第5章・4: 全てを懸けて
息が詰まるほどの緊迫感が、闘技場全体を重く包み込んでいた。
その場にいる全員が、これから目の前で起こるであろう惨劇を前に、完全に言葉を失っていた。
エデンの体から噴き出した炎が、彼の全身をすっぽりと包み込む。
一方、ゼウスの周囲では、大気中の粒子が荒れ狂うように渦を巻き始めていた。
炎と風の粒子が空中で激しく衝突し合い、生み出された莫大な放電がゼウスの力を底なしに引き上げていく。
「本当にこれでいいのだな、人間よ?」
ゼウスが傲慢に見下ろして問う。
「御託はいい。さっさと終わらせようぜ」
――ドッガァァァァァンッ!!
瞬く間に、空から落ちた巨大な落雷がゼウスの体を直撃し、彼の『全華』を絶望的なレベルまでチャージした。
両の瞳は、これ以上ないほど莫大なエネルギーを湛え、激しく発光している。
「『天帝の雷』!!」
ゼウスがエデンに向けてその剛腕を振り下ろし、咆哮した。
突如として天が真っ二つに裂け、そこから、秩序に逆らう者への神罰の如き超巨大な雷霆が降り注ぐ。
観客たちはその光景を、ただ絶望と恐怖に顔を歪めて見つめることしかできなかった。
細胞の隅々が「逃げろ」と警鐘を鳴らしているが、それが不可能であることも同時に悟っていた。
ある者は目を閉じ、ある者は神に祈り、またある者は家族を庇うように抱きしめる。
対するエデンの体からは、赤、オレンジ、そして漆黒の光の軌跡が放たれ、それらが完璧な調和を保って混ざり合っていた。
「くらえッ!!」
エデンは黒き剣を力強く握り直し、叫んだ。
「『暗黒の烈焔』!!」
その咆哮と共に、極限まで研ぎ澄まされた強力なエネルギーが、天を射抜く一本の矢となって真っ直ぐに上空へと放たれる。
……
「――そこまでだ!!」
天を揺るがすような威厳ある声が響き渡った。
――ピキィィィンッ!
同時に、時空間の裂け目から、規格外に巨大な獣の顎が姿を現した。
「ゴルルルルォォォォォッ!!」
「喰らい尽くせ、『巨獣』」
シュンが絶対的な命令を下す。
その超巨大な獣はゼウスの攻撃へと視線を向けると、底なしの暗穴のような大口を開き――瞬きする間に、神の一撃を跡形もなく丸呑みにしてしまった。
「邪魔だ」
シュンはエデンの放った黒炎の矢を一瞥すると、指先を軽く弾くだけで、汗一つかくことなくその一撃を完全に粉砕した。
「余計な真似を! 俺の邪魔をするな、シュン!!」
ゼウスが苛立ちを露わにして吐き捨てる。
「あんたが俺の生徒とどういう揉め事を起こそうが知ったことか」シュンは鋭く冷酷な視線を突き返した。「だが、自分のくだらない気まぐれで、無実の観客の命を天秤にかけるんじゃねえ」
「自分の権力を誇示したいなら、よそでやれ、クソジジイ」
「それに……もう『終わり』だ」
「……何がだ?」
「『試験』だよ」シュンは淡々と答える。「あんたが自分のちっぽけなプライドを守ろうと躍起になっている間に――24人の参加枠はすでに出揃っていたんだ」
「だから、もう終わりだ」
ゼウスが振り返ると、そこには揺るぎない闘志を宿した参加者たちが立ち並んでいた。
血まみれの者、飄々としている者、まだ手が震えている者……。
だが、彼らの眼の奥にある渇望は、ただ一つだった。
――『勝利』である。
. . .
ゼウスが態とらしい咳払いをして、先ほどまでの最悪な空気を誤魔化そうとする。
「諸君! 再び己の真価を証明した全参加者たちに、賛辞を贈ろうではないか!」
彼は何事もなかったかのように、誇らしげに声を張り上げた。
(本当に、この男は少しの羞恥心すら持ち合わせていないらしい……)
シュンは引きつった笑いを浮かべながら、内心で呆れ果てていた。
「お前たちが切望する目標は、もう目と鼻の先にある!」ゼウスは続ける。「その野望に辿り着くため、引き続き勇敢に、そして断固たる決意をもって戦い抜け!」
「それでは前置きはこのくらいにして、ヘルメスから最終フェーズの説明を行おう!」
「は、はいっす」
ゼウスが神々の困惑した視線を浴びながら玉座に座り直す中、ヘルメスが闘技場の最も高い位置へと歩み出た。
「改めて、ここまで生き残った皆、おめでとう。だけど、『GODS』ではそれだけじゃ不十分だ。俺たちはただの『参加者』じゃなく、『勝者』を求めている」
「この最終フェーズで、君たちが持つ才能の全てを証明してもらうよ」
ヘルメスが両手を広げると、空中にいくつもの立体映像が浮かび上がった。
「これから、ランキング順に君たちの前に置かれた抽選箱からクジを引いてもらう」
「箱の中には1から12までの数字が2枚ずつ入っている。同じ数字を引いた者同士が、一対一の決闘を行うルールだ」
ヘルメスは言葉を区切り、真剣なトーンで告げた。
「勝利の条件は二つに一つ。――相手が降伏するか、死ぬかだ」
「説明は以上。幸運を祈るよ」
……
参加者たちが、一人、また一人と抽選箱へと近づいていく。
最初にクジを引いたのはシュウ・サジェス。彼が引いた番号は『12』だった。
続いて、セバスチャン・グリアンが圧倒的な自信を漂わせながら『3』を引き当てる。
その次にユキ・ツカが『1』を引き、彼女が開幕戦を飾ることが決定した。
次々と運命の紙片が引かれていく。
『2』のクジを引いた参加者は、対戦相手を知った瞬間、恐怖でその場に凍りついた。
「俺があの……イカレた野郎と戦うのか……?」
彼の視線の先には、未だに全身を他人の血で染め上げ、不気味な笑みを浮かべているリュウザキの姿があった。
「次、エデン・ヨミ」
ヘルメスが名前を呼ぶ。
エデンは一歩前へ踏み出した。いよいよ決戦の時だ。彼がこれまで積み上げてきた全ての努力が、今ここで試される。
彼は抽選箱に手を入れ、迷うことなく一枚の紙片を掴み取った。一瞬、指先に虚無感のようなものを感じたが、そのまま引き抜く。
紙に書かれた数字を見た瞬間――エデンの両目は極限まで見開かれた。
……
「番号は『12』」
ヘルメスが淡々と読み上げる。
「嘘でしょ……」
ユキが絶望的な声を漏らした。
「第12試合。エデン・ヨミ VS シュウ・サジェス」
ヘルメスの宣言が響き渡る。
闘技場がどよめきに包まれた。二人の間にある圧倒的すぎる実力差は、そこにいる誰もが痛いほど理解していたからだ。
残酷すぎる運命を突きつけられ、エデンはうつむき加減でシュウの元へと歩み寄った。
「……悪い、シュウ」
エデンは、やり場のない苛立ちと悔しさを滲ませて呟いた。
「なぜ謝る?」
氷のように冷たい声が返ってきた。
「どうせ、俺はお前に負けない」
エデンがハッと顔を上げると、そこには獰猛な黄金色の光を放つシュウの両目があった。背筋が凍るような恐怖が、エデンの全身を駆け巡る。
「お前は……誰だ?」
エデンは警戒心を露わにして問うた。
「シュウ・サジェス」
彼は、傲慢さの塊のような顔で言い放つ。
「ただの『天才』さ」
残酷な運命は、友情を育み始めていた少年たちの夢を、無慈悲にも同じ天秤の上へと乗せた。
もはや引き返す道はない。戦うことしか許されないのだ。
だが、エデンはその傲慢な態度の奥底に、複雑にひび割れ、断片化した「何か」の存在を確かに感じ取っていた。
迷っている暇はない。
全てを懸けたこの戦いに、敗北という文字は決して許されないのだから。




