第5章・2: 変えるべきものがある
――ドゴォォォンッ!!
ユキの放った強烈な一撃が、標的の藁人形を木端微塵に粉砕した。
周囲の参加者たちは、興奮と恐怖の入り混じった眼差しでその圧倒的な破壊力を注視している。
観客席からは、まるで新たな英雄の誕生を目撃したかのように、地鳴りのような歓声が沸き起こった。
「やるじゃないか、ユキ」
シュウが不敵な笑みを浮かべて声をかける。
「アンタも期待外れな結果でガッカリさせないでよね、天才君」
「次、受験番号1031番、シュウ・サジェス」
「はい!」
新たな藁人形が彼の前に設置される。
シュウは小さく息を吐き、全身の力みをスッと抜いた。
目を閉じると、彼の体内を巡る力が、まるで凪いだ海のように静かに、そして滑らかに流れ始める。
エデンは驚きと共にその様子を見つめていた。彼の目から見ても、シュウの力に対する制御は完璧そのものだった。
だが、その力が右拳に集束した瞬間――穏やかだった海は一転し、荒れ狂う七つの海のような猛烈な覇気が解き放たれる。
シュウの双眸が黄金色に輝き、膨大なエネルギーが拳に一点集中し――。
――ズガァァァァンッ!!
放たれた拳の威力はあまりにも凶悪だった。藁人形は内側からねじ切れるように圧縮された後、無数の破片となって爆散した。
審査員の額を冷や汗が伝い落ち、他の参加者たちは開いた口が塞がらない様子で呆然と立ち尽くしている。
「……冗談だろ、おい」
エデンは引きつった笑みを浮かべ、思わず呟いた。
……
――ビュンッ! ビュンッ!
人間の動体視力を軽々と置き去りにする、常軌を逸した超速の動き。
神候補たちは目にも留まらぬ速さで次々と爆発物を無力化し、ある者は自身の能力を駆使して空中に足場を作り出している。
不可視の障壁、大気の推進力、音速を超えるスピード。
だが、彼らの目覚ましい活躍の横で、エデンはただの「走っている普通の人間」にしか見えなかった。
己の純粋な身体能力のみを頼りに、制限時間ギリギリで辛うじて試験をクリアしていく。
「大丈夫か?」
疲労困憊なエデンの様子を見かねて、シュウが心配そうに声をかける。
「ああ……」
エデンは重苦しい声で答えた。
(クソッ……一体どうすればいいんだ!?)
(自分の『全華』を抑え込むだけで精一杯だってのに、これを自分の手足みたいに使いこなせだと!?)
(どうすりゃいいんだよ、シュン!!)
闘技場の遥か上空、観客席の最前列から、シュンは無言のまま苦戦する愛弟子の姿を見下ろしていた。
「あなたの生徒、随分と手こずっているようね、シュン」
アフロディーテが、毒を含んだ挑発的な口調で囁く。
「ああ、そうだな」
「助け舟を出してあげないの?」
「その必要はない。あいつなら必ず乗り越える」
シュンは冷ややかな視線を女神へと突き刺し、きっぱりと言い放った。
……
場の空気が異様に張り詰めているのを、そこにいる全員が感じ取っていた。
見かねたヘラクレスが割って入る。
「今年はなかなか骨のある候補者が揃っているみたいだな」
彼は引きつった笑いをこぼしながら言った。
「どうだろうね……」とヘルメスが返す。
「どういう意味だ?」
「確かに、全体の平均的なレベルで言えば、今年は去年を大きく上回っているよ。だが、頭一つ抜けているような突出した存在がいない。ムーンヴェイルの足元にも及ばないよ」
「あの吸血鬼のガキか?」ヘラクレスが尋ねる。
「ああ。彼のチームメイトは決してエリートとは呼べなかったが、彼自身の天賦の才がそれを補って余りあるものだったからね」
「とはいえ、本戦では何の役にも立たなかったがな」ゼウスが反論する。「奴の才能が際立って見えたのは、周りの連中が凡庸だったからに過ぎん。我々の知る『天才』のリストに加えるなら、間違いなく底辺の部類だろうよ」
「だからこそ、今年は合格枠を一つ増やしたのだ。我々の成績はあまりにもお粗末だったからな」
「ただ運が悪かっただけだ」
闘技場から目を離すことなく、シュンが口を挟んだ。
「どういうことだ?」
「常軌を逸した相手と当たっちまったんだ。あいつのレベルは、学生の枠を遥かに超えていた」
「アレックスボールドが天才であるという事実は揺るがない。だが、あの化け物は……誰にとっても手に負える相手じゃなかった」
神々は一斉に、シュンの落ち着き払った横顔を怪訝な面持ちで見つめた。まるで、パズルのピースが間違って組み込まれているかのような強烈な違和感。
(頭でも打ったのか? いつもの馬鹿なシュンとはまるで違うぞ……)と、ゼウスは訝しむ。
(いつからあんなに饒舌になったのかしら……?)と、アフロディーテは不審げに目を細める。
(間違いなく、あいつの身に何かがあったな……)と、ヘラクレスは内心で結論づけた。
突き刺さるような視線に気づき、シュンは怪訝そうに振り返った。
「……なんだ? 俺の顔に何かついてるか?」
「い、いや! 何でもない!」
神々は慌てて一斉に首を振る。
「そうか……」
気まずい沈黙を破るように、ヘラクレスが話題を変えた。
「と、ところで親父! GODSの『神童たち』はもう向かっているのか?」
「ああ……試験の進行に合わせて、ここへ到着する手筈になっている」ゼウスが答える。「本来なら奴らのために四つの特別枠を用意していたのだが、アテナの息子が辞退してな」
「マジか?」
ヘラクレスは驚き、アテナへと視線を向けた。
「あの子が何をしようと、私には関係のないことよ」
アテナは一瞥もくれず、冷淡に言い放つ。
「もし失敗したとしても、それは彼自身の問題。私の知ったことではないわ」
――ズドォォォォンッ!!
神々の談笑は、濛々と舞い上がる土煙と、鼓膜を破るような轟音によって唐突にへし折られた。
神々は恐怖に顔を引きつらせ、ざわめきながら一斉に自分たちの特別観覧席(VIP席)へと視線を向ける。
「一体、何事だ!?」
シュウが叫んだ。
闘技場の中央では、エデンが一人立ち尽くしている。その拳からは、おびただしい量のエネルギーの残滓と白煙がくゆっていた。
「エデン!? お前、何をやったんだ!」
「心配するな。あのくらいじゃ死なないさ」
エデンは平然と言い放つ。
ゆっくりと土煙が晴れていく。
そこには、顔色一つ変えずに座り続けるシュンの姿があった。
そして――彼の顔のわずか2センチ横には、巨大な花崗岩の破片が深々と突き刺さっている。
神々はその惨状を、冷や汗を流しながら見つめていた。
「どうやら、随分と生徒に嫌われているようだな」
ゼウスが皮肉たっぷりに言う。
「今の『全華』を乗せた一撃……悪くない」
シュンはゼウスの言葉を無視し、どこか満足げに呟いた。
(そこを気にするのか!?)と、ヘラクレスは呆気にとられる。
「アフロディーテ」シュンが声をかけた。
「えっ?」
「あんた、俺の生徒が手こずってるって言ったよな?」
「え、ええ……」
「俺にはそうは見えねえな。あいつはまだ、底を見せちゃいない」
シュンは肩をすくめて不敵に笑う。
「だから……次のラウンドは瞬きせずに見とけよ」
……
何時間もが過ぎ去った。次々と候補者が挑み、そして散っていく。
残酷なまでにリストの枠は削られ、彼らの夢は少しずつ儚く消え失せていった。
最終的に、合格者のリストに名を連ねたのは、わずか50名だった。
掲示板の前に立つ三人。ユキとシュウは自信に満ちた笑みを浮かべ、エデンの瞳もまた、抑えきれない興奮に輝いていた。
「やるじゃないか、エデン」
シュウが満面の笑みで彼を見る。「お前なら、次のラウンドも絶対に進めるって信じてたよ」
「ナンバーワンにそう言われると、希望が湧いてくるな」エデンは声を上げて笑った。
「アンタの言葉がただのハッタリじゃないって、証明してみせなさいよ、バカ」
ユキが掲示板から目を離さずに呟く。
「へえ……」
「何よ?」
「お前にも、そんな可愛い台詞が言えるんだな」エデンがからかうように言う。
「……殺されたいの?」
ユキが鋭く睨みつける。三人は温かい笑い声を上げた。彼らの目標は、確実に近づいているように思えた。
――だが、同じ頃。
神々は、無数の書類が散乱する円卓を囲み、重苦しい空気を漂わせていた。
「それじゃあ、ツカ・ユキ、セバスチャン・グリアン、それにシュウ・サジェスの三人は、合格リストに加えていいんだね?」
ヘルメスが机上の名前を確認しながら尋ねる。
「ええ、彼らのポテンシャルは疑いようがないわ。間違いなく素晴らしい戦力になる」アフロディーテが太鼓判を押す。
「それに、見事な連携だった。怪力と知略、実に面白いコンビだ」ヘラクレスも同意した。
しかし、神々はすぐにゼウスが不気味な沈黙を保っていることに気づいた。
「どうした、何か問題でも?」ヘラクレスが問う。
「我々は、道を誤っているのかもしれん」ゼウスが重い口を開く。
「どういう意味だ?」
「並外れた結果を求めるなら、これまでとは違う、常軌を逸した手段を取るべきなのだ」
「何を企んでいるの?」アフロディーテが警戒する。
「こんな下らないルールは変えるべきだ。奴らには、この世界の理不尽さと残酷さを、その身をもって味わわせる必要がある」
「馬鹿なことを言わないで、ゼウス」アフロディーテが反論する。「これは我々の伝統よ。ずっとこうしてやってきたの」
「その結果、何も得られなかっただろうが!」ゼウスが声を荒らげる。
「ゼウス……」
「世界にはセカンドチャンスなどない。死ぬか、失敗すればそれで終わりだ。それを奴らに骨の髄まで理解させ、『GODS』の真の姿を叩き込んでやらねばならん」
突如、その場に場違いな笑い声が響き渡り、神々は一斉に顔をしかめた。
「四角四面なアンタの口から、ルールを破るなんて言葉が出るとは驚きだな」
シュンが腹を抱えて笑っている。
「シュン……貴様」
「あんただけじゃない、ここにいる神々全員がゾクゾクするような、とびきりのアイデアがあるんだ」
シュンの目が、妖しく光る。
「あんたらの腹の底がどれだけ歪んでるか、俺はよく知ってる。義務でやってるんだろうが……たまには少し、遊んでみないか?」
「……続けろ」
「志願者どもに――神々を愉しませてもらおうじゃないか」
シュンの顔に、ひどく歪んだ、悪魔のような笑みが浮かんだ。
……生徒たちが己の実力と努力を信じて疑わないその裏で。
天上では、神々による残酷で血塗られた狂宴の幕が、密かに切って落とされようとしていた。




