第4章・5:嘘
二人の視線には、張り詰めた緊張がはっきりと宿っていた。
シウンの瞳は鋭く、栄光を宿し、
一方でアフロディーテの瞳は毒のように冷たく、
まるで相手の秘密をすべて見透かしているかのようだった。
「その短剣はしまっておけ」
シウンは低く警告した。
「これは子供の遊びじゃない」
……
アフロディーテは何の感情も見せず、
ゆっくりと短剣を懐へしまった。
「それで? 説明する気はあるの?」
「何の話だ?」
「分かっているでしょう」
アフロディーテは即座に言い返す。
「あなたは十年以上、跡形もなく姿を消した」
「そして今になって、
何の説明もなく突然現れ、弟子まで連れている」
「これは一体、どういう冗談なの?」
苛立ちを隠さず問い詰めた。
「お前たちが、俺にとって何者だと思っているか知らないが」
シウンは冷たく言い放つ。
「俺の行動を知る資格があるほど、重要な存在だとは思っていない」
「私たちは仲間だった!」
アフロディーテが声を荒げる。
「……少なくとも、そうだったはずよ」
「過去に縛られるのはやめろ」
「それは十年以上前の話だ。
今の俺たちに、何の関係もない」
「本当に、私たちに何の情も残っていないのか?」
ヘラクレスが、悲しみと怒りを交えた声で問う。
「過去には一切、興味がない」
「ましてや、お前たちになど」
「情がないにしては、
私たちを監視するためにテンサクという“番犬”を送ったようだけど?」
アフロディーテは皮肉を込めて反論した。
「くだらない勘繰りはやめろ」
シウンは呟く。
「お前たちが死のうが、墓前で涙一つ流す気はない」
「そこまでだ!」
ヘラクレスが怒りを込めて睨みつける。
……
「英雄に、軽薄な関係を築く余地はない」
仲間たちはそれ以上、何も言わなかった。
だが、
シウンの拳が強く握り締められているのは、はっきりと見えた。
感情を必死に押し殺している、その証だった。
「だから――」
シウンは背を向けながら言った。
「雇われた仕事だけを、淡々とこなしてくれ」
「なぜ、彼を選んだの?」
アフロディーテが問いかける。
「正直、大した才能には見えないけど」
「あなたの評判が、彼次第になることは分かっているでしょう?」
「他人に見えないからといって、
彼が特別でないとは限らない」
シウンは静かに返す。
「あの少年には、この世界を変える力がある」
「俺には持てなかった“意志”を持っている」
「痛みの中でも、人間性を捨てないと決めた男だ」
「前に進み続ける」
「どんな壁が立ちはだかろうとも、必ず越えていく」
「……シウン」
「何だ?」
「一人で、すべてを背負う必要はない」
アフロディーテは静かに呟いた。
「それが、俺の選んだ道だ」
シウンは迷いなく答える。
「――英雄の道だ」
ザスッ!
一瞬の閃光とともに、
シウンの姿は仲間たちの目の前から消え去った。
残された二人は、ただ黙って巨大な都市を見下ろしていた。
「……傲慢になりすぎたな」
ヘラクレスは怒りを押し殺すように拳を強く握り締めた。
「俺たちに嘘をついているだけじゃない……」
「――あいつは、自分自身にも嘘をついている」
「え? どういう意味だ?」
ヘラクレスが眉をひそめて尋ねる。
「はっきりした理由は分からないけど……」
アフロディーテは静かに言葉を選んだ。
「何かから身を守ろうとしているのよ……もしくは、私たちから」
「昔から、理解しやすい男じゃなかった」
彼女は視線を落とす。
「……特に、あの出来事以来は」
「……あの少女の事件か?」
「ええ……」
「もう十年になるな」
「そう……」
「その日を境に、彼は私たちから距離を取るようになった」
「彼の視線も、ゼンカも……」
アフロディーテは冷静に分析する。
「すべてが変わってしまった。
私たちの理屈では追いつけないほどに」
「今の俺たちにできるのは、遠くから見守ることだけだな」
ヘラクレスは低く結論づけた。
「もし彼が、あの少年を信じたのなら……
その少年を、注意深く見ていくしかない」
「ええ……」
アフロディーテは小さく頷いた。
「彼を信じるしかないわね」
過去は、今もなお――
あの英雄の魂を強く求め続けていた。
それは、決して消えることのない傷を刻んだ過去。
深く、重く、彼の存在そのものに刻まれた痕跡。
それでも彼は、
未来へと視線を向け、歩みを止めなかった。
内なる悪魔たちが、
彼を深淵へと引きずり込もうとしても――
あの呪われた少年は、
いつしか彼にとっての“光”となっていた。
濃く立ち込めていた霧を、
静かに切り裂く、一筋の光として。




