燃え上がっていた。
「まあ、その顔を見る限り、言うまでもなさそうね。」
軽く笑った。
そして指を鳴らす。
パチン。
空中に複数のカードが現れた。
金。
銀。
銅。
それぞれ異なる輝きを放っている。
エデンの前へ一枚のカードが舞い降りた。
縁は美しい銅色。
内部には古代のルーン文字が刻まれている。
その一角に記されていた数字。
51
彼の出発点。
「これはあくまで“スタート地点”。」
アフロディーテは静かに言った。
「私たちが間違っているかどうかを証明できるのは、あなただけ。」
「二ヶ月後、ランキングは再評価される。」
「もしその時、今より上にいるなら――」
わずかに笑う。
「どうぞ私の顔を見て笑いなさい。
その覚悟はできているわ。」
生徒たちはそれぞれカードを見つめた。
それぞれの夢。
それぞれの目的。
だが、共通しているものがある。
止まる気など、誰一人としてなかった。
望むものを手に入れるまで。
たとえ――
死が待っていようとも。




