第7章・2: 交錯する想い(アンビバレンス)
「しょ、勝者は……リュウザキ・ホシ!!」
ヘルメスが、隠しきれない畏怖と戦慄を声に滲ませて高らかに宣言した。
「本当に……がっかりだ」
リュウザキは、砂の上に転がった対戦相手の『首』を冷たい目で見下ろしながら低く呟く。
(気がついた時には、俺の刀は奴の防御ごと首を刈り取っていた)
血に濡れた凶刃の輝きを分析するように見つめながら、彼は内心で悪態をついた。(もう少し楽しめるかと思ったのに、結局は命乞いをして喚き散らすだけ。……プライドってもんがないのか?)
(よく吠える犬ほど、中身が伴ってないってことか)
そう結論づけながら、彼は自身の相棒である刀の血糊を、どこか歪んだ愛情を込めるようにして丁寧に拭き取った。
戦場を悠然と立ち去っていく少年の背中から、ゼウスは一瞬たりとも目を離すことができずにいた。
「……何者だ、あの小僧は?」
「リュウザキ・ホシ。……しかし、彼に関する情報はほとんどありません」ヘルメスが答える。
「誰の弟子だ?」
「不明です。彼は完全に単独でこの場に現れました。誰かが彼を『直弟子』として迎え入れたという記録は一切存在しません」
「……ほう」
ゼウスが再び闘技場へと視線を戻すと――そこには、先ほどまで彼らが交わしていた会話の内容を全て把握しているかのような、リュウザキの不敵で挑発的な笑みがあった。
(底知れぬガキだ……)雷帝は内心で舌を巻く。(あの冷酷で計算し尽くされた戦闘スタイル。間違いなく、長年『裏社会』の修羅場を潜り抜けてきた動きだ)
(だが……一体どれだけの地獄を見れば、あそこまで洗練された(無駄のない)殺しができるようになる?)
「どうやら、目を離してはいけない『特異点』が紛れ込んでいるようだな」
ゼウスの顔に、神としての邪悪で歪んだ笑みが浮かび上がった。
……
その後の試合は、驚くほど呆気なく、そして何のドラマもなく淡々と消化されていった。
出場者間の実力差があまりにも絶望的すぎたのだ。どの試合も、開始数分と持たずに決着がついてしまう。
その退屈な一方的展開は、観客席の熱気を急速に冷まし、神々の顔にも明確な『飽き』の色を浮かばせていた。
(全く、拷問のような退屈さだ……)
ゼウスは苛立ちを隠そうともせずに、玉座の上で頬杖をついた。
(第1試合のあの凄まじい死闘以外、残りの試合は一瞬で終わるだけの三文芝居じゃないか)
(だが、認めざるを得ないな。今回の参加者たちの『基礎スペック』は、我々の予想を遥かに超えている)ゼウスは頭の中で分析を続ける。
(セバスチャン・グリアン。炎と光の『全華』を自在に操り、そこから複数の『派生属性』を創り出す圧倒的な汎用性)
(ジェイク・ライト。今大会において最速の戦士。光の全華を極限まで最適化し、他の闘士たちを文字通り『置き去り』にする驚異的なアドバンテージ)
(そして、あの『姉妹』の凄まじい才能。互いに全く異なるベクトルだが、どちらも無視できない規格外の存在だ。ナズに関しては、あと一年技術を磨く猶予がある)
(さらに忘れてはならないのが、すでに『GODS』への入学を確約されている特待生たち――ゼフ、ヨウヘイ、そしてロワ。あの三人のレベルは、疑いようもなく『天才』の領域にある。ここから這い上がる連中と共に、過去最高の世代を形成するだろう)
(……しかし、それでも忘れるわけにはいかない)雷帝の思考が、最後に残った二人の名へと行き着く。
(エデン・ヨミ、そしてシュウ・サジェス。……二人の間にある実力差は天と地ほどもあるはずだが、どういうわけか、あの『天才』にとって一筋縄でいく試合になるとは思えないのだ)
「シュン、お前はどう――」
ゼウスが言葉をかけようとした、その時だった。
シュンが突然、一切の感情を排した厳しい表情で立ち上がり、闘技場の外、遥か遠くの空へと鋭い視線を向けた。
「シュン、どうしたの?」アフロディーテが怪訝そうに尋ねる。
「まさか、自分の弟子の出番が近づいてきて緊張てるのか、英雄殿?」ゼウスが皮肉っぽく笑う。
「……ああ、まあそんなところだ」
シュンは他の神々が戸惑う中、背を向けたまま出口へと向かって歩き始めた。
「愛弟子の試合を見ないつもり?」愛の女神が問い詰める。「もうすぐ始まるのよ?」
「心配する必要なんてねえよ。あいつが勝つに決まってる」
地平線の彼方を見据えたまま、シュンは確信に満ちた声で断言した。
「シュン……」
「後のことは頼んだぜ、クソ神共」
シュンは背中越しに軽く手を振り、そのまま姿を消した。
「一体、何の真似だ?」ヘラクレスが困惑して呟く。
「さあな……」ゼウスが重く答えた。
《――観客の皆様、大変長らくお待たせいたしました。速やかに席へとお戻りください。本日の『最終試合』が、まもなく開始されます!》
……
(一体何の用だ、あいつがこんな所に……!)
闘技場を後にしたシュンは、激しい怒りを胸に秘めながら、一歩ごとにその威圧感と深刻さを増して廊下を進んでいた。
だが、エデンの控室の前に到着した途端、大会運営のスタッフが困り果てた様子で立っているのを見て、足を止めた。
「……どうした?」
「あ、シュン様! 申し訳ありません、エデン様が何度お呼びしても応答されなくて……もうどうしたらいいか」
「なるほどな……。数分だけ時間をくれ、俺が中を見てくる」
「ありがとうございます」
シュンが静かにドアを開けて中に入ると、そこは冷たく薄暗い部屋だった。エデンは部屋の隅で膝を抱え込むようにして座り込んでいた。
「いつまでそこで丸まってるつもりだ、エデン?」
「……この方がいいのかもしれない」
シュンはドアを閉め、弟子の近くに腰を下ろした。エデンの瞳からは、闘志の光が完全に失われていた。
「どうした? これだけ色んな修羅場を潜り抜けてきて、今さら迷ってんのか?」
「そういう問題じゃないんだ……」
「じゃあ何だ?」
「シュウは……どんなに傷ついても絶対に『降伏』なんてしない。俺にはそれが痛いほど分かるんだ」エデンは苦しげに絞り出す。「でも……俺に、あいつの命を奪うことなんてできない」
「あいつは、この場所にやって来た俺を偏見の目で見なかった数少ない人間の一人だ。ほんの一瞬でも、俺を理解しようとしてくれたんだ」
「……こいつは驚いたな」
「え?」
「てっきり、挑戦して負けること(敗北)にビビってるのかと思ったが……そうじゃなかったのか。お前と『勝利』の間を隔てている壁は、自分の中の『人間性』を失うことへの恐怖だったってわけだ」
シュンは微かに口角を上げ、どこか安心したように呟く。
「お前って奴は、本当に頑固で不器用だな。……だが、俺の弟子が、血も涙もないただの怪物じゃなくて本当によかったぜ」
「シュン……」
「お前、ここに来てから、あのクソ神共の思い通りに動いたことなんて一度もなかっただろ?」
「いきなり何だよ、それ?」
「今回だって、同じだ。奴らのルールに黙って従う必要はねえってことさ」
「どういう意味だよ?」
「確かに、あの馬鹿共は『降伏』か『死』の二択しか用意してない。だが……ある意味で奴らの条件を満たせる『第三の選択肢』がある」
「なんだよ、それ?」
「単純な話だ。あいつの『意識を刈り取る(ノックアウトする)』だけでいい」シュンは真剣な眼差しで告げる。「気絶させてしまえば、強制的に『戦闘不能(降伏扱い)』に持ち込める」
「ある意味じゃグレーなやり方だが、ルール上、明確に『禁止』されてるわけじゃない」
「シュン……」
「エデン。いつまでも安全な隅っこでうずくまって、魔法のように問題が解決するのを待ってるわけにはいかないんだぜ」
「今、お前が抱えてる葛藤は痛いほど分かる。だがな……シュウの『戦士としての覚悟』にも敬意を払わなきゃならない」
「もし本当にお前があいつに敬意を示したいなら、今お前にできる唯一のことは……全力を出し切って戦うことだけだ」
「……分かった」
シュンは、エデンの頭に温かい大きな手を置き、乱暴に、しかし愛情を込めてその髪をくしゃくしゃと撫でた。
「お前は本当にいい奴だよ。……そのままでいろ、馬鹿野郎」
「お、おう……」
「さて、そろそろお互い、やるべきことをやるとするか」シュンは立ち上がる。「自分が信じたもののために戦うことを、絶対にやめるなよ」
「ああ!」
背を向けて笑いながら去っていく師匠を見送り、エデンは自身の『黒き剣』へと鋭い視線を向けた。
(自分が信じるもののために戦う……。だったら、あの傲慢な神共の顔面をぶん殴ってやるだけだ)
……
闘技場へと続く通路の出口には、すでにシュウが静かに佇んでいた。エデンの足音を聞きつけると、彼の顔に自然と笑みが浮かぶ。
「来ないのかと思ったよ、エデン」
「待たせたな、シュウ」
「地に落ちる覚悟はできてるかい?」
「悪いが……微塵も手加減するつもりはないぜ、シュウ」
「そうこなくちゃ。簡単に潰れてしまっては、全く面白くないからね」
シュウは、絶対的な自信に満ちた笑みを浮かべて宣言した。
二人の戦士は、己の決断に一切の後悔を抱くことなく、眩い光の射す闘技場へと力強く歩みを進めた。
……
その頃――そこから遠く離れた場所で、世界はすでに制御不能な変化を遂げ始めていた。
「随分と家から遠く離れた場所にいるじゃないか……『ヨゲン』」
シュンは、絶対零度の殺気を込めた声でその男の名を呼んだ。
プラチナブロンドの髪と、黄金に輝く瞳を持ったその男はゆっくりと振り返り、世界の英雄と対峙する。
「これは光栄だな。まさか『英雄』ご本人が、直々に私を出迎えに来てくれるとはね」
ヨゲンは、ひどく皮肉で底知れぬ笑みを浮かべてそう答えたのだった。




