第8章・4:決断
――ドォォンッ!!
重々しい扉が、激しく打ち鳴らされた。
その衝撃に、場の空気が一瞬で張り詰める。
神々の視線が、一斉に向けられた。
そして――
現れたのは、一人の少年。
黒髪。
灰色の瞳。
その奥に宿るのは――
消えることのない炎。
揺るがぬ意志。
己の罪すら、背負う覚悟。
「――ゼウス!!!」
天へ届くような咆哮が、空間を震わせる。
次の瞬間。
――シュッ!!
二本の槍が、彼の首元へと突きつけられた。
「動くな!!」
「ここは神域だ!」
衛兵たちの声。
だが――
エデンは、視線を向ける。
ただ、それだけで。
一人の兵が、思わず後ずさった。
本能が、拒絶したのだ。
「な、何をしている!? 躊躇するな!」
もう一人が叫ぶ。
だが。
「……下がれ」
低く、絶対の命令。
ゼウスの声だった。
「し、しかし――」
「その首を刎ねる前に」
静かに言い放つ。
「あの少年に殺されるぞ」
空気が、凍る。
衛兵たちは、言葉を失った。
「……失礼いたしました」
悔しさを噛み殺しながら、頭を下げる。
拳を握りしめたまま。
そして、退場した。
その間も。
エデンの視線は――
一度も、逸れなかった。
ゼウスへと。
「……何のつもりだ」
冷ややかな声。
「ここは神の場だ」
「人間である貴様の存在そのものが、不快だ」
一拍。
「……これ以上、問題を起こすつもりか?」
その言葉に。
エデンは、歩き出した。
一歩。
――ドン。
また一歩。
――ドン。
重い足音が、空間を揺らす。
そのたびに、圧が増していく。
神々でさえ、わずかに息を呑む。
「エデン、やめて!」
アフロディーテの叫び。
「シュン! 止めなさい!」
ヘラの命令。
だが――
誰も、動かない。
シュンも。
ゼウスも。
ただ、見ている。
その覚悟を。
――そして。
「……え?」
ヘルメスの声が、震える。
次の瞬間。
エデンは――
その場に、膝をついた。
片膝を地に。
頭を、深く下げる。
神々の前で。
完全な降伏。
「……俺は、弱い」
静かに。
だが、確かに響く声。
「どういうつもりだ、人間」
冷たい問い。
それでも。
エデンは、顔を上げない。
「許しを乞いに来たわけじゃない」
「お前たちのしたことが正しいとも思ってない」
ゆっくりと、顔を上げる。
その瞳は、真っ直ぐだった。
「……今でも、嫌ってる」
「お前のやり方も――」
「お前自身もな、ゼウス」
空気が、張り詰める。
だが。
「それでも――」
拳を握る。
「今の俺じゃ、お前にも」
「ここにいる誰にも、勝てない」
その現実を。
逃げずに、受け止める。
「……弱いんだ」
「俺は」
沈黙。
「この弱さが――」
声が、わずかに震える。
「全部を壊した」
「勝てなかった」
「負けも、認められなかった」
歯を食いしばる。
「だから、あの力に頼った」
「……結果」
目を閉じる。
「すべてを、巻き込んだ」
重い、告白。
「……シュンの責任だと?」
ゼウスの問い。
「違う」
即答だった。
「全部、俺の責任だ」
神々が、ざわめく。
「シュンは、俺にチャンスをくれた」
「夢を追うための場所を」
拳が、震える。
「でも、応えられなかった」
「……俺が弱かったからだ」
沈黙。
「今でも――」
ゆっくりと、手を見る。
「血が……残ってる気がする」
声が、かすれる。
「叫びが、消えない」
「……でも」
顔を上げる。
その瞳に、光が戻る。
「この重さから、逃げるつもりはない」
はっきりと。
「背負って、生きる」
その言葉は、揺るがない。
「そして――」
視線が、神々を見渡す。
「ここでなら」
「この場所なら」
「俺は、変われる」
「強くなれる」
一歩。
前へ進むために。
「だから――」
深く、頭を下げる。
「チャンスをくれ」
「……前に進むための」
「一度だけでいい」
空気が、止まる。
「……甘い」
ヘラの声。
冷たく、鋭い。
「ここは慈善施設じゃない」
「黙れ」
ゼウスの一言。
雷のように響く。
その視線が、ヘラを貫いた。
「……っ」
言葉を失う。
ただ、視線を逸らすことしかできない。
――沈黙。
神々が、見つめる。
一人の少年を。
罪を背負いながらも――
それでも前を向く、その姿を。
――……
「……続けろ、エデン」
ゼウスの声が、静かに落ちる。
エデンは、ゆっくりと立ち上がった。
そして――
真正面から、その神を見据える。
「決断を下す前に――」
一拍。
「これだけは、言わせてもらう」
その瞳には、揺るがぬ炎。
「人間は……」
拳を握る。
「お前たち神のための“道具”なんかじゃない」
空気が、震える。
「いつか必ず――」
一歩、踏み出す。
「人間の力を証明してやる」
「そして」
まっすぐに、突き刺す。
「その力で――」
「お前を、引きずり下ろす」
――沈黙。
その宣言は。
挑発ではない。
宣戦布告だった。
シュンが、くすりと笑う。
「……いいじゃねぇか」
どこか楽しげに。
「その意気だ」
エデンは、言葉を続ける。
「それまでは――」
「お前の盤の上で戦ってやる」
「お前のルールでな」
一拍。
そして。
「だが最後に勝つのは――」
「俺だ」
「チェックメイトを決めるのは、俺だ」
――その瞬間。
「……クク……」
低い笑いが漏れる。
「ククク……」
次第に。
「ハハ……ハハハハ……!!」
ゼウスが、笑った。
肩を震わせながら。
顔を覆いながら。
狂気すら滲む笑い。
「……面白い」
ゆっくりと、顔を上げる。
その目は、鋭く光っていた。
「傲慢だな、人間」
「命乞いに来ておきながら――」
「よくもまあ、ここまで言えたものだ」
口元が、歪む。
「……気に入った」
空気が、一変する。
張り詰めていた緊張が、別の質へと変わる。
神々が、息を呑む。
「いいだろう」
ゼウスは、一歩近づく。
そして――
その手を、エデンの肩に置いた。
「……え?」
「その挑発――」
低く、楽しげに。
「受けて立ってやる」
歪んだ笑み。
「貴様を、この手で叩き潰すためにな」
だが、その声の奥には――
確かな“興味”があった。
「自らの弱さを認め」
「罪すら背負って、ここに立つか」
「……面白い」
静かに、言い放つ。
「その覚悟――」
「我々神ですら、持たぬ者が多い」
その言葉に。
場が、わずかに揺れる。
「シュンの言葉も、無駄ではなかったか」
その一言に。
シュンの目が、わずかに見開かれる。
「貴様の力は、確かに危険だ」
「理解不能ですらある」
だが――
「それ以上に」
エデンを見据える。
「その在り方が気に入った」
一拍。
「あるいは――」
ふっと、笑う。
「これが、私の誤りになるかもしれんな」
「貴様が、この王座を奪う未来も――」
「あり得る」
だが。
「それでもいい」
その瞳に、雷が宿る。
「私は、簡単には落ちん」
そして――
「賭けてやる」
「この未来に」
手を差し出す。
「エデン・ヨミ」
「いずれ来るその時を――」
「楽しみにしている」
エデンは、その手を見つめた。
そこにあるのは――
敵。
そして――
越えるべき壁。
「……ああ」
迷いはない。
その手を、強く握り返す。
「必ず、証明する」
笑う。
まっすぐに。
「人間が、何者かを」
その握手は――
契約ではない。
宣戦。
そして――
未来への誓い。
――その瞬間。
神々の王は、決断した。
見えない未来へと、賭けることを。
誰にも読めない未来。
神ですら届かない領域。
だが――
それでも。
彼らは選んだ。
信じることを。
人間が、神を超える未来を。
そして。
その最前線に立つ少年は――
最後まで、戦い続ける。
命尽きる、その瞬間まで。




