第6章・6: 憧れていた姉(おねえちゃん)
「ああああああああッ!!」
「アアアアアアアアッ!!」
――ガギィィィンッ! ドゴォォォォンッ!!
二人の剣の衝突が闘技場全体を激しく揺るがし、巨大な砂埃のドームを作り出した。
観客たちはそのあまりにも獰猛な決闘に言葉を失い、呆然と見入っている。その一方で、姉妹が共有していた『過去の記憶』は、舞い散る砂埃と共にゆっくりと虚空へ溶けて消えていった。
視線が交差した瞬間、二人は一切の躊躇なく同時に踏み込んだ。
獣のようでありながら、神速の斬撃の応酬。その動きは針の穴を通すほど正確でありながら、嵐のような破壊力を秘めていた。
刃が打ち合わせられる度、その衝撃は加速度的に増していく。
ユキは一気に攻撃のテンポ(手数)を引き上げ、ナズを強制的に防戦へと追い込んだ。
秒単位でナズの対応は追いつかなくなり、姉の猛攻に完全に呑み込まれていく。
そして、ユキは迷うことなく、必殺の真っ向からの振り下ろしを放った……。
だが、その瞬間、ナズの顔に皮肉な笑みが浮かぶ。
まるで、その一撃がかつて共有した『あの日の訓練』の記憶を温かく紡ぎ直すかのように。
激しい衝撃により、ユキの剣は凄まじい勢いで弾き返され、彼女の体勢は一瞬だけ完全に崩れた。
その「一瞬」こそが、ナズにとって『全華』の莫大なエネルギーを掌に集中させるには十分すぎる時間だった。
「……終わりだよ」
……
「――引っかかったわね」ユキが、獰猛な笑みを浮かべて言い放つ。
「えっ?」
ユキはその一瞬の隙を逆手に取り、後方へと鮮やかに宙返り(バックフリップ)をして、ナズの罠を完全に回避した。
ほんの数秒間、時間がゆっくりと流れる感覚。ナズが見上げると、そこには空中に舞う姉の姿があった。その顔には、絶対の自信に満ちた笑みが張り付いている。
――ドゴォォォォンッ! メキィッ!!
反応する暇など微塵もなかった。落下の勢いを全て乗せ、ユキの放った凶悪な蹴りがナズの首筋にクリーンヒットし、彼女を地面へと激しく叩きつけた。
その威力のあまり闘技場の床がクレーター状に陥没し、ナズは大量の血を吐き出した。
「私はもう、昔の私じゃないのよ」ユキは服についた埃を払いながら、冷酷に宣言した。「アンタほど『全華』を完璧に制御できなくても……アンタを叩き潰すことはできるのよ」
遥か上空の観客席では、神々がこの熾烈な姉妹喧嘩を興味深げに見下ろしていた。
アフロディーテの顔には、自分のシナリオが狂わされたことへの明らかな苛立ちが浮かんでいる。その変化を、シュンが見逃すはずもなかった。
「こいつは驚いたな……」シュンが皮肉たっぷりに呟く。「あんたの『失敗作』の娘が、あんたの『最高傑作』と互角にやり合ってるじゃないか」
「本当に驚きだよなァ……?」
「チッ! 黙りなさい、本当に目障りな男ね」アフロディーテがギリッと歯を鳴らして吐き捨てる。
彼女の怒りを見て、シュンはたまらず口角を上げ、誇り高き美の女神への精神攻撃(煽り)を続けた。
「『枯れた花でさえ、腕のいい庭師の手にかかれば見事に育つ』って言うが……どうやら彼女は、完璧な庭師を見つけたみたいだな」
「確かに彼女の『全華』は一番安定しちゃいないが、その才能は本物だ」シュンは続ける。「そしてどうやら……あんたから遠く離れた場所でこそ、その才能は見事に花開いたようだな、愛の女神様?」
アフロディーテは氷のように冷たく鋭利な視線を英雄へと突き刺し、シュンもまた挑発的な笑みでそれを受け止める。他の神々も、二人の間に走る一触即発の緊張感を肌で感じ取っていた。
だが――シュンは、女神の顔にふっと『余裕の笑み』が戻ったことに気づき、微かに眉をひそめた。
「残念だったわね、シュン。でも、ナズはユキの遥か高みにいるのよ」アフロディーテは自信に満ちた声で断言する。「純粋な腕力では劣っていても、それ以外の全ての領域において、ナズが圧倒的に上回っているわ」
「あの子がいくらまぐれ当たりを引こうと、最後に勝つのはナズよ」
「『努力』が『天賦の才』を凌駕することなんて、絶対にあり得ないのだから」
――再び、戦場にて。
顔の半分を血で染めながらも、ナズはゆっくりと立ち上がった。その瞳には、微塵の揺らぎも宿っていない。
「悪くなかったよ……。お姉ちゃんがどれだけ成長したか、はっきりと分かった」
その言葉を聞いた瞬間、ユキの表情は深い困惑に包まれた。
(どうして……ピンピンしてるの?)ユキは信じられないものを見るように目を細めた。(いくらあいつが頑丈でも、あの蹴りをまともに食らえば脳震盪くらい起こすはずなのに……)
(私の攻撃を、ただ自分を試すためにわざと受けたっていうの……? 私たちの間には、そこまでの絶望的な差があるってこと?)
「……驚いた?」ナズが皮肉げに尋ねる。
「一体、何をしたの……?」
「ただ、自分の『全華』で身を守っただけだよ」ナズはあっけらかんと肩をすくめた。「お姉ちゃんが宙に浮いたのが見えたその瞬間に、私の全華の大部分を首元に集中させたの」
「でも、お姉ちゃんの腕力がここまで規格外だとは思わなかったな。まさか、あの一撃で血を流すことになるとはね」
「お見事」
そう言って、ナズは冷たく、見下すようにパチパチと拍手をした。
「へっ……。アンタがその程度の攻撃で沈むとは思ってなかったわよ」
「そろそろ、この遊び(ゲーム)を終わらせようか」
ナズが低く呟くと同時に、彼女の周囲の大気が『全華』の莫大なエネルギーによって陽炎のように揺らめき始めた。
「ええ、大賛成よ」ユキは引きつった笑みを浮かべて答える。
だが――反応する隙など、一秒たりとも与えられなかった。
――シュンッ!!
瞬きすら許されない神速。ナズの姿がブレたかと思うと、次の瞬間にはユキの目の前に転移したかのように立っていた。
(防がなきゃ……ッ!)
ユキは限界まで目を見開いてそう思考したが、ナズの剣閃は彼女の神経伝達よりも遥かに速かった。
筋肉が動くより早く、ナズの放った無慈悲で強烈な刺突が、ユキの腹部を深々と、そして完全に捉えた。
――ゴハッ!!
骨が軋み、筋肉が捻じ切れ、ほんの一瞬だけ――ユキの瞳から光が完全に消え失せた。
――ズドォォォォンッ!!
刺突の凄まじい推進力によって吹き飛ばされたユキの体は、闘技場を囲む分厚いコンクリートの壁に激突し、そのまま深くめり込んだ。
ひび割れた壁から大量の瓦礫が降り注ぎ、過去のトラウマに囚われたままの少女を容赦なく生き埋めにする。
土煙の中、ナズは氷のように冷たい足取りでゆっくりと姉に近づいていく……。だが、その瞳には激しい怒りが渦巻いていた。爆発しそうなほど強く、両の拳を握りしめている。
観客席は水を打ったような静寂に包まれていた。あまりにも一方的な蹂躙劇に、どう反応していいか分からなかったのだ。
ナズは冷たく見下ろした。そこには、血まみれになって壁に埋まった、かつて傲慢だった姉の姿があった。致命傷こそ避けているものの、その闘志はすでに折れかけているように見えた。
「もう……終わらせて……」
ユキは目を逸らし、掠れた声で呟いた。
その言葉が、ナズの逆鱗に触れた。
――ブンッ!!
風を切り裂くほどの猛烈な勢いで、ナズが自身の剣を振り下ろす。
「どうして……手加減するのよッ!?」
怒号が闘技場に響き渡った。
「……え?」
「どうして!? どうして!? どうして!!」
「何の話よ……私はもう、自分の全てを出し切ったわ……」
ユキは壁の中で拳を握りしめながら答える。
「嘘つき……ッ」
ユキは驚きに目を見張った。ナズの頬を、大粒の涙がとめどなく流れ落ちていたからだ。
(……泣いてるの?)
「何年も、何年も待ち続けて……。ようやく、私の誇りだった『お姉ちゃん』の本当の力を見られると思ってたのに……!」
涙声で、ナズは感情を吐き出す。
「この時のために、私は毎日血反吐を吐きながら訓練してきたの! もう昔の『守られるだけの無力な妹』じゃないって、お姉ちゃんに証明したくて……!」
「ナズ……」
「なのに、返ってきた答えがこれ!? 私がここまで辿り着くために流してきた血の対価が、アンタのその情けない手加減なの!?」
ナズは、悲痛な声で泣き崩れた。
「……裏切られた気分だよ」
妹の頬を伝う涙を見て、ユキはギリッと拳を握り締め、ついに本音をこぼした。
「全部……アンタのためにやってるのよ」
「……え?」
「もしアンタが私に負けたら、あのアフロディーテがどう出るか……火を見るより明らかでしょ」ユキの声が震える。「私……もう二度と、アンタを失いたくないのよ、ナズ」
「アンタが傍にいてくれるなら、私のちっぽけなプライドなんてどうでもいい。もう一度アンタと一緒にいられるなら、何を犠牲にしたって構わない……!」
「ふざけないでよッ!!」
ナズが激怒して叫んだ。
「お姉ちゃんの夢はどうでもいいの!? 何を犠牲にしてもいいなんて、本気で言ってるの!?」
「じゃあ、私が今まで血反吐を吐いて戦ってきたのは何のためだったのよ!? ずっとお姉ちゃんの背中を追いかけてきたつもりだったのに、私一人で勝手に空回りしてただけだって言うの!?」
「どうして……どうしていつも他人のことばっかり心配して、自分のために生きてくれないのよ!!」
その、あまりにも不器用で真っ直ぐな『愛の叫び』を聞き、ユキは言葉を失った。
「私……もう、ただ守られるだけの無力な子供じゃないんだよ」ナズは真っ直ぐに姉を見据える。「私の道を邪魔する奴は、誰であろうと叩き潰す」
「お姉ちゃんだろうが、アフロディーテ様だろうが関係ない……。私は、絶対に手加減なんかしない」
「私はただ、私の全力をぶつけたいの。私がずっと憧れていた『お姉ちゃん』に」
「不細工で、口が悪くて……でも、誰よりも優しかった私のお姉ちゃんにッ!」
……
瓦礫の山に埋もれていたユキの顔に、小さな、けれどとても温かい笑みがこぼれた。
彼女はゆっくりと立ち上がり始める。
「何をボサッと突っ立っているの、ナズ!? さっさとその失敗作にトドメを刺しなさい!!」
上空から、苛立ったアフロディーテの金切り声が響く。
「……ごめんね、ナズ。私、すごく自分勝手だったわ」
ユキは完全に立ち上がり、服の埃を払いながら呟いた。「でも……ありがとう。もう、二度と迷わない」
「この5年間、一人で苦しんで戦ってきたのは自分だけだって……そう思い込んでた。本当に、自分勝手で傲慢なお姉ちゃんだったわね」
「でも、今ははっきりと分かったわ」
ユキの体から放たれる『全華』が、嵐のようにカオスに荒れ狂い始める――しかし、それは不思議なほど完璧に『制御』されていた。
「私の可愛い妹に、そう簡単に負けてやるつもりはないわよ……」
ユキの『全華』が、まるで海岸に打ち付ける猛烈な大波のように闘技場全体を激しく震動させ始めた。
「後悔しないでよ、妹。ここからは……微塵も手加減してあげないんだから」
かつてないほど巨大で凶悪なオーラを放ち始めた姉を見て、ナズは心底嬉しそうに、獰猛な笑みを浮かべた。
神々、そして彼女たちの『創造主』の眼下で、二人の死闘はいよいよ最終局面へと突入する。
――今こそ、海を揺るがす時だった。




