第20章・5:それぞれの理由
アフロディーテは、目の前に並ぶ者たちを眺めながら、何とも言えない表情を浮かべていた。
短時間にあまりにも多くの情報を聞かされ、頭の中で処理しきれなくなっているのだ。
「ちょっと整理させて……」
女神は片手で顔を覆い、深いため息をついた。
そして、まずエデンを指さす。
「あなたには気分転換をしてきなさいと言った」
「はい」
「それなのに、よりにもよって一番関わってはいけない相手と揉めて帰ってきた」
「はい」
エデンは悪びれる様子もなく、笑顔で答えた。
アフロディーテのこめかみに、うっすらと青筋が浮かぶ。
「次に、あなた」
今度はシュウへ指先が向けられた。
「エデンを捜してきてと頼んだはずよね?」
「はい」
「なのに止めるどころか、GODSに残れるかどうかまで賭けた。そういうことね?」
「はい」
シュウも平然と答える。
アフロディーテは、さらに深く顔を覆った。
「そして、あなたとはまだほとんど初対面だけど……」
最後に、サラへ視線を向ける。
「話を聞くかぎり、この二人の馬鹿のせいで、今は一時的にGODSの一員になった。そういう認識で合っている?」
「まあ……だいたい、そんなところだ」
サラは引きつった笑みを浮かべながら、小さく頷いた。
「それから……」
アフロディーテの視線が、三人の足元へ向けられる。
「その猫は何?」
「猫です」
エデンが即答した。
「猫ですね」
シュウも続けて頷く。
「どう見ても猫だな」
いつの間にかソファに寝転がっていたヘルメスが付け加えた。
「ニャア」
最後に、猫自身まで同意するように鳴いた。
「猫なのは見れば分かるわよ、この馬鹿ども……!」
アフロディーテの肩が、怒りによって小刻みに震える。
「私が聞いているのは、どうしてここに猫がいるのかってこと!」
そして、勢いよくソファへ振り返った。
「それとヘルメス! あなたはいつからそこにいたの!?」
「おい!」
しかし、ヘルメスは女神の問いを完全に無視した。
上体を起こし、サラを見ながら驚きの声を上げる。
「いつから俺たちのグループに女の子が増えたんだ?」
「今さら気づいたの……?」
アフロディーテは、信じられないものを見るような目を向けた。
「安心してください、先生」
シュウが穏やかな声で説明する。
「あれは、女の体に閉じ込められたエデンですよ」
「本当か!?」
ヘルメスは目を大きく見開いた。
「いつからだ?」
「おい……」
エデンの笑顔が、ゆっくりと消えていく。
そして、疑いの眼差しをシュウへ向けた。
「お前、いつから俺たちの話を聞いてた?」
「え?」
シュウは何も知らないという顔で首を傾げる。
「僕は何も知らないけど?」
「この野郎……」
エデンは拳を震わせながら呟いた。
「はぁ……」
アフロディーテは、心の底から疲れ切ったように息を吐く。
「本当に、馬鹿ばっかり……」
「迷惑をかけてしまって、本当にすまない」
サラは申し訳なさそうに頭を下げた。
その姿を見たアフロディーテは、少しだけ表情を和らげる。
「気にしなくていいわ。あなたが謝ることじゃない」
そして、エデンたちを冷たい目で見回した。
「この子たちが勝手にやった馬鹿なことまで、あなたが背負う必要はないもの」
「……」
「とにかく、ようこそ」
アフロディーテは、改めてサラへ微笑みかける。
「事情がどうであれ、今のあなたは私たちの仲間よ」
サラは戸惑ったように目を瞬かせた。
それから、ほんの少しだけ笑みを浮かべる。
「……ありがとう」
「エデン」
アフロディーテが、不意に彼の名を呼んだ。
「はい?」
「試合の開始まで、もう数時間しかないわ」
その声から、先ほどまでの呆れが消えていく。
「今は部屋へ戻って、しっかり休みなさい」
「はい」
「それから、今度こそ本当に休むのよ」
アフロディーテは、足元の猫を指さした。
「猫を連れて帰ってくるという意味じゃない。分かった?」
「は、はい……」
エデンは叱られた子供のように肩を縮めた。
「エデン」
立ち去ろうとした彼を、アフロディーテがもう一度呼び止める。
「どうしました?」
エデンが振り返る。
アフロディーテは彼の瞳をまっすぐに見つめ、優しく微笑んだ。
「あなたなら、できるわ」
「……」
その一言に、エデンの表情がわずかに緩む。
そして、小さくも確かな笑みを浮かべた。
「必ず勝ちます」
そう言い残すと、エデンは階段を上り、自分の部屋がある上階へと向かった。
その背中が見えなくなったあとも、アフロディーテたちは一階に残り、静かに彼を見送っていた。
◇◇◇
エデンが上階へ消えたあとも、サラはしばらく階段を見つめていた。
やがて、何かを決意したようにアフロディーテへ振り返る。
「一つ、聞いてもいいか?」
「どうしたの?」
アフロディーテが優しく聞き返す。
「どうして……お前たちは、あそこまでエデンを信じられるんだ?」
サラの瞳には、純粋な疑問が浮かんでいた。
「彼が負けるかもしれないとは、思わないのか?」
「そうね……」
アフロディーテは少し考えるように腕を組んだ。
「正直、うまく説明できる自信はないわ」
「……」
「でも、一つだけ確信していることがある」
女神は、エデンが上っていった階段へ目を向ける。
「どんな困難が立ちはだかっても、エデンは必ずそれを乗り越える方法を見つける」
その声には、わずかな迷いもなかった。
「何があの子に、前へ進み続けるだけの力を与えているのか……それは私にも分からない」
アフロディーテは穏やかに微笑む。
「でも、簡単に諦める子ではないことだけは、間違いないわ」
「それに――」
シュウが、二人の会話へ静かに加わった。
「僕たちだって、彼が負けることを恐れていないわけじゃない」
その表情から、いつもの掴みどころのない笑みが消える。
「ただ……敗北そのものよりも、僕たちが恐れていることがある」
「敗北よりも恐ろしいこと……?」
「この逆境に対して、エデンがどんな答えを出すのか」
シュウは静かに階段を見上げた。
「あの大馬鹿は、僕たちが勝利への希望を捨てずに済むのなら……自分のすべてを平気で犠牲にしかねない」
「……」
「彼をあれほど信頼できる人間にしている、その人間らしさが――同時に、彼を誰よりも危険な存在にもしているんだ」
シュウはサラへ視線を戻す。
「君も、もう気づいているんじゃないか?」
「何にだ?」
「彼は、あまりにも他人のことを気にかけすぎる」
シュウは呆れたように肩をすくめた。
「他人を守るためなら、自分自身を危険へさらすことさえ躊躇しない。本人は絶対に否定するだろうけどね」
「……ああ」
サラは、エデンと出会ってからの出来事を思い返した。
呪いの噂を聞いても、自分から離れようとしなかった。
何が起こるか分からないにもかかわらず、その手を差し出した。
そして、ナイの前では何も知らないまま自分を庇おうとした。
「最初は、私に近づくための演技にすぎないと思っていた」
サラは小さく息を吐く。
「優しい人間を演じて、私の警戒を解こうとしているだけだと」
「それで?」
「結局、分かったのは……」
サラは呆れを隠そうともせず、階段へ目を向けた。
「あいつが、ただの馬鹿だったということだけだ」
「だろう?」
シュウは、まるで自分のことを褒められたように満足げに頷いた。
「ようこそ、こっちの仲間へ」
アフロディーテも楽しそうに笑う。
「エデンに振り回される者同士、これから仲良くしましょう」
サラの口元にも、わずかな笑みが浮かんだ。
「だが……そこが、あいつの一番気に入っているところでもある」
「……え?」
アフロディーテの笑顔が凍りつく。
恐る恐る、サラの顔を覗き込んだ。
「まさか……あなた、エデンのことが好きなの?」
「ありえない」
サラは一切迷うことなく即答した。
「えっ?」
「たとえ世界中の男が滅び、最後にあいつ一人しか残っていなかったとしても――」
サラは断言する。
「絶対にありえない」
「そこまで残酷に言わなくてもいいんじゃないかな……」
シュウは、引きつった笑みを浮かべながら呟いた。
「まあ、それはともかく」
アフロディーテは手を叩き、話を切り替える。
「そろそろ祝勝会の準備を始めましょう」
「まだエデンは勝っていないぞ?」
サラが不思議そうに尋ねる。
「だから何?」
アフロディーテは当然のことのように首を傾げた。
「勝つと信じているんだから、今から準備しておかないと間に合わないでしょう?」
「……なるほど」
サラは、その揺るぎない信頼に再び目を丸くした。
「そういえば、シュウ」
アフロディーテが彼へ振り返る。
「頼んでいた買い出しの荷物はどこ?」
「……あっ」
シュウの表情が固まった。
「忘れた」
「……本気で言っているの?」
「本当に忘れた」
シュウは真顔で答えた。
アフロディーテの額に、再び青筋が浮かぶ。
「あの……」
サラが遠慮がちに手を上げた。
「よければ、私が手伝えると思う」
「本当?」
「大した量ではないが、エデンと出会う前に買い物を済ませていたんだ」
サラは、持ち帰ってきた紙袋へ視線を向ける。
「使えるものが残っているなら、好きに使ってくれ」
「サラ、あなたは私たちの救世主よ!」
アフロディーテは歓喜の声を上げた。
そして、ソファに座るヘルメスと、平然としているシュウを交互に睨みつける。
「あなたたち二人も、少しはサラを見習いなさい!」
「なぜ俺まで……?」
「僕もエデンを連れ戻すという仕事は果たしたんだけどね」
「口答えしない!」
アフロディーテの一喝に、二人は同時に口を閉ざした。
「それじゃあ、さっそく始めましょう」
アフロディーテの言葉を合図に、全員が祝勝会の準備へ取りかかる。
サラも紙袋を抱え、その輪の中へ自然と加わった。
誰かと一緒に食材を並べ、くだらないことで言い争い、同じ時間を共有する。
そんな何気ないひとときが、今のサラには何よりも温かく感じられた。
(この感じ……本当に心地いい)
サラは、自分でも気づかないほど穏やかに笑っていた。
◇◇◇
時間は瞬く間に過ぎていった。
いつしか太陽はアスガルドの彼方へ沈み、王国の隅々を照らす橙色の街灯が、夜の訪れを告げている。
昼間とは異なる幻想的な光が、石造りの街並みを柔らかく染め上げていた。
しかし、静寂が訪れることはない。
試合の開始が近づくにつれ、王国の至るところから観客たちが姿を現し、闘技場へ向かって歩き始めていた。
興奮に満ちた話し声。
商人たちの威勢のいい呼び声。
絶え間なく続く無数の足音。
それらが混ざり合い、王国の通りは少しずつ大きな熱気に包まれていく。
そんな大勢の観客たちに紛れ、一人の男が闘技場へ向かっていた。
厚手の外套に身を包み、首元にはマフラーを何重にも巻いている。
バルドルだった。
「寒いな……」
口を開くたびに、白い息が煙のように夜空へ昇っていく。
バルドルは歩きながら、街の様子を注意深く見回した。
(日に日に寒さが増している……)
(最初は、冬が近づいているせいだと思っていた)
季節の移り変わりによる、ごく自然な現象。
初めのうちは、そう考えていた。
(だけど最近は、街路にまで霜が降り始めている)
道端に咲いていた花々は、生気を失ったように次々と枯れていく。
穏やかに流れていた川の水も凍りつき、場所によっては完全に流れを止めていた。
(これは、本当に季節だけの問題なのか?)
バルドルの表情から、いつもの穏やかな笑みが消える。
(いったい……何を意味しているんだ?)
「こんなところで会うなんて、意外ね」
突然聞こえてきた女性の声が、バルドルの思考を遮った。
「……アフロディーテ」
振り返ると、愛の女神が人混みの中に立っていた。
「あなたが、こういう催しに興味を持つとは思わなかったわ」
アフロディーテは意外そうにバルドルを眺める。
「興味がないのは事実だよ」
バルドルは、いつもの柔らかな笑みを取り戻した。
「でも、果たさなければならない約束があるんだ」
「エデンとの約束?」
「うん」
「やっぱり、あの子を特別に気にかけているのね」
アフロディーテは探るような目で、バルドルの顔を覗き込む。
「理由を聞いてもいいかしら?」
「秘密だよ」
バルドルは、何も明かすつもりがないことを示すように微笑んだ。
「……時々、あなたがどれほど不気味な人なのか忘れそうになるわ」
「ひどいなぁ……」
バルドルは傷ついたように肩を落とす。
「でも、一つだけ忠告しておくわ」
アフロディーテの声音が、不意に冷たくなった。
「何かな?」
「エデンを傷つけたら、私があなたを殺す」
女神の瞳には、冗談など一切浮かんでいなかった。
「分かっているよ」
しかし、バルドルは動じることなく頷いた。
「なら、馬鹿なことを考える前に、その言葉を思い出しなさい」
「しっかり覚えておくよ」
バルドルは微笑んだまま、再び闘技場へ向かって歩き始める。
アフロディーテも、その隣に並んだ。
「ところで……サラはどうしている?」
不意にバルドルが尋ねた。
「あなた、もう知っていたの?」
「起きたことは、ほんの概要だけ耳にしたんだ」
バルドルは少しだけ安堵したように息を吐く。
「でも、今は君たちと一緒にいると聞いて、少し安心したよ」
「あなたの性格なら、もっと前からサラのために動いていたと思っていたけど」
アフロディーテが横目で彼を見る。
「何もしなかったわけじゃないよ」
バルドルは、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「ただ……あの子は僕のことが嫌いなんだ」
「本当に?」
アフロディーテの瞳が、好奇心に輝く。
「何をしたら、あの子からそこまで嫌われるのよ?」
「初めて近づいて助けを申し出たとき、はっきり言われたんだ」
バルドルは当時の光景を思い出しながら、力なく項垂れる。
「『お前の振る舞いは、見ていて気持ちが悪い』って」
「随分とはっきり言われたのね……」
「いつも仮面をかぶって、本当の自分を隠しているところが嫌いだとも言われたよ」
バルドルの声が、ますます小さくなる。
(あの子、本当に思ったことを容赦なく口にするのね……)
アフロディーテは笑いを堪えながら考えた。
「それでも、何度か助けようとしたんだ」
バルドルは言葉を続ける。
「やり方を変えて、別の形でも近づいてみた。でも、そのたびに拒絶されて……」
「最終的には諦めた、と」
「うん……」
「あなたの自尊心には、相当こたえたでしょうね」
アフロディーテの口元に、意地の悪い笑みが浮かぶ。
「本当にね……」
バルドルは遠い目をしながら答えた。
しばらく二人は、観客たちの流れに沿って無言で歩き続ける。
「アフロディーテ」
「何?」
「どうか、あの子を大切にしてあげてほしい」
バルドルの声から、冗談めいた調子が消える。
「サラは……本当は、とてもいい子だから」
「私たちを何だと思っているの?」
アフロディーテは呆れたように眉を寄せた。
「託児所か何か?」
「それは、了承してくれたと受け取っておくよ」
バルドルは満足そうに微笑んだ。
「どうして私の周りには、こんな馬鹿しかいないのかしら……」
アフロディーテは、心の底から疲れたように深いため息をついた。
◇◇◇
一方、その頃――。
闘技場の内部に設けられた控室では、エデンが石造りの長椅子に横たわっていた。
室内は冷たく、物音一つしない。
壁の向こうから聞こえてくる観客たちのざわめきだけが、試合の開始時刻が刻一刻と迫っていることを知らせていた。
そんな控室の扉が、静かに開く。
「エデン?」
姿を現したのは、シュウだった。
友人の体調を心配し、様子を確かめに来たのだ。
シュウは足音を立てないように長椅子へ近づく。
エデンは目を閉じたまま、微動だにしなかった。
「大丈夫か?」
シュウは、その顔を覗き込むようにして尋ねる。
「少しは休めた?」
「……」
返事はない。
聞こえてくるのは、エデンの静かな呼吸だけだった。
(まだ眠っているのかな)
シュウは友人の顔をしばらく見つめる。
(それなら、もう少し休ませておいたほうがいい)
そう判断し、静かに背を向けた、そのとき――。
「おい、シュウ」
背後から、エデンの声が聞こえた。
シュウは足を止め、振り返る。
「起きていたのか?」
「ああ……」
エデンは目を閉じたまま答えた。
その声には、眠気よりも深い疲労が滲んでいる。
「一つ、聞いてもいいか?」
「どうした?」
しばらくの沈黙のあと、エデンはゆっくりと目を開いた。
「俺の選択は……正しかったと思うか?」
「何のことだ?」
「ナイとサラの問題に、俺が首を突っ込んだことだ」
エデンは天井を見つめたまま続ける。
「俺には本当に、あの二人の間へ割って入る権利があったのか?」
「今になって、それを考えているのか?」
シュウの問いに、エデンは小さく息を吐いた。
「ずっと考えていた」
そして、自分の手を見つめる。
「心のどこかでは、正しいことをしたと思っている。あのときの俺が、するべきことをしたんだって……」
「……」
「でも、もし間違っているのが俺のほうだったら?」
その瞳には、試合への恐怖とは異なる迷いが浮かんでいた。
「俺は、何も知らないまま勝手に踏み込んだだけなのかもしれない」
シュウは何も言わず、そんなエデンを見つめる。
やがて、小さなため息をついた。
「それなら、逆に聞くよ」
「……?」
「僕が『君は間違っていた』と言ったら、どうするつもりなんだ?」
「……」
エデンは答えられなかった。
ただ唇を閉ざし、視線を落とす。
「もう、君が選んだことをなかったことにはできない」
シュウの声は穏やかだった。
しかし、その言葉に優しい慰めは含まれていない。
「時間を巻き戻すことも、あの場で何もしなかった自分に戻ることもできない」
「……」
「なら、君にできることは一つだけだ」
シュウは、エデンの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「自分が選んだ決断の重さを背負って、前へ進むこと」
その言葉が、静かな控室に重く響く。
「君が取った方法が正しかったのか、それが最善の選択だったのか……僕には分からない」
「シュウ……」
「でも、あれを選んだのは君だ」
シュウの瞳が、わずかに鋭くなる。
「だったら、その結果も自分で引き受けろ」
「……」
エデンはしばらく何も言わなかった。
やがて、堪えきれないように小さく笑う。
「相変わらず、言い方に容赦がないな」
「君が聞いたんだろう?」
シュウは、さも当然のことのように答えた。
「……ありがとう、シュウ」
「どうして礼を言うんだ?」
「お前は、思っていることを遠慮なく言ってくれる数少ない人間だからだ」
エデンは長椅子からゆっくりと上体を起こした。
「もし俺を安心させるためだけに、適当な嘘をついていたら……たぶん、お前のことを嫌いになっていた」
「何だい、それは?」
シュウは呆れたように眉を上げる。
「僕を試していたのか?」
「違うよ」
エデンは首を横に振った。
「ただ、現実を真正面から突きつけてくれる誰かが必要だったんだ」
両足を床へ下ろし、深く息を吸い込む。
「これで、迷わず戦える」
そう言い切ろうとしたエデンは、途中で言葉を止めた。
そして、自ら否定するように小さく首を振る。
「……いや、違うな」
「何が?」
「迷いは、まだ消えていない」
エデンは自分の胸へ手を当てる。
「俺の選択が本当に正しかったのか、その答えは今も分からない」
それでも、その瞳から先ほどまでの弱々しさは消えていた。
「でも今度は、その答えを自分自身で見つける」
「……」
「誰かに決めてもらうんじゃない。俺が選んで、俺がその結果を背負う」
シュウはそんな友人を見つめ、わずかに笑みを浮かべた。
「君は、本当に変わった奴だね」
「それをお前が言うのか?」
エデンも呆れたように笑い返す。
二人は顔を見合わせた。
そして、この状況の馬鹿馬鹿しさに耐えきれず、同時に小さく吹き出した。
控室を覆っていた重苦しい空気が、ほんの少しだけ軽くなる。
「よし!」
エデンは勢いよく立ち上がり、両腕を大きく伸ばした。
「今度こそ、全力でいくぞ!」
その声は、先ほどまでとは違い、力強く室内へ響き渡る。
シュウは笑みを浮かべながら、エデンへ拳を突き出した。
「やろう、エデン」
エデンも迷うことなく拳を伸ばし、シュウの拳へ重ねる。
「ああ!」




