第10章・1:私が選んだ道
夏の夕陽の残り火が、アテネの街を優しく照らしていた。
巨大な山々と果てしない海の間に、
古く壮大な一つの施設がそびえ立っている。
その壁は、長い歴史を刻んだ水晶の柱によって支えられていた。
入口には、美しく咲き誇る花々に囲まれた庭園が広がり、
その中心には、一体の彫像が威厳をもって立っている。
天へと視線を向け、雷を握る神――
ゼウス。
白い大理石で造られたその姿は、
まるで今にも雷鳴を響かせそうな迫力を放っていた。
そして――
その像を地上から見上げているのは、かつて神へ挑んだ少年。
白雲のように純白の制服。
そこに黒と金の線が静かに絡み合い、威厳を与えている。
(ついに……ここまで来た。)
エデンは真っ直ぐに像を見つめた。
(ここまで来るのに、どれだけのものを失ったんだろうな。)
だが――
周囲の空気は、決して歓迎するものではなかった。
学生たちの視線が、突き刺さる。
嫌悪。
警戒。
そして恐怖。
街の人々は表向きには受け入れた。
だが彼らは知っている。
あの日、劇場で何が起きたのか。
そして――
目の前にいる少年が、何者なのかを。
エデンはその視線にすぐ気づいた。
だが、気に留めることはなかった。
ただ静かに、巨大な施設の中へと足を踏み入れる。
…
一歩進むたび、そこは新しい世界だった。
魔術の授業。
剣術の授業。
弓術の訓練。
数えきれない可能性が広がっている。
数か月前の自分なら、
想像すらできなかった光景。
(ここは神のための場所だと思っていたが……違うみたいだ。)
(夢を叶えたいと願う者が集まる場所。
まるで普通の学校のクラブみたいだな。)
ふと、懐かしい顔が脳裏をよぎる。
(今頃、ミヤは何をしているんだろうな……)
(あのバカ、からかう相手がいなくて退屈してるんじゃないか。)
(日本では、どう報道されているんだろう。)
原因不明の爆発。
説明不能な死者数。
何も証拠が残らなかった惨劇。
(ここで見たことを全部話したとしても……
きっと誰も信じないだろうな。)
(鉄を素手で壊す少女や、未来を読む少年がいるなんて言ったら――
普通は頭がおかしいと思うに決まってる。)
小さく笑みが漏れた。
(みんな、無事でいてくれよ。)
その時――
エデンの視線が一枚のプレートに止まる。
クラス1
「ここみたいだな……」
静かに扉を横へ滑らせた。
その瞬間――
無数の視線が彼に突き刺さる。
威圧。
敵意。
沈黙。
エデンは悟った。
ここは歓迎の場ではない。
まるで――
聖域に迷い込んだ異物。
それでも。
迷いを抱えながらも、彼は足を踏み入れた。
止まる理由などない。
ここが、自分の選んだ道なのだから。
その時――
背中を軽く叩く手。
「少し緊張してるみたいだね、エデン。」
「……シュウ?」
「確かに睨まれてはいるけど、思ってるより理性的な連中だよ。
少なくとも、ここでは手は出さないさ。」
「それ、あまり安心できないんだけど……」
エデンは苦笑した。
だが――
その表情には、確かな覚悟が宿っていた。
二人は教室の隅、できるだけ人目につかない席へ腰を下ろした。
それでも――
視線は途切れることなく向けられ続ける。
「どうやら……歓迎されているわけじゃないみたいだな。」
エデンは小さく呟いた。
「何を期待していたんだい?」
シュウはくすりと笑った。
「君の力を見て、ほとんどの生徒が恐怖で気絶したんだ。
むしろ睨まれているだけで済んでいるのは幸運だと思うよ。」
「……そうだな。」
エデンは拳を強く握りしめた。
「あの日のことは聞いた。
本当にすまない、シュウ。君にも大きな傷を負わせてしまった。」
「謝る必要なんてない。」
シュウは静かに首を振る。
「僕たちは、自分の信念のために命を懸けて戦った。
君が全力を見せてくれなかったら、むしろ侮辱された気分になっていたよ。」
「それでも……」
エデンの声はわずかに震えた。
「こんな結末になってほしくはなかった。
多くの人が、俺の弱さのせいで死んだ。」
「多くは、死んで当然の連中だった。」
冷たい声が割り込んだ。
「ユキ……」
シュウが小さく呟く。
「くだらないことを言うなら黙ってろ。」
エデンは鋭い視線を向けた。
「分かっているくせに。」
ユキの言葉は刃のように鋭い。
「多くの人間は歓声を上げていた。
何千人もの若者が目の前で死んでいるというのに。」
「それでも彼らは楽しんでいた。
そんな連中が、本当に無実だと思う?」
「洗脳された子供たちには同情する余地があるかもしれない。
でも、それ以外は――ただの醜い大人よ。」
教室の空気が張り詰める。
「この世界は、あなたが思っているよりずっと残酷よ、エデン。」
ユキは淡々と続けた。
「誰もが救えるわけじゃない。
時には、望むものを手に入れるために手を汚すしかない。」
「この世界はジャングル。
強い者だけが生き残る。」
「正しさと、自分の信念。
どちらを選ぶか、迫られる時が必ず来る。」
「ヒーロー症候群ね。」
皮肉混じりの笑みを浮かべた。
「いずれ気づくわ。
どんな光にも影があるってことに。」
「ユキ!」
「はいはい。」
何事もなかったかのように、彼女はシュウの隣へ座った。
「……たぶん、お前の言う通りなんだろうな。」
エデンは悔しそうに拳を握る。
「でも――」
顔を上げた。
「だからといって、無関係な人間に憎しみを向けるつもりはない。」
真っ直ぐな視線がユキを捉える。
「それが、俺の信じる道だ。」
ユキは静かにエデンを見つめた。
「……今は信じてあげる、悪魔。」
淡々と告げる。
「私も、そんなに清い人間じゃないから。」
わずかに口元を歪めた。
「もし世界を壊したくなったら、私も手を貸してあげる。」
「その怪力は頼りになりそうだ。」
エデンは小さく笑った。
「全員、席につきなさい!」
凛とした女性の声が教室に響く。
その瞬間――
ユキの表情が凍りついた。
「……冗談でしょ。」
視線の先に立っていたのは――
彼女が最も嫌う魔女。
アフロディーテ。
「先生が母親だなんて聞いてないよ。」
シュウがからかう。
「知ってたら入学しなかったわ……」
ユキは乾いた笑いを浮かべた。
「随分と家庭的な環境になりそうだな。」
エデンが冗談交じりに言う。
「……最悪よ。」
(これは地獄ね……)
ユキは心の中で呟いた。
運命の糸は、止まることなく動き始めていた。
過去に刻まれた傷を抱えた三人の若者。
それでも彼らは、前を向くことを選んだ。
傷を忘れたわけではない。
それでも――
意志の強さを証明するために。
こうして、GODSでの最初の一日が幕を開けた。




