第22章・4:心の戦士
「行くぞォッ!」
ナイは荒々しい叫びを上げ、シュウめがけて突進した。
ドゴォンッ!
戦鎚の一撃が闘技場全体を揺るがし、厚い土煙を巻き上げた。
攻撃をかわした相手を見て、ナイは狂気じみた笑みを浮かべた。
「なかなかやるな、シュウ」
シュウは槍の柄を握り、冷静にナイを見据えていた。
「もっと楽しませてくれよ!」
ドンッ――バキィッ!
ナイが飛び出した瞬間、その足元の地面が砕けた。
ガキィンッ!
戦鎚と槍が激突し、その衝撃で二人は闘技場の両側へと弾き飛ばされた。
シュウは槍の穂先で勢いを殺し、ナイは鋭い翼を使って体を止めた。
…………。
距離を隔てて、二人は互いを見据えた。
満足を隠しきれないナイに対し、シュウは落ち着いた眼差しを崩さず、じっと相手を見つめていた。
(恐ろしい……。ただ一度、打ち合っただけなのに、指を一本折られた)
シュウは歯を食いしばり、折れた指を元の位置に戻した。
(やっぱり、まともに打ち合ったら勝ち目はない。でも、動きはどんどん荒々しくなっている。まだ、あの姿を制御しきれていないのか。それとも、未完成なのか……)
(それでも、推測にすがるわけにはいかない。ナイのエネルギーが尽きる頃には、僕はもう負けているかもしれない)
(ただ一つ確かなのは、あのエネルギーが鍵だということ。でも、どこに目を向ければいいのか、まだはっきりしない)
(何かを見落としているはずだ……。無敵の相手なんていない。僕が見抜けていないだけだ)
(何かが抜け落ちている。でも、それは何だ……?)
だが、それ以上考える時間はなかった。
ヒュンッ――ドゴンッ!
凄まじい勢いで振り下ろされた戦鎚が、シュウのわずか数センチ前をかすめ、地面に激突した。
「ほら、ほら、ほらァッ!」
ナイが吼え、猛攻を仕掛ける。
ドゴッ! ドゴッ! ドゴッ!
次々と繰り出される攻撃。
シュウは、かろうじてその動きを読んでいた。
舞うように槍を操り、その長さを生かして、ナイの顔面へ一撃を叩き込む。
だがナイは即座に反撃し、シュウの顔めがけて戦鎚を投げ放った。
シュウは槍で、その軌道をそらした。
しかし、気づいたときには、ナイが猟犬さながらに目の前まで迫っていた。
(できる限り、距離を保ち続けないと……)
シュウは槍にゼンカをまとわせ、地面へと突き立てた。
ナイの強烈な一撃が届くまで、あと数センチ。
その瞬間、二人の間にエネルギーの壁が出現した。
(これなら、逃れられるはずがない)
ナイは、ただ笑みを浮かべた。
バヂヂッ――ヒュンッ!
一瞬の閃光とともに、ナイの姿が紫の稲妻の中へ消えた。
シュウは完全に虚を突かれた。
(どこだ!?)
シュウは振り返った。
戦鎚のエネルギーそのものから、ナイの全身が再び形を成した。
まるで、その稲妻とナイが一つの存在であるかのように。
(何……?)
その圧倒的な力を目の当たりにし、シュウは目を見開いていた。
そして、その瞬間に悟った。
逃げる時間はない。
この一撃は、避けられない。
「もらった」
緑に輝くギリシャの戦士の瞳に、紫の閃光が映り込んだ。
蛇のようにうねる稲妻がナイの戦鎚へと叩きつけられ、闘技場さえ破壊しうる圧倒的なエネルギーを注ぎ込んだ。
ドゴォンッ!
シュウは両腕を交差させ、雷の怒りをまともに受けた。
一秒も経たぬうちに、骨に亀裂が走った。
その衝撃に耐えきれず、シュウの体は数メートルも吹き飛ばされ、壁へと激しく叩きつけられた。
「シュウ!!」
観客席から、エデンが叫んだ。
ほかの仲間たちも、その一撃に愕然としていた。
…………。
ナイは再び闘技場に降り立ち、ゆっくりと相手へ歩み寄った。
「悪くなかったぞ、シュウ。正直に言えば、俺にこの姿を使わせたのは、お前が初めてだ」
「だが、まだ分かっていないことがある……。お前は弱い」
「必要な手段や力がないからじゃない。人間性を捨てられないからだ」
ゴフッ!
シュウは血を吐き出しながら、ゆっくりと身を起こそうとした。
「お前には、すべてがある。血も、血統も、知識も、力も、加護もな。それなのに、この世界が必要とする怪物になるだけの意志が足りない」
シュウはふらつきながら立ち上がろうとした。
だが、疲れきった体はそれを許さず、膝から崩れ落ちた。
「だが、安心しろ。俺のそばにいれば、お前は本来なるべき戦士の姿を取り戻せる」
ナイは笑みを浮かべた。
「お前と一緒なら、俺は誰にも止められない。世界一になれる。何者かになれるんだ」
(くそっ……立て!)
シュウは自分の脚を叩き、必死に言い聞かせた。
ナイが指を鳴らした。
地面から二本の電撃の鎖が現れ、弱りきったシュウを縛り上げる。
「なぜ俺が勝ったか分かるか、シュウ?」
シュウは憎しみを込めた目でナイを見たが、何も答えなかった。
「すべてを懸けたのは、俺だけだったからだ」
その言葉に、シュウは凍りついた。
言葉が、一つも出てこなかった。
「お前と違って、この勝利は俺のすべてだ。これがなければ、俺はただのクズだ。弱いガキにすぎない」
ナイは続けた。
「だが、教えてくれ、シュウ。今日、お前は何を懸けている?」
「お前の瞳の中には、何も見えない。あの仲間たちとは違ってな」
シュウの神の眼が、再び発動した。
だが、そこで見た未来は、何よりも彼を恐怖させた。
(何も……。どうして、何も見えないんだ……?)
「俺に見えるのは、ぬるま湯に浸かったお前の姿だけだ」
ナイの言葉は続く。
「慣れきったその居心地のよさを失うのが、怖いんだろう」
「こんな無様な戦士と付き合わされる仲間たちが、気の毒でならないな……」
「お前は何者でもない、シュウ・サジェス」
未来は闇に閉ざされ、体も限界に近づいていた。
シュウは歯を食いしばり、視線を落とした。
…………。
(言葉に恨みがない)
シュウは、相手の目を見つめながら思った。
(どの言葉も、憎しみや嫉妬から生まれたものじゃない……。むしろ、哀れみに包まれているように感じる)
(でも、ナイの言うとおりだ。僕には、何の価値もない)
もう一人のシュウの言葉が、脳裏によみがえった。
(あいつが言ったとおり、救いようのない弱虫なんだ。何も変えられない。自分一人で何かを成し遂げたことなんて、一度もない)
(僕を本当に動かしているものは、何だ?)
(僕は、本当は何のために戦っている?)
(僕は、いったい何なんだ!?)
…………。
「君は、知の戦士だ」
頭の中に、温かな声が響いた。
カチッ。
時計が音を刻んだ瞬間、時空が歪んだ。
シュウは星々の広がる空間に浮かんでいた。
周囲には、時を刻むのをやめた時計が漂っている。
目の前の光景に、シュウはただ困惑するばかりだった。
宇宙そのものを思わせる一羽の梟が、真正面から自分を見つめていた。
「え……? 君は……誰なんだ……?」
「その問いを向けるべき相手は、君自身だよ、少年」
梟は答えた。
「どうやって思い出せっていうんだ!? 僕は、自分のことなんて何も知らない!」
「過去のことなんて全部、拭い去れない血にまみれた、ぼやけた光景ばかりだ!」
「本当の自分が誰なのかも分からないのに、何のために戦っているかなんて、どうやって分かるっていうんだ!?」
梟はシュウの顔へと爪を伸ばした。
「思い出させてあげよう」
その爪がわずかに触れた瞬間、シュウの瞳が真っ白に染まった。
意識が、魂の奥底にある記憶へと送り込まれる。
…………。
シュウの幻影が、自らのぼやけた記憶の上を漂っていた。
血に汚れたもの。
壊れてしまったもの。
中には互いに混ざり合い、混乱をいっそう深めるものもあった。
だが、一つだけ、汚れも欠けもない記憶があった。
小さな命を抱いた女性が、美しい笑みを浮かべている。
赤ん坊は、生まれてからまだ数日しか経っていなかった。
花びらよりも壊れやすい、その小さな命。
女性は赤ん坊の緑の髪をそっと撫で、語りかけた。
「これから生きていく中で、何度も迷うでしょう。怖くて、ただ逃げ出したくなるときもある。そう思うことは、悪いことじゃないのよ」
「どれほど賢い人でも、すべての問題を一人で解決できるわけじゃないの」
「でも、これだけは忘れないで。私の愛しい子。あなたは、知の戦士なのよ」
「どんな状況でも、どれほど難しく思えても、あなたなら答えを見つけられる」
「出口なんてないように見えても、あなたなら、きっと見つけられるわ」
「そして、もう無理だと思ったときは、助けを求めればいいの。それであなたが弱くなるわけじゃない」
シュウは少し離れた場所からその記憶を見つめ、小さく微笑んだ。
「母さん……僕に、そんなに期待してくれていたんだね。失望させて、ごめん」
天上の梟は口を挟まず、離れた場所からシュウを見つめていた。
シュウは、混乱した記憶の数々を改めて見渡した。
(自分の過去が、どうしても気になる。本当の自分が誰なのか知りたい。どこから来たのかも知りたい。でも、今その答えを手に入れたところで、何も変わらない)
「シュウ、準備はいい?」
緑の瞳を持つシュウ・サジェスが、小さく微笑んだ。
もう一人のシュウが、その隣に現れた。
彼もまた、自分には理解できない記憶の数々を見つめていた。
「もう、どうするか決まったのか?」
金色の瞳のシュウが尋ねた。
「まあ……やってみたら死ぬかもしれないけど、ほかに選択肢はある?」
「頭がいいのは、君のほうじゃなかったのか……」
二人のシュウは振り返り、梟を見た。
そして初めて、二人の声が一つに重なった。
「ありがとう」
ほんの一瞬、梟の目には、二人が一つの存在に見えた。
その光景に、驚きを隠せなかった。
「自分がどこから来たのかは、まだ分からない。でも、どこへ進むべきかは、はっきりしている」
シュウ・サジェスは言った。
「それに、今は二人とも分かってる。僕らは、そう簡単には諦めない」
「幸運を祈る」
梟はそう言って、二人の額に触れた。
コチッ。
その音とともに、時は再び流れ始めた。
「さよならだ」
ナイは戦鎚を天へと掲げた。
バリィィンッ!
雲間から現れた雷の竜が、空を真っ二つに引き裂いた。
「雷閃竜!」
竜が、シュウめがけて猛然と降下する。
だが、その瞬間。
シュウはゆっくりと目を開いた。
右目が黄金に染まり、その瞳に時計の針が映し出される。
そして、ほとんど知覚できないほどの閃光とともに、彼を縛っていた鎖が光の粒子となって砕け散った。
ドゴォォンッ!
竜が闘技場に激突した。
巨大な爆発が厚い土煙を巻き上げ、竜の鱗をかたどった美しい結晶を生み出した。
だが、真っ先に悪寒を覚えたのはナイだった。
「冗談じゃねえぞ……」
呟きながら、振り返る。
そこに立っていたのは、これまでとは違う戦士だった。
ただの天才でも、ただの蛮人でもない。
その二つが、一つの存在として共存している。
勝つという、ただ一つの目的のために。
その右側には、黄金の梟の翼が生えていた。
そして、それまでとは異なるゼンカ――エレメンタル・ゼンカが、冠を形作っていた。
全身は傷に覆われていた。
それでも、その意志は灰の中から蘇っていた。
「今さらどんな小細工を使おうと、俺には勝てない!」
ヒュンッ!
ナイが動くよりも早く、シュウはその目前に現れていた。
だが、その視線はただ一つの標的に据えられていた。
あの戦鎚。
その動きを見たナイが、目を見開いた。
(ナイは間違いなく、優れた戦士だ。僕ら二人より、はるかに強い。でも、巨大な力には大きな問題がつきまとう――制御だ)
シュウは拳全体を、まばゆいゼンカで包み込んだ。
(力の制御が苦手なエデンとは違って、ナイにはその技術がある。でも、どれほど巧みに扱えても、今のエネルギー量は本人が制御できる範囲を超えている)
(だから、あの力を自在に使っているのを見たときから、何かがおかしいと思っていた。そして、あの攻撃で疑いは確信に変わった)
(あまりに単純で、見落としていたんだ。あの戦鎚は武器であるだけじゃない。エネルギーを蓄えるコンデンサーなんだ。だからこそ、ナイは力を自在に操れる)
(大規模な攻撃を放つたびに、あの戦鎚が必要だった。そこにエネルギーを蓄えているからだ。つまり、戦鎚がなければ制御できない。制御を失えば、あの差は消える)
(そうすれば、ようやくナイと互角になれる)
ドゴンッ!
ゼンカをまとったシュウの拳が、ナイの反射的に生み出した電撃の障壁に激突した。
一撃を受けても、その障壁にはナイ自身と戦鎚の両方からエネルギーが注ぎ込まれていた。
「あああああああああッ!!」
そのエネルギーがシュウの全身の細胞へと侵入し、血管を紫に染めていく。
「俺の戦鎚から離れろ!」
ナイは叫び、さらに力を注ぎ込んだ。
シュウの悲鳴は、聞くに堪えないほど凄まじかった。
観客たちは呆然としていた。
口を覆う者。
目をそらす者。
だが、仲間たちは恐怖と希望を胸に、シュウを見つめ続けた。
「いい加減、諦めろ!」
ナイが吼え、さらにエネルギーを送り込む。
シュウ自身のゼンカにも影響が及び、ひびが入り始めた。
「ふざけるな!」
シュウが言い返した。
「もう二度と、諦めるつもりはない!」
「自業自得だぞ!」
バヂヂヂヂヂッ!
膨大な電撃のゼンカがシュウの全身を包み、肌を焼いた。
それでも、シュウは食らいつき続けた。
(後悔はもうたくさんだ。今、ここで、新しい道を切り開く)
(どれだけ痛くても、忘れたくない。自分が誰なのか、永遠に覚えていたい。たとえ、そのせいで死ぬことになっても)
(今日から、新しい物語を書く。シュウ・サジェスの物語を)
「ああああああッ!」
一瞬、シュウ・サジェスの視線が、小さな綻びを捉えた。
誰もが見逃してしまうほど、かすかな隙だった。
だが、その天才は、完璧な瞬間を見出した。
戦鎚が障壁へ再びエネルギーを補充する、その刹那。
ナイのゼンカが揺らぐ、わずか千分の一秒。
その瞬間、二つの声が一つの叫びになった。
拳が、この上なくまばゆく、美しいエネルギーに包まれる。
「今だ!!」
ナイには、一瞬だけそれが見えた。
(梟……?)
バキィッ!
桁外れの力を宿したシュウの拳が、電撃の障壁を貫いた。
そして、ついに戦鎚を直撃する。
そのゼンカの威力に、戦鎚が幾百万もの破片となって砕け散った。
ナイは目を大きく見開いた。
その破片の一つ一つに、彼を鍛え上げてきた犠牲、痛み、栄光、そして闇が映っていた。
そのすべての記憶が、一瞬にして砕け散った。
…………。
ドサッ!
シュウは力尽き、傷だらけの体を地面に投げ出した。
その隣では、ナイがのたうち回っていた。
自らの力が放つ電撃に襲われ、想像を絶する痛みに苛まれていた。
筋肉は激しく収縮し、血を吐くのが止まらない。呼吸すら、ままならなかった。
それでも、その視線は砕けた武器に釘づけになっていた。
シュウへ目を向けることさえない。
その隙に気づいたシュウは、ゆっくりと身を起こした。
脚は震え、気力も萎えかけていた。
砕け散ったナイの武器と同じように、シュウの変身も、風に散る塵のように解けていった。
黄金に染まっていた右目が、本来の緑へと戻る。
「君が言ったとおりだよ。僕は今の居心地のよさを失うのが怖い」
シュウは認めた。
「もう一度、何もかも失うのが怖いんだ。仲間や友達を失うのが怖い」
「でも、その恐怖が、前へ進む力をくれる。今なら分かるんだ。今あるものを守りたいなら、君を叩き潰さなきゃならない。たとえ、自分が怪物だと受け入れることになっても」
シュウは完全に折れてしまった右腕を見つめ、槍を脇へ置いた。
「今の僕は、ただの人間だ。半神でもなければ、天才でもない。普通の人間でしかない」
「正直、こんな惨めな状態で君に勝てるとは思えない。でも、諦めるつもりはない。勝ちたいなら、僕を完全に叩き潰すしかないよ」
ナイは体をふらつかせながらも、戦鎚の破片から目を離さずにいた。
そして、低く呟いた。
「大した奴だな、シュウ」
「え?」
「すべてを失っても、まだそこに立っている」
「もう武器もない。ゼンカも限界だ。見ろ、立っているのもやっとじゃないか。それでも、よくそんな猛々しい目で俺を見られるものだ」
「相変わらず、生意気な奴だ……」
ナイはゆっくりと身を起こした。
「なら、その生意気さには、俺が一番得意なやり方で応えてやる……この拳でな!」
顔の血を拭い、ナイは声を張り上げた。
「これ以上の終わらせ方はないね」
シュウはそう答え、構えを取った。
余力も、武器も、天才のひらめきもない。
そこにいるのは、己の拳にすべてを懸ける二人の戦士だけだった。
すべてを決めるこの戦いは、ついに終わりを迎えようとしていた。
勝利を手にするのは、どちらか。
次のラウンドへ進むのは、どちらか。
…………。
【続く】




