京都編二③_一橋家を守ること
朝日に照らされる、見慣れぬ木目の天井。ぼんやりと、おばあちゃんの家はやはり落ち着くなと考える。
「おはよう、よく眠れたかな」
のっそりと目を向けると、そこには昨日知り合ったばかりの同居人がいて、ここが祖母の家ではないことを思い出した。昨日の出来事は夢ではなかったと落胆しながらも、おはようございますと挨拶を返す。
随分長い時間、眠っていた気がする。こんな状況だというのに、自分は随分肝が据わっているらしい。頭がすっきりした感覚は、久々のように思えた。
「今日から同じ屋敷で働く仲間として、よろしくね」
少しはだけた着物を押さえ、何事もなく一夜過ごせた事実に、そっと胸をなでおろした。
「準備ができたら、一緒に行こう。先に外に出てるね」
小屋を出ていった渋沢さんの背中を見送って、着物と髪を整える。
一人残された部屋を見て、思う。やはり、昨日感じた通り、渋沢さんは私を気遣ってくれているのだろう。
与えられる一人の時間。離れた位置に敷かれた渋沢さんの布団。私が気負わない程度の距離である。
改めて、感謝しなければならないと感じた。
布団を畳み準備を済ませ、外へ出れば、渋沢さんは本に目を落としていた。和綴じの、古い本である。
私に気づいた渋沢さんは、本を袂に仕舞って、それじゃあ行こうかと歩き出す。その背中を追って小走りすれば、ざくざくと地面の砂利が鳴った。
「何の本を、読んでいたんですか」
本好きとしては、人生で初めて見た和綴じの本に、興味を持たずにはいられない。
渋沢さんは、袂から先ほどの本を取り出し、私に手渡した。
「里見八犬伝だよ」
予想外に知った題名が出て、目を見開く。
「これ、好きなんだ。たまに読み返したくなっちゃう」
「私も、好きです」
「続きも家に置いてるから、いつでも読んでいいよ」
共通の話題があれば、取り留めない会話が続く。
ここは、私の生きる世界とは、全く別のものだと思っていた。しかし、この本のように、変わらないものもあるのだと気づいた。
温かく差す日光。柔らかく吹く風。太陽も、風も、私の知るものと同じである。
随分温かいが、今は何月だろう。昨日桜を見た気がするから、3月下旬ごろだろうか。ここに来る前は、もっと寒い季節だったような気がするのだが、記憶がはっきりとしない。
日付どころか季節を忘れてしまうとは、かなり重症なのではないか。私の頭は、どうなってしまったのだろう。
ふと、フローリングの冷たさを思い出して、足が止まる。
名を呼ばれ、どこかへ飛んでいた意識が、戻ってくる。思い出しかけた夜の記憶は、太陽の光に溶けて消える。
「どうしたの」
「……いえ」
ざわついた胸を抑えながら、止まっていた足を進める。
抜け落ちた記憶を取り戻せば、元の世界に帰る手がかりが掴めるだろうか。それにしても、記憶が消えているというのは、かなり気持ちが悪い。
「さあ、今日も頑張ろう」
顔を上げれば、今日から私の職場となる屋敷が目に映る。改めて、大きな屋敷だと感じた。
「渋沢さんたちは、ここで慶喜……様に仕えているんですよね」
「うん。僕の役目は、一橋家を守ること。軍事を整えたり、お金のやりくりをしたり、幅広くね。
ここ一帯の警備も、僕の仕事だよ」
なるほどと頷く。出会った時の渋沢さんの態度にも、多少は納得がいった。ここに怪しい人間などいてはいけないのだから。
「平岡さんは慶喜様の側近で、慶喜様の身の回りのお世話とかしてるんだ。とっても頭がいい人だから、慶喜様に意見したり、そういう面でも慶喜様を支えてるらしい。僕みたいな下の人間も気にかけてくれて、よく面倒を見てもらってるよ」
だんだんと不安が膨らんでゆく。この世界の何もかもをわかっていない私が、きちんとやっていけるのだろうか。
「大丈夫だよ」
どうやら、不安が顔に出ていたらしい。安心させるような、柔らかい笑みが向けられた。
ぐっと、気合いを入れる。兎にも角にも、私は元の場所へ帰るまで、生き延びる必要がある。そのためには、弱音を吐かずにしっかり働かなければならない。
怖気付く足を一歩踏み出し、屋敷の中へ入った。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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