第22章・1:マットの上で
アスガルドの街路には喧騒があふれ、興奮と期待が渦巻いていた。
数日にわたって待ち望まれたその日が、二度の激闘を経て、ついに訪れた。
赤と緑に染まった街は、いよいよ決戦の日を迎えたのだ。
「紳士淑女の皆さまぁぁッ! トーナメント・オブ・ゴッズの戦いへ、再びようこそぉぉぉッ!」
ヘルモーズが、興奮に満ちた声で叫んだ。
「うおおおおおおおッ!!」
会場中から、一斉に雄叫びが上がった。
その圧倒的な歓声に、闘技場が震えた。
「勇気と覚悟に満ちた二度の激闘を経て、本日、ついにこの対戦に決着がつきます!」
「現在のスコアは一対一! 栄光と、大会二回戦への切符を懸けて、両学院が激突しますッ!」
「本日相まみえるのは、二人の天才! 二人の神童! 偉業を成す運命にある、二人の戦士ッ!」
「神々の血を受け継ぐ、祝福されし二人の戦士ですッ!」
「GODS学院、シュウ・サジェス」
「ノルク学院、ナイ・ブリクスト」
「雷と叡智の激突!」
「力と知略の真っ向勝負!」
「この戦いを見届ける準備は、できていますかぁぁッ!?」
「うおおおおおおおッ!!」
「聞こえませんよぉッ! 準備はいいですかぁぁッ!?」
「うおおおおおおおおおッ!!」
「準備はいいかぁぁぁぁッ!!」
「うおおおおおおおおおおおッ!!」
その凄まじい歓声は、闘技場の暗く静まり返った控室にまで響いていた。
戦いを控える者たちにも、会場の圧倒的な重圧が伝わってくる。
「外、すごいことになってるな……」
エデンはぎこちない笑みを浮かべて呟いた。体のところどころには、まだ包帯が巻かれている。
「まったくだね……」
シュウが応じた。
「あの空気には圧倒されるよ。こんな雰囲気は、ほかじゃ味わえない」
エデンは、ちらりとシュウへ視線を向けた。
シュウは机の上に広げられた装備を見つめていたが、そのどれ一つとして手に取ろうとはしなかった。
「緊張してるのか?」
「してないと言ったら、嘘になるね」
シュウは答えた。
「最初の試合の日から、ずっと考えてるんだ」
「本当に、僕はこの戦いに挑む準備ができているのか。アイザックや君みたいに、必要なものを持っているのか……何度も、自分に問いかけてる」
「怖いんだ。負けることだけじゃない。君たちやGODSが僕に寄せている期待に、応えられないことも」
「気にしないって何度繰り返しても、失敗したらどんな目で見られるのか、考えずにはいられない」
「アイザックも君も、すべてを出し尽くした。自分の体さえ危険にさらして。でも、僕にはそこまでできる気がしない」
「この世界では必要なことだって分かってる。それでも……そこまでする価値はあるのかな」
「もう、僕だけの問題じゃない。それも分かってる。自分勝手で馬鹿なことをして、サラまでこの争いに巻き込んでしまったんだから」
「みんな、僕のことを天才だって言うけど……しくじってばかりじゃないか。くそ……」
シュウは苦々しく呟いた。
その言葉を聞いたエデンは、シュウの隣に腰を下ろした。
そして、笑みを浮かべて口を開いた。
「正直、そこまでする価値があるのか、俺にも分からない。この前、あんな自殺同然の無茶をしたのは、自分でそうすると決めたからだ。何か見返りを期待していたわけじゃない」
「アイザックが何に突き動かされてあそこまでやったのか、俺にはまだ分からない。でも、あいつにも理由がある。それは確かだ。ここにいる俺たちみんなに、それぞれ理由があるようにな」
「俺は、また失敗するのが怖かった。また大切な奴らを失望させてしまうかもしれない……そう思うと、たまらなく怖かったんだ」
「俺が選んだやり方が、最善だったとは限らない。でも、もう一度失敗するわけにはいかなかった」
「エデン……」
「ほんの一年足らず前まで、俺はこんな世界があるなんて、知りもしなかった」
エデンは打ち明けた。
「お前たちと違って、俺にとっては全部、空想や神話の中だけの話だったんだ」
「神々、不思議な力、悪魔、天使……どれも、ただの夢物語にしか思えなかった」
「でも、俺の人生は変わった。ありえない空想だと思っていたものが、日常になったんだ。……俺が望んだ形じゃなかったけどな」
「何もかもが悪夢になった。日が経つたびに、ひどくなっていく悪夢に」
「でも、こんなひどい悪夢の中でも、大切に思える人たちと出会えた。ユキや、お前みたいにな」
「俺は、その小さな光を、自分の力に変えようとしてる」
「奈落へ落ちないよう、岩にしがみつくみたいに……あいつらの名前を、支えにしようとしてるんだ」
「つまり、誰にだって戦う理由はあるってことだ。どれだけ馬鹿げていても、悲惨でも、暗くても、薄っぺらくてもいい。結局、それがあるから、俺たちは沈まずにいられるんだ」
「お前だって同じだ、シュウ。心の奥には、お前を支えてくれるものがあるはずだ。それは何かかもしれないし、誰かかもしれない。あとは、それを見つければいい」
「今日は、俺たちの期待に応えようとして戦場に出る必要なんてない。俺たちの努力を無駄にしないために戦おうとも思わなくていい」
「自分のために行け。自分の夢のために、全力で戦ってこい」
「試合を楽しんでこいよ。俺たちはもう、お前を誇りに思ってるんだからな、天才」
エデンは小さく微笑み、そう告げた。
エデンは再び立ち上がり、出口へ向かった。
だが、立ち去る前に口を開いた。
「闘技場で何が起きても、お前を嫌いになったりはしない。勝ち負けなんて、俺にはどうでもいい」
「俺みたいになる必要はない。だが、手を抜くような真似をしたら……もう俺に話しかけるなよ、シュウ」
エデンは鋭い眼差しを向け、そう言い残した。
扉が閉まり、その眼差しも向こう側へ消えた。
だが、その忠告に、シュウの口元には小さな笑みが浮かんだ。
「いつか、僕の死を願わずに励ましてくれる日は来るのかな……」
シュウは再び、武具の並ぶ机へ目を向けた。
そして槍を手に取り、呟いた。
「僕が戦う理由、か……」
◇◇◇
同じ頃、近くにある、さらに薄暗い部屋に、ナイは一人でいた。
温もりも、誰かの囁きもない。
ただ静寂と冷たさだけが、その部屋を満たしていた。
ナイは目を閉じて座り、同じ言葉を何度も繰り返していた。
「負ければ、お前は出来損ないだ」
「負ければ、お前に価値はない」
「負ければ、お前は取るに足らない存在だ」
「負ければ、お前は何者でもない」
バヂヂヂヂッ!
戦鎚から放たれた膨大な電気のエネルギーが、ナイの全身へと走った。
そして、ついに目を開く。
その眼差しには、圧倒的な力と決意が宿っていた。
「すべてを破壊しろ」
ナイは、自分自身にそう命じた。
戦太鼓の轟きが、九つの世界に凄まじい勢いで響き渡った。
一打、一打が、警告であり、合図でもあるかのようだった。
九度の打音。九つの太鼓。
ノルクの内でも外でも、あらゆる者がその戦いに注目していた。
「左コーナー、GODS学院代表! シュウ・サジェスッ!」
「うおおおおおおおッ!!」
その神童は、これまでになく強い決意を胸に、トンネルから姿を現した。
その瞳は黄金色ではなく、威圧感も宿していなかった。
それでも、彼の目指すものははっきりしていた。
――勝利。
シュウが身につけていたのは、緑のハイネックの内着に、同じ緑の金属装甲を重ねた鎧だった。
装甲には金色のギリシャ文様が施され、中央には彼を象徴する紋章――梟の瞳があしらわれていた。
「シルバーランク第一位! 神々の叡智を持つシュウが、己の真価を示すべく挑みますッ!」
ヘルモーズが叫んだ。
シュウが右腕を軽く動かすと、手首の装具から円形の盾が現れた。
(いよいよだ)
その瞳が、かすかに黄金色を帯びた。
「右コーナー! 九つの世界、そしてノルク学院の代表! ナイ・ブリクストッ!」
「うおおおおおおおおおおッ!!」
トンネルの靄の中から、雷電をまとった威圧的な人影が現れた。
その美しい力に、観客たちは息を呑んだ。
悲しみと憎しみから湧き上がっているかのようなエネルギー。
圧倒的で、揺るぎがない。
この闘技場では、誰もこれまで目にしたことのない力だった。
獣じみた凄まじさを持ちながら、確かに制御されている。
到底、学生が放つ力とは思えなかった。
(何だ、あの力は……?)
シュウは目を見張った。
(いつものナイとは、まるで違う。この数日で、何があったんだ?)
「ミョルニルの継承者! 雷鳴の申し子! ノルクの希望!」
ヘルモーズが声を張り上げた。
「ゴールドランク第九位、ナイ・ブリクストッ!」
ナイは戦鎚の柄を強く握り締めた。
その体から膨大なエネルギーが噴き上がり、シュウの肌に汗が滲んだ。
「神童と真実の違いを、今こそ思い知らせてやる、シュウ」
…………。
二人の戦士が闘技場に立ち、ついに幕が上がった。
二度目の機会はない。
すべてを掴むか、すべてを失うか。
【続く】




