京都編二⑤_滅びるね
「よかった。この部屋、誰も使ってないね。さあ、ほら座って」
日に焼けた畳に、淡い煎茶の香り。どことなく懐かしいような感覚がして、気分がいくらか安らいだ。
腰を下ろして湯呑に口を付けようとすれば、隣の渋沢さん声を上げた。
「何このお茶、すっごく美味しい。茶葉がいつものと違う、ってことはないよね」
突然、何だろう。私は用意されていたものを使っただけで、特に変わったことはしていない。
「淹れ方が上手いのだろう」
平岡さんは、静かに湯呑みを置き、渋沢さんへ細い目を向ける。
「茶を美味くするには、正しい淹れ方をしなければならん。お前がやるように雑に沸かしたての熱湯を使ったり、ざぶざぶと湯を入れたりすれば、本来の味が出ないのは当然のことだ」
「だって、地元では、お茶を入れるなんてしたことないですもん」
平岡さんの湯呑みは空になっており、追加で茶を注いだ。どうやら、私の淹れたお茶はお気に召したらしい。
「お前も、この娘を見習うんだな」
「それより……きみは、ここでのお手伝い、続けていけそうかな」
話題を変え、渋沢さんはこちらに話を振る。それはまるで、新入社員へと声をかける先輩の言葉のようだ。
その問いには、私は『はい』としか答えられない。ここにしがみつくことでしか、私は生きられないのだから。
「何もできないのに置いていただいて、申し訳なくて」
「まだここに来たばかりだから、それは気にしなくていいよ。
それに、何もできないなんてことないじゃない。なんでも丁寧に確実にこなしてくれてるし、淹れてくれたお茶も美味しいし」
そう言ってもらえることはありがたいが、居場所を与えてもらっていることへの対価には到底及ばない。
もっと、役に立たなくてはいけない。
「皆さん、忙しそうですね」
「うん、人手が本当に足りなかったから、みんな助かってるよ」
天下の徳川幕府を支えるこの家で働く人たちは、言わば役人のようなものなのかもしれない。
「立派なお仕事をされてるんですね」
きっと皆、幕府への忠誠心を強く持っているのだろう。呟けば、渋沢さんは首を横に振る。
「そういう人も多いけど、そうじゃない人もいる。
むしろ僕は、幕府には早くなくなってほしいと思ってる」
幕府のお膝元であるこの場所では、それはあまりにも予想外の言葉だ。
現代で言う、社長への悪口のようなものではないか。いや、そんな生易しいものではないはずだ。
「ここにいるのも、幕府に物申せる可能性があるからだよ。いつか、慶喜様に直接僕の意見を聞いてもらうんだ」
「渋沢。口を慎みなさい。誰かに聞かれれば、非国民と見做されるぞ」
たしなめる声にも従わず、渋沢さんは言葉を続ける。
「外国に怯えてばっかりいる今の日本は、幕府の意気地のなさが原因です。日本を侵略しようとする外国を撃ち払うためには、幕府を終わらせて、日本を新しくしないと」
当事者ではないのに、冷や汗が出そうになる。この世界のことはよく知らないが、その発言がこの場では良くないものであることはわかる。
ちらと平岡さんを盗み見ると、平岡さんはお茶を一口喉に流し込み、小さくため息をついた。
「幕府を倒すことで、日本は良くなるのか」
平岡さんの静かな問い。渋沢さんは、躊躇うことなく答える。
「幕府がなくならないことには、日本は何も変わりません。幕府を終わらせることで、日本はもっとよくなります」
「考えが浅い」
ぴしゃりと言い放った平岡さんの言葉に、渋沢さんと私の肩が震える。
「幕府が終わったところで、何がどう変わる。200年以上国を治めてきた徳川のほかに、今政治ができる者はいるのか。上に立つ者が変わったとして、右も左もわからぬ初心者のものが、今より良い政治を行えるのか。結果は、目に見えている」
「…………」
「今重要なのは、幕府を倒すか倒さないかではない。『誰が』ではなく『どうやって』国を良い方向に導くかが一番だと、俺は思う」
なるほど、と胸の中で納得する。平岡さんは、トップを引きずり落とし新しい人員をたてて政治を改革するより、今ある組織を見直し改善してゆくことを重要視しているらしい。
忙しさを盾に選挙投票をさぼりがちな私には、頭が痛い話題だ。
「渋沢、先のことをよく見ろ」
渋沢さんは納得できていないような表情だったが、それ以上は口を開かなかった。
再度湯呑みを空にした平岡さんは、おもむろに立ち上がり、わたしたちに背を向ける。
「ここには、幕府に心酔している者もいる。先程の発言は、恨みを買いかねん。くれぐれも、軽率な発言は控えるように」
そう言い残して、音もなく部屋を去る背中を見送る。途端に、ゆるりとした静けさが周囲を包み、そっと胸をなでおろした。
「また、ちょっと口を出しすぎちゃったな」
私には、ちょっとどころではない発言のように思えたのだが。
内容もそうだが、そもそも上司に対して意見するということは、私には考えられない。
「渋沢さんは、幕府がお嫌いなんですね」
「まあ、権力者はみんな好きじゃないね。大したこともしていないくせに、偉そうに無茶ばかり言って、お百姓を苦しめるんだから」
彼は笑顔だが、その声には確かな怒りが存在している。
「幕府は、そんなに悪いものなんでしょうか」
この世界に生きていない私には、その具合が全く分からない。私の持っている日本の知識としては、幕府は最後力をなくして崩壊していったということだけだ。
「悪いことばかりじゃないとは思う。でも、幕府は良いものじゃないよ、きっと。
平岡さんの言うように、幕府を倒しても、日本がよくなるとは限らないのかもしれない。それは、わかってるんだけど」
それが良い方向へと向かうきっかけとなるのか、それとも悪化させてしまうものとなるのか。それは、未来を知らない人間には、決して知りえないことだ。
「やっぱり、古いものを壊して、一から新しいものを作ったほうがいいと思うんだよ。根本から日本をいい国にするには、そのほうがいい」
渋沢さんの言い分も、良くわかる。
同時に、平岡さんの意見も理解できるため、悩ましいところである。
「それに、遠くない未来、幕府はなくなるよ」
「……どうして、そう思うんですか」
渋沢さんの言葉には、断定的だった。私のように未来を知っているわけではないというのに。
「幕府は、もう力を無くしてきてるからね。外国に怯えてばかりで、昔みたいな威厳はないし、民からの信頼も落ちてる。長年続いてきた幕府も、さすがに終わりが近いんだよ」
「持ち直して、これからだんだん発展する可能性も、きっと……」
「いや、滅びるね」
言葉を止める。その目は、しっかりと日本の行く先を見ている。そんな気がした。
「遅かれ早かれ、幕府はなくなる。だったらなおさら、早く幕府を倒すべきなんだ。
新しく音頭を取る人をたてて、急いで外国に対抗できるように日本を整えなきゃいけない。このままだと、外国につぶされちゃうのは時間の問題だよ」
どんな反応をしていいのかわからず、ただその顔を見つめる。
まっすぐな言葉、あまりにも真剣な瞳。
もし、日本のことを本気で憂いているこの人を非国民と言うのなら、この国の未来を何も考えたことのない私は、何と呼ぶのだろう。
「これから、もっと日本を強い国にしないと」
きっと、平岡さんの意見も、渋沢さんの意見も、間違ってなどいない。最善はあっても、正解はないのだ。
急に、自分の生きていた世界が、ぐらりと歪んだ気がした。
過去に正解を選んだ先にあるものが未来というわけではない。ただその先にあるのは、結果だけなのである。
今が何年かはわからない。だが、この時代が日本の大きな転換期であることは、想像がつく。
もし、この世界で私の知る歴史とは違う選択がなされたとき、今よりも良い日本が存在しているのではないか。
もし、そうだとしたら。
「休憩中なのに、重い話をしてごめんね」
首を横に振る。黙った私を見かねたのだろう。
冷めた茶を喉に流し込む。今この場所は、どの未来に繋がっているのだろう。
私の世界に、繋がっているのだろうか。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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