第6章・1: まだ神々を信じているのか?
――ガンッ!!
渾身の力が込められた拳が、石壁に生々しい亀裂を走らせる。
「クソッ!」
エデンは両拳を強く握り締め、吐き捨てるように叫んだ。
「なんで……なんでこんなことになっちまったんだよ!」
「いくらでも可能性はあったはずだろ!? なのに、どうしてよりによって……!」
「運命ってやつは、一体俺にどうしろって言うんだ!」
痛みに耐えるように両膝を抱え、エデンはその場に崩れ落ちた。彼の瞳には、色濃い苦悩と絶望が影を落としている。
「どうして……いつもこうなるんだ」
苦痛に満ちた声で呟く。
「本当に……あいつと戦わなきゃならないのか?」
「嫌だ……戦いたくない」
「この場所で、最初に俺に手を差し伸べてくれたのはあいつだった……。俺が勝ったら、どうなる?」
「あいつの夢はどうなっちまうんだよ。……クソッ」
貪欲で残酷な運命が用意した試練を前に、エデンは人気のない暗い部屋の片隅で、ただ一人うずくまっていた。
……
漆黒の闇と静寂がフェードアウトし、場面は光に満ちた活気ある控室へと切り替わる。
そこでは、残りの参加者たちが次なる死闘の幕開けを待っていた。
シュウとユキは静かに腰を下ろしていたが、沈黙を破ったのはユキの方だった。
「さっきのあの冷たい態度は何よ? アンタたち、お友達じゃなかったの?」
「……何の話だ?」
「気づかなかったとは言わせないわよ。あの馬鹿の目、すごく悲しそうだった。アンタのこと、本当に慕ってるみたいだったのに」
「何の話か分からないし、興味もないな」シュウは氷のように冷たく言い放つ。「あいつと俺の間に、友情なんてものはない。他の有象無象と同じ、ただの『倒すべき敵』だ」
「俺はここへ『お友達』を作りに来たわけじゃない。果たすべき使命があり、知るべき真実があるんだ」
「事情を抱えてるのはアンタだけじゃないわよ、シュウ」ユキが鋭く切り返す。「でも……私はアンタのそういう偽善的なところが大嫌い」
「心の底じゃ、アンタだってあいつを大切に思ってるくせに」
「……くだらない妄想はやめろ」シュウは立ち上がりながら低く呟く。「それに、俺がどう思おうと、この試合を回避する方法なんて最初からなかったんだ」
「え? ……どういうこと?」
「『誰か』が、この対戦を組ませたがったんだよ」シュウは声を潜める。「誰が、どこからやったのかは分からないが……神々すら欺くほどの手垂れであることは間違いない」
「何言ってるの……?」
「エデンがクジを引いた瞬間、何者かが紙をすり替えたんだ」
「はあ!? なんでそれを早く言わないのよ! 運営に報告すれば、もしかしたら――」
「――まだ神々を信じているのか?」
シュウは怒りを滲ませた目で彼女を睨みつけた。
「奴らの中の誰かが首謀者だったとしても、俺は全く驚かないね」
「最初の一秒から、全ては奴らの掌の上だったんだ。この裏で糸を引いている『黒幕(見えざる手)』がいる」
「今の俺たちにできるのは、奴のルールに従って踊らされることだけだ。何をすべきか見極めるまで、都合のいい『傀儡』を演じてやるしかない」
「シュウ……」
「だが、もう一人、この異常事態に気づいている人物がいる。そいつが黙って見過ごしているということは、何か確固たる理由があるはずだ」
「どうしてそんなことが言い切れるの?」
「シュンもまた、『神の眼』を起動させていたからさ」シュウの口元に微かな笑みが浮かぶ。「あの人ほど完璧な存在はいない。必ず何か考えがあるはずだ」
「それってつまり、アンタの中に何か見出したいものがあるってこと?」
「いや、奴らが見たいのは『あいつ』の方だ。黒幕の真の標的は、エデンなんだよ」
「本当に運営に言っちゃダメなの? オリンポスの全神格がここに集まってるのよ。いくら敵が強力でも、束になれば――」
「それはただのパニックを引き起こすだけだ。シュンもそれを分かっている」シュウは静かに首を振る。「俺はただ、流れに身を任せるしかない」
「……本当にそれでいいの?」
「くだらない心配はよせ、ユキ」シュウは背を向けて歩き出す。「お前は、目の前の自分の試合にだけ集中しろ」
「せいぜい頑張れよ」
背越しに手を振りながら、彼は去っていった。
「シュウ……」
. . .
――コツ……、コツ……、コツ……。
重く、そしてひどくゆっくりとした足音が、背後からユキへと近づいてくる。
直後、鼓膜を揺らした『その声』に、ユキの両目は驚愕に大きく見開かれた。
「久しぶりだね……お姉ちゃん」
ユキは、錆びついた機械のようにゆっくりと首を巡らせる。
彼女の視線の先に立っていたのは――時の彼方に葬り去ったはずの、忌まわしくも忘れられない記憶の顔だった。
「……どうして、アンタがここにいるの、ナズ?」
透き通るような白い肌、ツインテールに結われた純白の髪、そして氷のように冷たい青い瞳。
そこに顕現したあまりにも美しい少女は、気丈に振る舞うユキに対し、今なお彼女を苛み続ける『過去の悪魔』を呼び覚ますためだけにやって来た死神のようだった。
そう――心の傷は、決して消え去ることはない。
それは常に、人が最も弱り切った最悪のタイミングで、再びその牙を剥くのだから。




