第6章・7: 不完全ゆえの強さ
鋭く、そして確固たる意志を持った姉妹の視線が交錯し――闘技場の時間が完全に凍りついたかのように錯覚させた。
次の瞬間、二人の戦士から爆発的に噴き出した『全華』が、大自然の理すらも揺るがすほどの凄まじい嵐を巻き起こす。
「行くわよ、ナズッ!」
「全力で来て、ユキお姉ちゃん!」
――ズドォォォォンッ!!
一切の躊躇なく、二人は神速で正面から激突した。
剣と剣が噛み合った瞬間に生じた規格外の衝撃波が、観客席の前列にいた者たちを次々と吹き飛ばす。
爆風の真ん中で、姉妹は互いの顔を見つめ合い――満面の笑みを浮かべていた。
――ガキンッ! ガギンッ! ガギィィンッ!
一撃放たれるごとに破壊力は跳ね上がり、彼女たちを支える闘技場の床が悲鳴を上げて砕け散っていく。
互いに次の決定打を読み合いながら、縦横無尽に戦場を駆け巡り、言葉を失うほどの超次元の攻防を繰り広げていた。
やがて、ナズは自身の『全華』で空中に無数の氷の足場を創り出し、その上を駆け上がり始めた。
妹が空中を立体的に飛び回る中、ユキはピタリと動きを止め、静かに両目を閉じた。
ナズの跳躍は秒を追うごとに加速していく。あまりの超高速移動により、残像が生じ、まるで彼女が同時に全方位に存在しているかのように見えた。
「なんて速さだ……!」
ヘルメスが驚愕の声を上げる。
他の神々も、瞬きすることすら惜しむように、この神話劇のような闘いに釘付けになっていた。
高圧の水砲の推進力を利用し、全方位から無数のナズの残像が一斉にユキへと襲い掛かる。
(あの子に防ぐ術はない。これで終わりよ)
上空から見下ろすアフロディーテの顔に、勝利を確信する歪んだ笑みが浮かんだ。
「ユキィィィィィィッ!!」
全方位からのナズの叫び。
「……これが、『全華』……」
目を閉じたまま、ユキは静かに呟いた。
――ガシッ!!
瞬きする間もなかった。
ユキは迷うことなく手を伸ばし、無数の幻影の中から『本物のナズ』の首を正確に鷲掴みにしたのだ。
その瞬間、鏡が割れるように全ての残像が砕け散る。
ユキは一切の容赦なく、掴んだ妹の体を硬質な石英の床面に向かって、防御すら許さない速度で叩きつけた。
――ドガァァァァンッ!! メキィッ!!
ユキの圧倒的な『剛力』が、闘技場の分厚い床を粉々のクレーターに変える。その場にいた全員の顎が外れんばかりの光景だった。
「……嘘、でしょ」
アフロディーテが、信じられないものを見るように唖然と呟く。
「おや……どうやら、風向きが変わってきたようだな」
シュンが皮肉たっぷりに笑う。
「こんなこと……あり得ないわ。ナズは私の『最高傑作』なのよ。全華の制御も、出力も、全ての数値がユキを遥かに凌駕しているはずなのに……!」
「ユキは不完全な『失敗作』……力だって制御しきれていない。こんな結果になるなんて、絶対にあり得ない!」
「間違ってるぜ。あんたは根本的に勘違いしてるんだよ、アフロディーテ」
シュンが、嘲笑うようなトーンで言い放った。
「……何の話よ?」
「あんたの『理論』の話さ。『全華』ってのは、あんたが信じているような、純粋で、完璧に計算されただけの『兵器』じゃないんだよ」シュンは続ける。「確かに、制御が完璧であればあるほど、優秀な戦士にはなるだろうさ」
「だが、『全華』は、あんたら神々が押し付けようとしたそんな窮屈なルールに縛られるものじゃない」
「制御が不完全な奴もいる。だがな……その『不完全さ(カオス)』の中にこそ、真の強さを見出す奴だっているんだよ」
「あんた自身の『全華』だってそうだろ? 人々の愛を糧にして強くなる。その愛がどれだけ純粋だろうが、どれだけ歪んでいようが関係なく、力は増すはずだ」
「ユキは、あんたが忌み嫌って切り捨てた『混沌』の中に、自分だけの完璧な『調和』を見つけたんだよ」シュンは闘技場を見下ろしながら語る。
「そして今日、彼女はずっと自分を縛り付けていた鎖を断ち切る『答え』を手に入れたみたいだな」
「『完璧』が常に最強とは限らない。時には……濁流に身を任せる(・・・・・・・・)ことも必要なのさ」
「……くだらない戯言ね」
愛の女神は、屈辱に顔を歪めてギリッと歯を鳴らした。
「俺の言葉なんて信じなくていいさ。俺も信じさせる気はないしな」シュンは涼しい顔で答える。
「ただ、あの闘技場を見下ろせばいい。……そこにあんたの欲しがってる『答え』がある」
……
アフロディーテが再び戦場へと視線を戻した時、そこには絶え間なく血を流し、ふらつきながらも必死に立ち上がろうとするナズの姿があった。
「……そろそろ降参した方がいいんじゃない、妹?」
「冗談でしょ? せっかく楽しくなってきたところなのに……」
「……その顔、嫌いじゃないわよ」
ユキは不敵な笑みを浮かべると――手放すように、自身の剣を地面へと投げ捨てた。
「一体、何のつもり?」
「あんな型にはまった(四角四面な)、退屈な戦い方にはもう飽き飽きなのよ」ユキは首を鳴らしながら答えた。「ここからは……私のやり方で、少し楽しませてもらうわ」
「な……!?」
ユキは前傾姿勢を深く取り、その両目を猛禽類のように細めた。完全に獲物を狩る『捕食者』の目だ。
「……面白い」
ナズが呟いた次の瞬間。
神速の踏み込みと共に、ユキは強烈な右ストレートをナズの顔面めがけて叩き込んだ。
「くそッ……」
ナズは咄嗟に両腕に『全華』を集中させてガードを固めたが、ユキの理不尽なほどの剛力は、防御の上からでも彼女の骨を軋ませた。
凄まじい慣性力によって、ナズの体は数メートル後方へと吹き飛ばされ、地面を無様に転がる。
だが、彼女が体勢を立て直そうとしたその時、すでにユキは獣のような瞬発力で彼女の背後に回り込んでいた。
「『氷壁』!!」
姉妹の間に、絶望的な防衛本能から生まれた分厚い氷の壁がそびえ立つ。
しかし、ユキの暴力はそれをいとも容易く凌駕した。分厚い氷壁を紙屑のように粉砕し、そのまま強烈な一撃をナズのみぞおちにクリーンヒットさせる。肺から全ての空気が絞り出された。
ナズは再び地面を残酷に転がったが、残された僅かな力を振り絞って再び氷壁を創り出し、どうにか致命傷を避けた。
(この女……一体何でできてるの!?)ナズは激痛に耐えながら内心で悪態をつく。(あの一撃をもらう度に、寿命が削り取られていくみたいだ……)
(限界を超えないと……あの怪物には勝てない!)
圧倒的な威圧感を放ちながら距離を詰めてくる姉を見つめ、ナズは決意を固めた。
「どうしたの? アンタの全開って、その程度なわけ?」
ユキが傲慢に見下ろす。
その直後、濃密な霧が突如として戦場全体を覆い尽くし、視界を完全に奪い去った。
(……何が起きている?)
――ドガァァンッ!!
地面を突き破り、巨大な氷柱が急襲する。ユキは紙一重でそれを躱した。
「……あっぶな」
だが休む間もなく、闘技場の至る所から無数の氷柱が狂ったように突き出し始めた。ユキは息つく暇もなく、その嵐のような刺突を避け続ける。
いくら彼女の反射神経が常軌を逸していても、体力が確実に削られ、鋭い氷が彼女の肌を切り裂いていく。
数秒後。濃霧の中から音もなく現れた数本の氷柱が、ユキの手足を無慈悲に貫いた。
――ガハッ!!
ユキの口から大量の血が噴き出す。そして、貫かれた傷口から急速に霜が広がり、彼女の体を完全に凍り付かせていくのを見つめるしかなかった。
「本当に……しぶといお姉ちゃんだね」
自身の体の半分をも霜で覆いながら、ナズが濃霧の中から姿を現した。「確実にトドメを刺したかったのに、あんなにちょこまか動くんだから」
「でも……ついに捕まえたよ」
……
「――何の話をしてるの?」
凍りついたはずのユキが、不敵な笑みを浮かべて問い返した。
「……嘘、でしょ」
ナズの目の前にいたユキの体が、ゆっくりと『水』に変わって崩れ落ちていく。
今までナズが死に物狂いで戦っていたのは、姉の『幻影(水分身)』に過ぎなかったのだ。
「ゴォォォォォォォォッ!!」
咆哮が戦場の霧を吹き飛ばす。
ナズがゆっくりと振り返ると、そこには――天に向かって剣を高く掲げている本物のユキの姿があった。
そして、彼女の『全華』から顕現した二体の超巨大な『水龍』が、空を覆い尽くさんばかりにうねっている。
「どうして……こんなことが……?」
ナズは完全に理解を超えた光景に立ち尽くした。
「実体を持った分身を作るのは、骨が折れたわ」ユキは高笑いしながら言う。「でも、私がこの大技を準備してる間、私の『野蛮な戦い方』を完璧にコピーして時間を稼いでくれたでしょ?」
「それに……アンタが出したあの霧、最高の目隠しになったわ」
「……どういうこと?」
「これだけ膨大な『全華』のエネルギーが戦場に充満していれば……いくら天才のお前でも、細かい全華の揺らぎ(フェイク)には気づけない」
ユキは誇らしげに見下ろした。「アンタの莫大な力の中に、私の力を少しだけ紛れ込ませた(ハイド・イン)のよ」
「……この、悪魔」
「『海竜の咆哮』!!」
ユキの号令と共に、二頭の巨大な水龍が、太古の言語で咆哮を上げながら、飢えた大蛇のようにナズへと襲い掛かった。
――ズドォォォォォォォォォォンッ!!!
……
穏やかな小雨が、闘技場を優しく包み込んでいた。
降り注ぐ水滴は、雲間から差し込む光に反射し、どこかノスタルジックな温かさを放っている。
その静かで、美しく自由な雨の下で、一人の小柄な女性が――まるで飢えた獅子のように、天に向かって雄叫びを上げた。
「……第1試合の勝者は、ユキ・ツカァァァッ!!」
ヘルメスが興奮の絶頂で宣言する。
闘技場に響き渡る少女の雄叫びは、単なる勝利の歓喜ではない。それは、自分を縛り付けてきた鎖を打ち砕いた『自由』と『反逆』の産声だった。
彼女はついに、己の『創造主』を出し抜いた。
『不完全さ』の中にこそ宿る、圧倒的な『完璧さ』を自らの手で証明したのだ。
そして――彼女はついに、あのアフロディーテの『永遠の春』を、完全に破壊し尽くしたのである。




