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第5章・3: この世界は残酷で、あまりにも理不尽だ

静まり返ったアテネの長い回廊に、威圧感を纏ったシュンの足音が響き渡っていた。

だが、背後から飛んできた鋭い声が、その歩みを強制的に止めさせた。


「一体、何を考えているの、シュン!?」

怒りに震える声で、アフロディーテが噛み付く。


「……何の話だ?」

「あなたが本戦トーナメントに持ち込んだ、あの馬鹿げたルールのことよ! ただでさえ過酷なのに、事態を悪化させてどうするつもり!?」


シュンはゆっくりと振り返り、氷のように冷たい視線を女神へと突き刺した。

「これもただの試練の一つに過ぎない。こうでもしなければ、奴らはこの世界の『残酷さ』を理解できないからな」

「ここへ来れば神になれるなんていう、甘ったるい幻想を抱かせるのはもうやめるべきだ」

「奴らの大半は、その称号に触れるどころか、遥か手前で無惨に死んでいくんだぞ」シュンは淡々と事実を述べる。「ここ数年で、親の称号を受け継いだ半神デミゴッドを一人でも見たことがあるか?」


その残酷な真実を突きつけられ、アフロディーテはただ俯くことしかできなかった。


「……他に用がないなら、行くぞ」


……


「待って!」

怒りと歯痒さで拳を強く握り締めながら、アフロディーテが叫ぶ。


「……なんだ?」

「どうして……どうしていつも、全てを一人で背負おうとするの!?」悲痛な叫びだった。「あなたの計画を、私たちに……『仲間』に打ち明けてくれてもいいじゃない!」


「……お前たちじゃ、何の役にも立たない」

シュンは無慈悲に吐き捨てた。

「足手まといになるだけだ。これ以上、背負うつもりのない重荷を増やしたくないんでね」


「どうして、そこまで……っ!」


「お前たちが『弱い』からだ」シュンは断言した。「そして俺は……これ以上、弱くなるわけにはいかないんだよ」


アフロディーテは驚きに目を見開いた。その言葉は、冷酷さからくるものではなく、あまりにも悲痛で、純粋な本音ホンネだったからだ。


「シュン……」


「頼むから……俺の邪魔だけはしないでくれ」


シュンは再び背を向け、静寂と暗闇の中へとゆっくりと溶け込んでいく。

その鉄面皮ポーカーフェイスの裏側に、彼自身すら認めたくない素顔を隠して。


――彼自身の、ひどく『弱い』一面を。


. . .


数分後、闘技場アリーナにて。


『――全参加者は、直ちに闘技場へ集合してください』


無機質なアナウンスに従い、学生たちが一人、また一人と集まってくる。それに反比例するように、観客席のざわめきは異様なほど大きくなっていた。

夢を抱く若者たちを眼下に、大人たちは値踏みするように名前を交わし、下品な賭け(ギャンブル)に興じている。その異様な光景に、参加者たちは困惑の色を隠せなかった。


「……何かおかしいな」

シュウが訝しげに呟く。

「どういうことだ?」エデンが尋ねた。

「普通なら、最後の枠を争う連中だけが呼ばれるはずなんだ。なのに、ここには最初からいる全員が揃っている」

シュウは周囲を見渡しながら目を細めた。

「俺たち上位三人まで呼ばれるなんて、どう考えても理屈に合わない。……一体、何を企んでるんだ?」


「静まれ!」

ゼウスの威圧的な声が轟いた。


その一喝で、その場にいた全員の体が縫い付けられたように硬直する。全視線が、最高神へと向けられた。


「知っての通り、この選抜試験の最終フェーズは、残った者同士による一対一ワン・オン・ワンの決闘が通例だった」

ゼウスはゆっくりと語り出す。

「だが、我々オリンポスの神々は激論の末、一つの結論に達した。――このヌルい伝統は、今この瞬間をもって終わらせる」

神々の父の顔に、ひどく歪んだ笑みが浮かび上がる。


まるで捕食者のようなその眼光を浴び、神候補たちは本能的に身構えた。


「長年『GODS』が失態を演じ続けてきたのは、古臭いルールを変えようとしなかった我々自身の『弱さ』ゆえだ」

「だが、それも今日で終わりだ。お前たちの運命は、お前たち自身で裁け。実力主義メリトクラシーなど、過去にも未来にも存在しない!」

「どれほどのレベルだろうが、どれだけ見事な力の制御コントロールができようが関係ない。戦場ここでそれを示せなければ、待っているのはただ一つ――『死』のみだ」


ゼウスの言葉が、重く冷たく闘技場に響き渡る。


「順位も、番号も、才能も……! 全て忘れろ。そんなものは最早、何の価値もない」

「生と死を分かつのはただ一つ。地に這いつくばっても立ち上がり続ける、その『意志』だけだ」


参加者たちは互いに顔を見合わせた。心の奥底で、今この瞬間から何かが決定的に狂い始めるのだと、誰もが本能で悟っていた。


「お前たち24名で、残る12の枠を奪い合え。……せいぜい、幸運を祈る」


……


闘技場は、異様なほどの静寂に包まれた。

この不可解な状況で、どう動くべきか誰にもわからない。答えを求めるように、ただ周囲を見渡すことしかできなかった。

しかし、誰も動こうとしないのを見て、彼らもまたその場に縫い止められたように立ち尽くす。


だが――その重苦しい沈黙を、一人の苛立った声が引き裂いた。


「ふざけるなッ!!」

参加者の一人が声を荒らげた。

「他の奴らが無能なことと、俺には何の関係もないだろうが!」

「俺はトップ10に入るために、何年も血反吐を吐くような訓練をしてきたんだぞ! それが全部、無駄だったって言うのか!?」

「冗談じゃねえぞ、クソッ!!」


. . .


その時、毒を孕んだような、どこか歪な声が闘技場アリーナに響き渡った。


「少し待ってください。最後の枠を争うのは、我々の中の24名だけ……そう言いましたよね?」

声の主の立ち姿は弛緩しきっており、不気味なほど歪だった。その紫色の瞳は、目を合わせた者の魂を吸い尽くしてしまうかのような底知れぬ闇を抱えている。

彼の顔には、皮肉に満ちたサディスティックな笑みが張り付いていた。

――彼の名は、リュウザキ・ホシ。


「ああ、その通りだ」

「でも、ざっと見たところ、ここには24人以上いるようですが?」リュウザキは周囲を見渡しながら尋ねた。

「ああ」ゼウスは残酷な笑みを深めて答える。

「なるほど……何か制限ルールは?」

「――『死』だ」


そのやり取りを聞いていた別の参加者が、リュウザキを蔑むように睨みつけ、吐き捨てた。

「お前みたいなクズが、なんでこんな神聖な場所にいるのか理解できねぇな。お前みたいな輩は、真っ先に排除されるべきだ」


リュウザキは静かに彼を見つめ……そして、微笑んだ。


――グチャッ!!


「ギャアアアアアアッ!?」

瞬きする間に、その場は血の海と化した。

反応する隙すら与えず、リュウザキは獣のような残忍さで、男の両目を素手で抉り取っていたのだ。


「……いいね」

血に染まった満面の笑みを浮かべ、リュウザキは恍惚と呟いた。

参加者たちがそのおぞましい凶行に息を呑む中、遥か上空の観客席にいる神々だけは、底冷えのするような薄気味悪い笑みを浮かべて見下ろしている。


――ズバァンッ!


正確無比かつ神速の斬撃。周囲が事態を飲み込めないまま、一つの首が宙を舞い、地面を転がった。

音もなく転がってきたそれは、エデンの足元でピタリと止まる。

その両目は見開かれたまま、まるで自身の残酷な運命をまだ理解していないかのように、微かに動いていた。冷たく、それでいてどこかノスタルジックなその視線が、恐怖に凍りつくエデンの瞳と交差する。


「……ママ?」

それが、彼の口から紡がれた最後の言葉だった。


……


闘技場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化し、生き残るための無慈悲な殺し合いが幕を開けた。


リュウザキは超人的な速度で、まるで自身の手足のように日本刀カタナを振るう。

「最初から、こうしていればよかったんですよ」

刀を鞘に納めながら、彼は退屈そうに呟いた。


――ドサッ!

その言葉と同時に、何十人もの参加者の首が一斉に地面に落ちる。首の断面から噴き出した血飛沫が、少年の冷酷で狂気に満ちた顔を赤く染め上げた。


「グオォォォッ!」

身長3メートルを超える巨漢の参加者が、他の候補者たちを蟻のように踏み潰しながら咆哮する。その視線が、長い金髪の少年に向けられた。

「お前も潰してやるッ!」

巨漢が獰猛に襲い掛かるが、金髪の少年は冷たく言い放った。


「邪魔だ、ゴミが」

「あ?」


――パチン。

少年が指を鳴らした瞬間、巨漢の体は太陽のように強烈な業火に包まれた。瞬きする間に、骨の髄まで灰へと変えられていく。


――ドゴォン! ドゴォン!

圧倒的な暴力の前に、参加者たちの体が次々と宙を舞う。彼女の拳を一発食らっただけで、誰もが即座に意識を刈り取られていた。

「かかってきなさいよ、全員まとめて!」ユキは歓喜の声を上げながら暴れ回る。


――シュッ、バッ!

一方、シュウは自身に向けられる全ての攻撃を、相手が絶望するほどの正確さで回避し続けていた。


――ドンッ!

彼が放つ打撃そのものに、規格外の破壊力があるわけではない。しかし、その卓越した戦闘知識と技術スキルだけで、飛びかかってくる者たちを次々と無力化していくには十分すぎた。


. . .


――ドゴォォォォンッ!!


メインステージを、猛烈な爆発の嵐が蹂躙する。

参加者たちは皆、己の命を天秤にかけ、狂気の中で殺し合っていた。


全てを焼き尽くす業火。

若き戦士たちの夢を無慈悲に飲み込む水の竜巻。

逃げ場を奪い、ライバルの身体を締め上げる無数の根。

聖なる大地が、瞬く間に罪なき者たちの血で赤く染まっていく。


だが、その混沌と狂乱のど真ん中で、一人の少年だけが微動だにせず立ち尽くしていた。

エデンの視線は、遥か上空の特別観覧席へと向けられている。そこからは、彼の胃袋を裏返りそうにさせるほどの、下劣な笑い声が響いていた。


ライバルたちの血が黄金の砂を鮮やかな深紅に染め上げる中、神々はその残酷な見世物ショーに恍惚とし、絶頂すら迎えているようだった。

エデンの脳裏に、一つの疑問が過ぎる。


(俺たちは……あいつらの娯楽のための、ただの『玩具おもちゃ』だって言うのか……?)


……だが、自然界の絶対的な法則に従い、立ち止まったままの無防備な獲物を、捕食者が見逃すはずはなかった。


「危ない、エデン!」

背後に突如として現れた参加者の気配に気づき、シュウが鋭く警告する。


「あの伝説のシュンの弟子を討ち取った男として、俺の名は語り継がれるんだッ!」


――メキィッ!!


男が渾身の力で振り下ろした巨大なメイスが、エデンの後頭部に容赦なく激突する。

その衝撃のあまり、頑強なはずの武器の方が粉々に砕け散った。


――ドサッ。

強烈な一撃を受け、エデンの体は砂袋のように力なく地面へと崩れ落ちた。

シュウとユキが信じられないものを見るように息を呑む中、男は強敵を排除した歓喜の叫びを上げる。


「……哀れですね」

別の参加者の頭を無造作に踏み潰しながら、リュウザキが冷笑した。

「所詮は、ただの脆弱な人間だったというわけだ」

黄金の髪を持つ少年――ジェイク・ライトが、冷ややかな視線を向けて吐き捨てる。


だが数秒後。

その場にいた全員の動きが、まるで時を止められたかのように完全に凍りついた。


「……冗談だろ、おい……」

エデンを攻撃した男が、恐怖に顔を引きつらせて後ずさる。


顔の半分を血に染めたエデンが、ゆっくりと起き上がってきたのだ。

ふらつく身体を、純粋な『意志』の力だけで強引に支えている。


「ゼウスゥゥゥゥッ!!」


闘技場全体を激しく揺るがすほどの、怒りに満ちた咆哮。

エデンは天に向かって吠えた。


「……何用だ、人間よ?」

ゼウスが、傲慢さの塊のような態度で見下ろす。


「てめえの胸糞悪い『遊戯ゲーム』に付き合う気はねえ」エデンは毅然と言い放つ。「だが、GODSに入ることを諦めるつもりもない」

「だから……俺と戦え、この『三流のポンコツ』が!!」


そのあまりにも不遜な暴言に、シュンとゼウスの口角が同時に上がった。二人は、この少年の底知れぬ生意気さをどこか楽しんですらいる。


「おい、エデン! 滅茶苦茶なこと言ってんじゃないわよ!」

ユキが血相を変えて叫ぶ。

「いくらアンタでも、ゼウス相手じゃかすり傷一つつけられないわ!」


「それがどうした!」

エデンは激怒と共に言い返す。

「こいつらが俺たちをオモチャにして好き勝手やってるのを、指をくわえて見てろって言うのか!?」


エデンが黒き剣の柄を握りしめると、彼の体からバチバチと小さな火花が弾け始めた。

「他人の夢や苦しみをヘラヘラ笑って見物してるような奴らの前で、大人しく殺されてやるつもりはねえ」

「もし俺をここで排除したければ……てめえ自身の手でやりに来い、ゼウス」


……


「ここまで不遜な口を叩くクソガキは、随分と久しぶりだ」

ゼウスが低く唸ると、その巨大な体から圧倒的な雷光が溢れ出し始めた。

ゆっくりと、雷の神が玉座から立ち上がる。その顔には、好戦的で凶悪な笑みが張り付いていた。


「そこまで望むのなら、叶えてやろう」


ゴロゴロと空が鳴動し、瞬く間に鈍色にびいろの雷雲が闘技場を覆い尽くしていく。


「我々『神』が、いかに『完璧な創造物』であるかを見せてやろう!」ゼウスが天高く吠える。「そして、ちっぽけな『人間』が、決して我々に逆らえないという絶対の真理をな!」


二人の戦士の視線が激しく交錯する。

天空から見下ろすゼウスと、地獄の底から睨み上げるエデン。


被造物が、その創造主に牙を剥き、反逆する。

それは、世界が始まって以来の出来事だった……。

――いや、果たして本当に『初めて』なのだろうか?

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