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第8章・2:内なる怪物

エデンの意識は、ゆっくりと浮かび上がっていった。


ぼやけた視界。


輪郭の定まらない世界。


何もかもが曖昧で――現実感がない。


「……っ」


身体を起こそうとした瞬間、

頭の奥に鈍い痛みが走る。


記憶が、断片的に蘇る。


(……ここは、どこだ……?)


(さっきまで……シュウと戦って……)


(あの手を……取った瞬間……)


(――全部、真っ暗に……)


エデンは周囲を見渡す。


だが――


そこには、何もなかった。


果てのない闇。


どこまでも続く、無限の虚無。


……返ってくる答えは、ない。


――その時。


「クククク……」


不気味な笑い声が、響いた。


まるで、この空間そのものに反響するように。


血の気が引く。


本能が、警鐘を鳴らす。


エデンは即座に構えを取った。


(どこだ……!?)


(この笑い……どこから……!?)


闇が、揺らぐ。


そして――


そこから“何か”が、現れた。


鋭い牙。


闇を裂くような、深紅の眼。


そして――


頭の両端から伸びる、禍々しい角。


それは、人ではない。


明らかに――


“異質”だった。


「ようこそ……ガキ」


低く、歪んだ声。


「なっ……お前は……!?」


エデンの声が、わずかに震える。


「俺の名は――ヴォラトラックス」


一拍。


「痛みを司る、悪魔だ」


空気が、凍りつく。


「……あの時、手を差し出したのは……お前か?」


「そうだ」


あっさりと、肯定する。


「お前があそこで死ぬのは、さすがに早すぎる」


「……つまらねぇからな」


その声音には、明確な愉悦が混じっていた。


「どういう意味だ……?」


「そのままの意味だ」


ヴォラトラックスは、ゆっくりと笑う。


「俺はずっと、お前を見てきた」


「生まれた瞬間からな」


エデンの瞳が揺れる。


「お前が一歩踏み出すたびに――」


「俺も、そこにいた」


静かに、しかし確実に。


その言葉が、心を侵していく。


「お前と俺は、似ている」


「どちらも“痛み”から生まれた存在だ」


「その痛みで、強くなる」


「その痛みそのものが――俺たちだ」


「……違う」


即座に否定する。


「違わねぇよ」


言い終えると同時に――


世界が、歪んだ。


――フラッシュ。


無数の記憶が、溢れ出す。


生まれた瞬間。


幼い日々。


流した涙。


与えられた愛。


痛みと、温もり。


すべてが、混ざり合う。


「これは……」


「ここは、お前の意識の中だ」


ヴォラトラックスが、淡々と告げる。


「生と死の狭間にある場所」


「いわば……“境界”だな」


「死ぬ前に訪れる、最後の場所だ」


その瞬間。


ある記憶が、鮮明に浮かび上がる。


「……じい、ちゃん……」


エデンの目が、大きく見開かれる。


光を失った瞳。


崩れ落ちる身体。


消えていく命。


「……俺は……死んだのか……?」


かすれた声。


「――いや」


即答だった。


「じゃあ、なんでここに……?」


短い沈黙。


そして。


「お前は、あの戦いで“境界”に落ちた」


「本来なら、そのまま死んでいた」


ゆっくりと、言い放つ。


「だが――」


「俺の力が、お前を繋ぎ止めた」


赤い眼が、細く歪む。


「感謝しろよ」


「……命拾いしたんだからな」


――ブゥン……ッ!!


脳が、揺れた。


次の瞬間――


崩壊した劇場の光景が、エデンの意識を貫いた。


瓦礫。


血。


無数の亡骸。


悲鳴。


絶望。


「っ……!!」


胃が、ひっくり返る。


「――う゛っ……!」


エデンはその場に膝をつき、激しく吐き出した。


止まらない。


何度も、何度も。


鉄の匂いが、喉の奥にまとわりつく。


まるで、自分の内側まで血に染まったかのように。


顔は青ざめ、

冷たい汗が額を伝う。


「な、何を……した……?」


かすれた声。


身体は、まともに立っていられない。


「何って?」


闇の中で、笑みが歪む。


「お前の願いを叶えてやっただけだ」


「無辜の学生たちの死を楽しんだ連中を――」


「罰した」


「……違う……俺は……」


言葉が、続かない。


「言ってはいない、な」


淡々と、しかし確実に刺さる声。


「だが、思っただろ?」


「どうやって殺してやろうかって」


「どんな方法で、苦しめてやろうかって」


「……っ」


エデンの視線が、自分の手へと落ちる。


そこには――


血。


真っ赤な血が、こびりついていた。


「隠せると思うなよ」


「お前の“本音”は、全部見えてる」


(俺が……?)


(俺が……やったのか……?)


心が、崩れる。


(……俺は……何なんだ……)


(どんな、怪物だ……)


「エデン・ヨミ」


低く、優しくさえ聞こえる声。


「俺は、お前のすべてを知っている」


「強さも、弱さも」


「俺はお前で――」


「お前は、俺だ」


「……ひとつの存在だ」


エデンは、ゆっくりと顔を上げた。


その先にあるのは――


歪んだ笑み。


底の見えない闇。


「“あの夜”……何もできなかったな」


言葉が、突き刺さる。


「力がなかったからだ」


「だが――」


赤い眼が、妖しく細められる。


「俺がいれば、違う」


「俺に身体を預けろ」


「そうすれば――」


「お前の望みは、すべて叶う」


「もう二度と、失わない」


「……俺は……」


揺れる。


心が、揺らぐ。


「見たくないか?」


囁き。


甘く、危険な声。


「お前の祖父を殺した連中が――」


「地獄を見るところを」


その瞬間。


紫の瞳が、脳裏に焼き付く。


あの夜。


あの笑い。


あの絶望。


忘れられない。


消えない。


焼き付いて、離れない。


――……


「お前は、器として完璧だ」


「俺の力を、最大限に引き出せる」


「二人なら――誰にも止められない」


闇の中から、手が伸びる。


灰色の、細長い腕。


刃のように鋭い爪。


だが――


その掌は、奇妙なほど温かい。


「……そうだな……」


エデンの声は、弱かった。


「今の俺には……力が足りない」


「この世界の理不尽に……抗えない」


拳が、震える。


「俺が望むのは……」


「ただ――」


「この世界が壊れることと……」


「……あいつらが……」


喉が詰まる。


「祖父を……返すことだ……」


沈黙。


「今日だって……」


目を伏せる。


「目の前の現実から、逃げた」


「シュウは、すべてを背負おうとしたのに……」


「俺は……何も……」


拳を、強く握る。


「戦士としての誇りすら……守れなかった」


「……俺は……」


声が震える。


「ただの……無力なクズだ……」


「――なら」


すぐそばで。


囁き。


「受け入れるか?」


差し出される手。


「……」


エデンの視線が、その手に向けられる。


そこにあるのは――


“力”。


すべてを変えられる力。


望みを叶える力。


だが――


その瞬間。


一つの記憶が、よぎる。


――あの、無邪気な笑顔。


シュンの、まっすぐな笑み。


「……っ」


エデンの瞳が、揺れる。


冷たい闇の中で。


ほんのわずかに――


人としての光を、取り戻すように。


……




「――断る」


静かに。


だが、確かな意志を込めて。


エデンは、そう言った。


その顔には――


わずかながら、柔らかな笑みが浮かんでいた。


「……は?」


ヴォラトラックスの声が、わずかに揺らぐ。


「自分が何を言っているか、分かっているのか?」


その声音には、苛立ちが滲んでいた。


「これは誇りの問題じゃねぇ」


低く、怒気を含んだ声。


「この世界は、お前を捨てた」


「俺と同じようにな」


闇が、ざわりと揺れる。


「俺は今、お前に“力”を与えようとしている」


「お前を踏みにじった連中を――」


「全員、地獄に叩き落とすだけの力をな」


「それなのに……」


声が、歪む。


「なぜ拒む……!!」


静寂。


その中で。


エデンは、ゆっくりと息を吐いた。


「……自分で辿り着く」


短く、だが揺るがない言葉。


「自分の力で」


「誰かに頼り続けるわけにはいかない」


その瞳は、もう迷っていなかった。


「それに――」


一瞬だけ、視線が落ちる。


そして、再び前を向く。


「復讐のために」


「人であることを捨てるつもりはない」


沈黙。


そして――


「……愚かな」


吐き捨てる声。


「お前は知っているはずだ」


赤い眼が、鋭く細められる。


「お前は、俺と同じ“怪物”だと」


「……かもしれないな」


否定はしない。


だが。


「それでも――」


一歩、踏み出す。


「今の俺は、人間だ」


「だから、人間として戦う」


その言葉は、静かに。


だが、確かに世界へ刻まれる。


「いずれ壊れるぞ」


低い警告。


「お前の中の“本物”が、必ず表に出る」


「……その時までは」


エデンは、真っ直ぐに見返した。


「人間として抗う」


――沈黙。


やがて。


闇の中に伸びていた手が、ゆっくりと引いていく。


その存在が、わずかに後退する。


「……いいだろう」


ヴォラトラックスの声は、冷たかった。


「次に俺の力を欲した時――」


「その代償は……高くつくぞ」


赤い眼が、最後に歪む。


警告。


あるいは――契約の予兆。


「……じゃあさ」


エデンは、ふっと笑った。


どこか、無邪気に。


「次は、もう少しゆっくり話そうぜ?」


その瞬間。


その姿が、粒子のように崩れていく。


光とも闇ともつかない、細かな欠片となって。


静かに、消えていった。


残されたのは――


沈黙だけ。


「……なんだ、お前は……」


ヴォラトラックスが、ぽつりと呟く。


「……どんな人間だ……」


――……


エデンの意識は、ゆっくりと現実へと沈んでいく。


その胸には――


自覚してしまった“罪”の重さが、深く刻まれていた。


意図せずとも。


無意識であっても。


確かに、自分は奪った。


命を。


その事実は、消えない。


――それでも。


世界は、止まらない。


運命は、進み続ける。


場面は変わる。


アテネの最上層。


神々の領域。


そこには――


十柱の神々が、円卓を囲んでいた。


空席が、二つ。


不在の者たちの存在を、静かに示している。


そして。


少し離れた場所。


シュンが、静かに立っていた。


ただ一人。


その裁きを、待ちながら。


重苦しい沈黙。


誰も、軽々しく言葉を発せない。


そして――


「時は来た」


ゼウスの声が、空間を支配する。


絶対的な威圧とともに。


「議題を提示する」


一拍。


世界の運命を決める、その言葉。


「――呪われた子の処遇について」


さらに、間。


そして。


「死刑とするか否か」


空気が、凍りついた。


「オリュンポスよ」


ゼウスの声が、響き渡る。


「今こそ、決断の時だ」


――……

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