第18章・6:200%で
ゴゴゴゴゴゴゴゴ――
膨大かつ圧倒的なエネルギーが、イサクの全身から天を衝くように噴き上がっていた。
その凄まじい力を前に、闘技場にいるすべての観客が驚愕に目を見開く。
(どこから、あれほどの力を……?)
ナイもまた、信じられないものを見るようにイサクを凝視していた。
(僅かな時間で、あそこまで力が増大するなどあり得ない……)
「どう見る、テュール?」
トールが戦場から目を離すことなく尋ねる。
「へえ……」
テュールは僅かに口元を歪め、楽しそうな笑みを浮かべた。
「あのガキ、間違いなく――《タイタン・フューリー》だ」
(なるほど……)
アフロディーテは、その言葉ですべてを理解した。
(だから、あいつは今まで一度も属性系のゼンカを使わなかったのか)
(イサクの力は、自らの身体能力を極限まで引き出すことに特化している)
(筋力、速度、耐久力、動体視力……)
(他の分野で秀でることは決してない)
シュウが、アフロディーテの分析を心の中で引き継ぐ。
(だが、その代わり――《タイタン・フューリー》だけが、己の持つ身体能力を限界のさらに先まで引き出せる)
(恐怖を克服したわけじゃない……)
エデンは、深紅の紋様を輝かせる仲間を見つめていた。
(あいつは今も、恐怖に震えている)
(でも、その恐怖の中から――戦い続けるための力を見つけたんだ)
そして、思わず小さな笑みを浮かべる。
(俺は本当に……恐ろしい連中に囲まれているな)
(あのガキがまだ立っていることにも驚いたが……)
ヘルメスの眼差しは、イサクではなくコウへ向けられていた。
(それ以上に恐ろしいのは、コウの態度だ)
(試合の流れが変わったことに、あれほど興奮している。それなのに、奴のゼンカには僅かな乱れすらない)
ヘルメスは、厳しい表情で結論を導き出す。
(あの完璧な制御を崩せない限り、イサクは奴に近づくことすらできない)
戦場では、コウが抑えきれない笑みを浮かべながら対戦相手を見つめていた。
一方のイサクは、震える身体へ力を込め、ゆっくりと完全に立ち上がる。
「嬉しいねぇ……」
コウは、心の底から喜びを噛み締めるように呟いた。
「ようやく、お前の牙が持つ本当の鋭さを見ることができた」
「もう立ち上がるのは無理だと思っていたが……」
彼は、楽しそうに両腕を広げる。
「見ろよ、イサク。お前はまだ戦っている」
「喋り疲れないのか、コウ?」
イサクは腰へ手を伸ばし、火山岩で造られたマチェーテを抜き放った。
「お前の声には、もううんざりだ……」
だが、その直後、僅かに表情を緩める。
「それでも、一つだけ礼を言わなければならない」
「へえ……本気か?」
コウは意外そうに眉を上げた。
「どうして?」
「お前のおかげで思い出せた」
イサクは、深紅に染まった瞳でコウを睨みつける。
「僕が、おしゃべりな奴と顔だけはいい奴を、どれほど嫌っていたのかをな」
「おや……」
コウは自らの胸へ手を当て、わざとらしく傷ついた表情を浮かべる。
「そんなに俺が嫌いか?」
「ああ」
イサクは迷うことなく断言した。
「心の底から嫌いだ」
「なら――」
コウは笑みを深め、盾を構える。
「来い」
バキィンッ――シュンッ!!
イサクが地面を蹴った瞬間、その踏み込みだけで闘技場の床が粉々に砕け散った。
舞い上がった破片が地面へ落ちるよりも早く、その巨体がコウの眼前へ出現する。
「死ね」
(速い……!)
コウは反射的に一歩後退し、盾を前方へ構えた。
ドガァァァンッ!!
常識では捉えきれない速度で、イサクのマチェーテが上段から振り下ろされる。
燃え上がるような深紅の刃が、コウの円形盾へ凄まじい勢いで激突した。
バキバキバキィッ!!
「なっ……!?」
あまりにも強烈な一撃に、木製の盾が瞬く間にひび割れていく。
その衝撃は盾だけに留まらず、受け止めたコウの体勢まで大きく崩した。
(冗談だろ……!?)
コウは一瞬も迷うことなく、小さく後方へ跳躍する。
しかし――
「逃がさない」
イサクは躊躇することなく、その後を追った。
ズガァン――バキィィィィッ!!
たった一度の斬撃。
その一撃だけで、深紅のマチェーテがコウの円形盾を完全に粉砕した。
盾は数百もの木片へと変わり、二人の周囲を埋め尽くすように宙を舞う。
(何て……力だ……)
飛び散る無数の木片の隙間から、コウはイサクの顔を見た。
深紅に染まった、獣のように荒々しい双眸。
「…………!」
その眼差しに射抜かれた瞬間、コウの全身を激しい悪寒が駆け抜けた。
ほんの僅かな一瞬だけ――
彼は自分が、決して飢えの満たされることのない獣に狙われた獲物であるかのように感じていた。
ヒュッ! シュッ! ザンッ!!
イサクが繰り出す斬撃の嵐に、終わりは見えなかった。
異常なまでの執念で迫り続ける対戦相手を前に、コウは休む間もなく後退を続ける。
一撃一撃が、空気そのものを切り裂く。
そして、時間が経過するごとに、マチェーテの深紅の刃はコウの身体へ少しずつ近づいていた。
(お前……一体どんな化け物なんだよ!?)
コウは紙一重で攻撃を躱しながら、心の中で叫ぶ。
(まさか、肺を千個も持っているんじゃないだろうな!?)
再び、マチェーテの切っ先が鼻先を掠めた。
(いい加減に疲れろッ!)
「…………」
しかし、イサクは瞬き一つしなかった。
深紅の瞳は、コウの動きだけを真っ直ぐに捉えている。
その手で振るわれるマチェーテは、もはや武器ではない。
まるで、彼自身の腕の延長であるかのように自在に動いていた。
(止まるな。攻撃し続けろ)
イサクは、何度も自らへ言い聞かせる。
(迷うな。前へ進め)
(どれほど血を流しても関係ない)
(ただひたすら――前へ進み続けろ)
ザシュッ! ザクッ! ザンッ!!
「ぐっ……!」
ついに、コウの身体へ次々と傷が刻まれ始めた。
腕。
頬。
肩。
脇腹――
最初は浅かった傷も、攻撃を受けるたびに深く、そして致命的なものへと変わっていく。
鮮血が全身を伝い、地面へ滴り落ちた。
「はぁ……はぁ……!」
コウの表情から、余裕が消えていく。
その瞳が、彼自身の結末を何よりも雄弁に物語っていた。
(このままでは――負ける)
「ふざけるなッ!」
コウが怒鳴った瞬間、イサクの両足の真下へ二つの術式陣が出現した。
(何……!?)
次の瞬間――
二つの術式陣から、液体状の金属が勢いよく噴き上がった。
それらは生き物のようにイサクの両脚へ絡みつき、瞬く間にその表面を覆っていく。
ガキィンッ!!
そして、僅か数秒で完全に硬化した。
「くっ……!」
イサクの両脚は地面へ固定され、その突進が強制的に止められる。
「はぁぁ……」
ようやく相手の動きを封じたコウは、疲労を隠すことなく、重いため息を吐いた。
「危なかった……」
(どうやって……?)
イサクは驚愕しながら、地面へ張りつけられた自らの足を見下ろす。
(いつの間に……!?)
「予想していたより、ずっと厄介だったぞ、イサク」
コウは苦笑しながら、自らの傷口へ手を翳した。
すると、イサクを拘束しているものと同じ液体金属が全身を這い、深い傷を覆うように固まっていく。
「間違いなく、お前は恐れるべき化け物だ」
「どうやって……」
イサクは信じられないといった表情で尋ねた。
「簡単なことだ」
コウは指先で自らのこめかみを軽く叩く。
「お前の動きを読んだ」
「確かに、さっきまでより遥かに予測しづらくなっていた」
「だが、お前が何を犠牲にしてでも前へ進み続けることだけは、最初から分かっていた」
コウは、僅かに口元を緩める。
「だから、俺はお前を誘導した」
「同じ場所を、円を描くようにな」
「……!」
その言葉を聞き、イサクは背後へ視線を向けた。
そこで彼が目にしたのは――地面に残されたコウの血。
戦いの最中に流れ落ちた無数の血痕が、二人を取り囲むように一つの完璧な円を描いていた。
「予定よりも、かなり多くの血を使わされたけどな」
コウは、どこか照れくさそうな笑みを浮かべる。
「それでも、お前に気づかれることなく術式陣を完成させることができた」
そして、疲れ切ったように肩を落とした。
「本当に疲れたよ……」
「だが、良い面もある」
再び、楽しそうな笑みを見せる。
「お前は俺を本気にさせた」
◇◇◇
「冗談……だろ……」
「ん?」
「僕がお前を本気にさせた……だと?」
イサクは歯を食いしばり、怒りに満ちた眼差しでコウを睨みつけた。
「僕はお前にとって、その程度の笑い話でしかないのか?」
「ふざけるなッ!」
「…………」
コウは何も答えず、ただ静かに彼を見つめていた。
「僕が積み重ねてきたものは、何の意味もなかったとでも言うのか!?」
イサクの全身が、大きく震え始める。
「そんなもの――絶対に認めない!」
ミシッ――
その瞬間、イサクの筋肉が異常な勢いで膨張し始めた。
深紅の線は全身へさらに広がり、皮膚の上で脈打つように激しく輝いている。
プシューッ!!
限界を超えて熱を発する身体から、大量の蒸気が噴き上がった。
「お前がどれほど強かろうが……知ったことか」
イサクが低く吐き捨てる。
ミシッ――ミシミシッ――
両脚を拘束していた金属に、細い亀裂が走り始めた。
「お前が僕より百倍強くても……」
筋肉が、さらに膨れ上がる。
「二百倍でも……」
その肉体に、現実とは思えないほど鮮明な筋が浮かび上がった。
「千倍強くても――」
バキバキバキッ!!
金属を走る亀裂が急速に広がり、イサクの足元にある地面までもが砕け始める。
「そのすべてを超えるまで、僕の身体を強くすればいい!」
イサクは、真正面からコウを睨みつけた。
「必ず――お前を倒す!」
バキィィィィンッ!!
両脚を拘束していた金属が、凄まじい力によって粉々に砕け散った。
直後――
ドンッ!!
イサクの巨体が、まさしく巨神を思わせる爆発的な勢いでコウへ飛び出す。
「……!」
コウは即座に反応し、両者の間へ分厚い金属の盾を形成した。
しかし――
「遅い」
イサクの拳は、すでに盾の眼前まで迫っていた。
ドゴォォォォンッ!!
金属の盾ごと、拳がコウの身体へ叩き込まれる。
「がっ――!?」
その一撃は、コウを構成する一つ一つの細胞を震撼させた。
全身の骨が軋み、筋肉が一斉に捻じれる。
ヒュゥン――ドガァァァンッ!!
反応する暇すら与えられず、コウの身体は凄まじい速度で吹き飛ばされた。
そして、恐ろしいほどの勢いで闘技場の壁へ激突した。
◇◇◇
「よっしゃあああああああッ!!」
イサクは両拳を握り締め、夜空へ向かって勝利の雄叫びを上げた。
「…………!」
観客たちは、目の前で放たれた桁外れの力に言葉を失っていた。
だが、彼らを最も驚かせたのは、その力ではない。
何度打ち倒されても立ち上がり続けた――イサクの意志だった。
しかし、その代償はすぐに彼の肉体へ現れる。
ブチィッ!!
「ぐっ……!」
突如、脚の筋肉が耐えきれずに断裂し、傷口から大量の血が弾け飛んだ。
限界を打ち破る力を与えてくれたはずの筋肉が、今度はイサク自身を破滅へと追いやろうとしている。
「…………」
ヘルモーズは試合を終わらせるべきか判断を求め、オーディンへ視線を向けた。
しかし、万物の父は戦場を見つめたまま、静かに呟く。
「まだ終わっていない」
「……?」
その言葉の意味を理解できず、ヘルモーズは再び闘技場へ目を向けた。
そして――大きく目を見開く。
「まさか……」
土煙と瓦礫の向こう側で、一人の若き戦士の影が再び立ち上がろうとしていた。
「そんな……あり得ない……」
イサクが、震える声で呟く。
全身に無数の傷を負い、自らの血で顔を赤く染めながら――
コウ・ネーヴェは、再び立ち上がった。
「悪かった……」
コウは苦しげに息を吐きながら、イサクを見つめる。
「俺は、お前を見誤っていたよ。イサク」
「……え?」
「お前の目が、ようやく教えてくれた」
コウの顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。
「ずっと心の奥に隠していたものを……」
「お前が、何よりも求めていたものを――」
一瞬だけ言葉を切り、真っ直ぐにイサクの瞳を見据える。
「家族だ」
「……!」
その言葉を耳にした瞬間、イサクは凍りついた。
「お前の本当の思いを見せてくれて、ありがとう」
コウは、傷だらけの顔で心からの笑みを浮かべる。
「俺は嬉しいよ」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ――
直後、コウの身体から凄まじい量のエネルギーが噴き上がった。
銀色に輝く、液体のようなエネルギー。
それは流動しながら夜空へ昇り、闘技場の遥か上空へ急速に集まり始める。
「だから、感謝の印として――」
コウは片手を天へ掲げた。
「この戦いを、俺の手で終わらせる」
そして、静かに技の名を告げる。
「――《銀牙の審判》」
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
大地が凄まじい勢いで震え始めた。
イサクの周囲に無数の亀裂が走り、その奥から液体金属が次々と噴き出す。
ガキンッ! ガキンッ! ガキィンッ!!
金属は瞬時に硬化し、巨大な鉄格子となってイサクを四方から取り囲んだ。
「くっ……!」
同時に、上空へ集まっていた銀色の金属がゆっくりと形を変えていく。
巨大な上顎。
巨大な下顎。
そして、その口内から形成されていく――四本の鋭い牙。
夜空に出現したのは、すべてを噛み砕く巨大な狼の口だった。
「…………」
コウは、鉄格子の中に立つイサクへ視線を向けた。
その身体には、もう戦い続けるだけの力など残されていない。
それでも――
イサクの瞳に宿る強い意志だけは、最後まで消えていなかった。
その眼差しを目にしたコウの口元へ、微かな笑みが浮かぶ。
「ありがとう」
次の瞬間――
巨大な狼の口が、天より下される判決のようにイサクへ降下した。
「…………」
逃げる力も、抗う力も残されていない。
それでも、イサクはどこか満足そうに――そして悔しそうに微笑んだ。
(ごめん、妹よ……)
彼の脳裏に、大切な妹の姿が浮かぶ。
(僕はまた……失敗した)
ドゴォォォォォォォォンッ!!
四本の銀色の牙が、イサクの身体を完全に呑み込んだ。
凄まじい衝突が闘技場全体を激しく揺さぶり、大量の土煙と瓦礫が戦場を覆い尽くす。
◇◇◇
神々は、まだ正式な判定を下していなかった。
それでも、その場にいる誰もが理解していた。
第一試合は――終わったのだと。
【第一試合勝者――コウ・ネーヴェ】




