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第6章・4: 椿(つばき)

――ガキンッ! ギィィンッ!


激しく、そして目にも止まらぬ速さで斬撃が交錯する。彼女たちの振るう剣は、まるで自身の肉体の一部であるかのようだった。

二人の視線が真っ直ぐにぶつかり合う。互いの動きを完全に予測しているかのように、その攻防はどこかスローモーションのようにすら錯覚させられた。


裏拳からの刺突、防御、そして息つく暇もない上下からの斬り込み。

二人のステップは、まるで精巧に作られた演舞コレオグラフィーのように美しく連動している。


幼きユキが、渾身の力を込めて袈裟斬りを放つ。

だが、ナズはその必死の一撃を逆手に取った。

ユキの剣の勢いを利用して刃を弾き返し、彼女の胴体を完全に無防備な状態へと晒す。

そして、莫大なエネルギーを込めた掌底を叩き込み、ユキの『全華ゼンカ』そのものを激しく揺さぶった。


――ガハッ!

その一撃の威力は凄まじく、ユキは大量の血を吐き出しながら地面に倒れ伏し、苦痛に身をよじった。


「だいじょうぶ!?」ナズが慌てて手を差し伸べる。

「あ、ああ……」

「強くなったな、ナズ……」腹部の激痛に耐えながら、ユキは掠れた声で呟く。「どんどん、私を置いて遠くへ行っちまうみたいだ」

「ち、違うよ! 二人とも、すごく強くなったんだよ!」ナズは必死に首を振る。

「……そうだな」

そう口では肯定したものの、ユキの瞳の奥には、抑えきれないほどの強烈な悔しさが滲んでいた。


「よくやったわね、ナズ!」アフロディーテが称賛の声を上げる。「あら……ユキ、あなたもね」

ユキは母親を睨みつけた。その言葉に微塵も感情がこもっていないことなど、痛いほど分かっていた。


「ナズ、あなたはもう休んでいいわよ。お姉ちゃんと少しだけ、お話があるから」

「でも……」

「行きなさい、ナズ」ユキが真剣な声で促す。

「……うん」


ナズの後ろ姿が完全に見えなくなった、次の瞬間。


――パァァンッ!!


乾いた、そして残酷な平手打ちの音が空気を切り裂いた。

ユキの頬に赤々とした手形が浮かび上がる。しかし、彼女は顔をしかめることすらしない。まるで、この暴力にすっかり慣れきっているかのように。


「本当にがっかりだわ、ユキ」アフロディーテが嫌悪感を露わにして吐き捨てる。「前はナズと互角にやり合えていたのに、今じゃかすり傷一つつけられないじゃない」

「それに、あなたの『全華』は日に日に不安定になっているわ! この私に、『GODS』で泥を塗るつもり!?」

「そんなつもりは……」


――パァンッ!!


再び、美の女神の容赦ない平手打ちが娘を襲う。その強烈な威力に、ユキはたまらず地面に倒れ込んだ。


「嘘をおつき!」女神が激昂する。「私がどれだけの時間と労力をあなたに注ぎ込んできたと思っているの!? これが私への恩返しだとでも言うの!?」

「次にナズに負けるようなことがあれば……私たちの『取引』は白紙よ」


その言葉に、ユキは弾かれたように目を見開いた。怒りに我を忘れ、彼女は女神の顔面に向けて渾身の拳を振り抜く。


――ドゴォォォォンッ!!


拳の衝撃波で、周囲の地面がひび割れ、陥没する。だが――愛の女神は顔色一つ変えず、その一撃をいとも容易く掌で受け止めていた。


「……何の真似かしら?」見下すような冷たい声。

「もう一度その『取引』を口にしてみろ。次こそぶっ殺してやる、このクソ魔女……ッ!」ユキが激しい憎悪を込めて叫ぶ。


「自分にはできないくせに、よく言うわ」アフロディーテの顔に、おぞましい笑みが張り付く。「……それとも、あなたの可愛い妹の身に『何か』が起きても構わないってことかしら?」

「この……外道が……ッ」

「いい子にして、言われた通りに動くのよ、ユキ。あなたは永遠に自由になんてなれない。嫌でも『女神』になるのが、あなたの運命なのだから」


「そのためなら、私はどんな手段だって使うわ。だから、さっさと立ち上がって訓練を続けなさい、小娘」


……


数分後、ようやくユキが小屋へと戻ってきた。

その顔は無数の生々しい痣に覆われ、秒を追うごとに瞳から生気が失われていくのが分かった。


「ユキお姉ちゃん!」

ナズが血相を変え、心配そうに姉の元へ駆け寄る。

「誰にやられたの!?」ナズは姉の顔を両手で包み込んだ。「……また、アフロディーテ様に殴られたの?」


「アンタには関係ない」ユキは目を逸らして答えた。

「関係ないわけないでしょ! 私のお姉ちゃんなんだよ、心配して当然でしょ!」ナズが怒り混じりに叫ぶ。「今すぐ、あの女に文句を言ってやる!」

「馬鹿なこと言わないで!」

「え……?」

「あの女に、私たちがどうにかできるわけないのよ!」


「私たちには計画があるじゃん、ユキお姉ちゃん。絶対にここから逃げ出せるよ、あともう少しの辛抱だよ」

「そんな計画、何の役にも立たない! 全部無駄なのよ!」ユキが絶望的な声を上げる。「私たちはただ、あの女の言う通りにするしかないの。……私たちには、あいつが必要なのよ」

ポロポロと涙をこぼしながら、ユキは呟いた。


ナズは瞬時に悟り、尋ねた。

「……また、脅されたの?」

「違う、ただの事実を言ってるだけよ!」

「ユキお姉ちゃん……」


ユキはゆっくりとその場に崩れ落ち、堪えきれなくなった涙を頬に伝わせた。

「アンタが傷つくところなんて、見たくないのよ……ッ!」苦痛に満ちた声で叫ぶ。「アンタが大事なの……大事すぎるのよ。またアンタを失うなんて、私には耐えられない」

「もしあの女がアンタに指一本でも触れたら……私には何が残るっていうの?」


彼女の悲痛な言葉に呼応するかのように、それまで澄み渡っていた空が、急速に鈍色の雷雲に覆われ始めた。

激しい豪雨と稲妻の前に、作られた『永遠の春』が脆くも崩壊していく。


「私がどれだけ苦しもうと構わない……でも、ナズ、アンタにだけは同じ思いをさせたくないのよ」


ナズは身をかがめ、震える姉をその小さな腕で温かく包み込んだ。

「私はどこにも行かないよ、お姉ちゃん」

「私が今の私でいられるのは、お姉ちゃんが全部教えてくれたから。お姉ちゃんが強いから、私も強くなれたの……。絶対に、二人でここから逃げ出せるよ」

「ナズ……」


――ドッシャァァァァァンッ!!


鼓膜を破るような凄まじい落雷が小屋を激しく揺るがし、瞬時に室内の電気が消え去った。


「……一体、何なの?」ユキが怪訝そうに呟く。

「雷だよ……お姉ちゃん、雷を知らないの?」

「違う……そうじゃない。ここには今まで一度も雷なんて落ちたことがないの。あの女が創り出した『永遠の春』なんだから」

「じゃあ……外で何が起きてるの?」


その時、外から微かな叫び声が聞こえ、姉妹はハッとして顔を見合わせた。

恐怖に心臓を跳ねさせながら、二人は恐る恐るドアの隙間から外を覗き込む。


だが次の瞬間、眼前に広がっていた光景が、二人の全身の血を完全に凍らせた。


背を向けた愛の女神が、血に濡れた短剣ダガーを握りしめて立っている……。

そして地面には、どこか『見覚えのある面影』を持った一人の男が、首から大量の血を噴き出しながら力なく崩れ落ちようとしていた。


栗色の髪。そして、エメラルドのように眩しく輝く緑の瞳。


男は、最後の力を振り絞り、掠れた声で呟いた。

「に、逃げろ……ユキ……」


……


ついに『春』は終わりを告げた。

そして、名も知らぬその男の血をたっぷりと吸って――残酷なほどに美しい椿ツバキが狂い咲いたのだった。


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