出会二⑥_ 学校作ろう、一緒に
ウメちゃんは道端にしゃがみ込む。何か落とし物でも見つけたのだろうか。
「みてみて」
彼女の手にあるものを覗き込む。が。
「ぎゃっ」
思わず変な声を出してしまった口を押える。
ウメちゃんが手にのせているのは、ぬらぬらと光る、小さなカエルで。
「So cute!(かわいい!)」
頬ずりせんばかりに顔を寄せて慈しむ姿は、それがカエルでなければ、非常に微笑ましいものだが。
「お姉ちゃん、カエル嫌い?」
「嫌いではないけど……」
急に近くに差し出されて動じないほど、好きではない。
「あまり素手で触ると弱るぞ。そろそろ放してやれ」
「Got it.(はーい)」
ウメちゃんの手から解放されたカエルがぴょんと飛び、また一歩後ずさる。草むらの奥へ去ってゆく緑の姿を見送り、ほっと息をついた。
「ウメちゃんは、カエルが好きなんだね」
「うん、大好き。小さいころ、父上の畑でよく見てた」
カエルと遊ぶ小さなウメちゃんの姿を想像し、頬が緩む。きっと、昔から明るく元気な子だったのだろう。
「ウメ、また何かを拾っていたの?」
凛と涼やかな声。砂利を踏む小さな音。
見れば、美しい女性が微笑んでいた。
「ウメ、伊藤さん。ごきげんよう」
皺一つない着物に、丁寧にまとめられた黒髪、細い眉、赤い唇。どこを見ても美しく、非の打ちどころのない女性である。
「捨松! It's great to see you.(こんなところで会うなんて。) 捨松も、買い物?」
「ええ、そんなところよ」
女性は、ウメちゃんの乱れた着物を自然に直し微笑んだ。その様子は、まるで姉妹のような。
女性は、棒立ちのままの私に目を向け、すっと目を細める。
「初めまして。私、山川捨松と申します」
片足を引き、軽く屈む優雅な一礼。
戸惑いながら私も同じようにひざを曲げれば、ふわりと上品な笑みを返された。
「ほう、きみは西洋の挨拶もできるんだな」
物珍しそうな目を向ける伊藤さんの視線を、曖昧に笑って受け流す。
「紹介するね。この人は、捨松。山川捨松。私と一緒に留学した、大事な友達」
ウメちゃんの紹介に、なるほどと頷く。
育ちがいいというものを体現したような所作。笑顔、仕草、どれを見ても洗練されたものだと分かる。
よく考えてみれば、この時代では、留学は一般人にはできないのではないか。この人は、どこかのご令嬢なのかもしれない。
となれば、もしかするとウメちゃんも。
よろしく、と微笑む捨松さんはとても優雅で、余裕を感じさせる。
良い家の娘とは、こういう人のことを呼ぶのだ。それに比べ、こちらは。
「こうして会うのは久しぶりだな、捨松嬢。息災だったか」
「ええ、伊藤様もお元気そうで何よりです」
「そうだ、捨松。突然で悪いが、この子について調べてくれないか」
伊藤さんの視線がこちらに向けられる。同時に捨松さんやウメちゃんの視線もこちらを向き、身が縮こまった。
「調べる、とは?」
「この子は、記憶が一部なくなっていてな。身元がはっきりしないんだ」
「まあ、それはお気の毒に」
私を見る捨松さんの目が、途端に憐れみを帯びたものになる。
たとえそれが優しさの一部であっても、その目は苦手だ。
「俺の手の届かないところの情報を、集めて欲しい」
「畏まりました。私なら適任ですものね。家の者にも頼んでみます。」
「よろしく頼む」
その行動には、意味がない。
私は、この世界にいるべき人間ではない。この世界に、私の情報など何一つないのだ。
その事実を知っているからこそ、申し訳なさが全身を侵食する。
私は、帰れるのだろうか。もう、あの生ぬるい日常は、帰ってこないのだろうか。
「ねえ、川辺に座ってお話しよう、昔みたいに。久しぶりに、たくさんお喋りしようよ。お姉ちゃんも、いいでしょう?」
ウメちゃんは、芝生の上に駆け出す。バサバサと、周囲にいた小鳥たちが慌てて飛び立つ音がした。
「悪いな、予定があるから俺は先に帰る。きみたちは、まだゆっくりしていたらいい」
伊藤さんの言葉に、ウメちゃんは不満そうな声を上げる。
伊藤さんは困ったように笑って、私に何かを差し出す。
「帰りは車を使ってくれ」
車のキーでも渡されるのかと思えば、差し出されたのは、重いがま口の袋。中身はお金だと、容易に予想できた。
「お姉ちゃん、車、知らない? Look.(あれだよ)」
ウメちゃんの指すほうを見れば、人力車がガタガタと音を鳴らしながら走っている。
「買いそびれたものがあったら、遠慮なく使っていい」
私にはそれがどれほどの金額かは予想がつかなかったが、渡されたものが決して少額ではないことは容易に分かる。ウメちゃんがありがとうと言って笑わなければ、受け取ることはできなかっただろう。
「気をつけてな」
去ってゆく背中を見送る。気づけば、荷物も彼の手にあった。何から何までできる人だ。
「気を遣ってくださったんでしょうね」
捨松さんのつぶやきに同意する。恐らく、その通りだろう。私たちが気兼ねなく話せるように、伊藤さんはこの場を離れたのだ。
「草の匂い、最高」
ウメちゃんは、大の字に寝転がる。続けて、私も、と笑って捨松さんも躊躇なく地面に背中を付けた。
地面に広がる、皺ひとつない着物。硬直する私を見上げ、ウメちゃんは大きく笑う。
「地面に寝ると、地面が力をくれるの。嫌なことがあっても、何があっても、大丈夫って。全部、許してくれるの。ほんとだよ。お姉ちゃんもおいで」
地面に寝転がるなど、人生で一度も経験したことのないことである。しかし、こんな青春ドラマのワンシーンのようなことを、やってみたかったことも事実である。
借り物の着物を汚すことに少々抵抗はあるが、ゆっくりと、草に覆われた地面に背中をつける。硬いような、柔らかいような、ひんやりとした感触が背に伝わった。
目の前に広がる、高く高く青い空。どこまでも果てなく、視界に収まりきらない。
そっと頬をなでる風。草と土の匂い。木が風に揺れる音、ひらひらと舞う蝶。
地面が力をくれる。その言葉の意味が、分かった気がした。
「アメリカにいたときは、毎日こうしてたわね」
「あの時はほんとに楽しかった」
「服を泥だらけにしては、森様に怒られていたのよね。すごく懐かしいわ」
声を出して笑う捨松さんは、先ほどまでの凛としたものではなく、親しみやすさを感じる。今の捨松さんは、ウメちゃんと同じ、少女だった。
「So, 捨松もちゃんのこと調べてくれるの?」
「ええ、できるだけやってみるわ。
伊藤さんは、長州の方でしょ。私は会津の人間だから、伊藤さんの知らない情報を得られるかもしれない」
長州と会津。頭の中に、歴史の教科書が浮かび上がる。記憶が確かなら、長州と会津は犬猿の仲だったはずだ。
伊藤さんは長州、捨松さんは会津の伝手から調べようということだろう。今更、捨松さんが適任と言った意味がわかった。
「記憶がないと、大変ですよね。何かご協力できることがあれば、いつでも仰ってくださいな」
「私も。私もお手伝いする」
とても眩しい。目が開けていられないほどに。
少しぼやけ始めた目をこすり、また広大な空に浮かぶ雲を眺めた。
「あなたはご自身の身元がわからないとおっしゃっていましたが、今はどちらに?」
「お姉ちゃんは私と一緒に、伊藤さんのおうちにいる」
「まあ、あなたも伊藤さんの家に……」
音もなく上半身を起こし、捨松さんは私に真剣な目を向ける。
「くれぐれも、気をつけてくださいね。伊藤さんは、女性に目がないので」
「True.(そうそう) 気をつけなきゃダメ。油断したら、ぱくっと食べられちゃいそう」
私に限って、間違いが起こることはないだろう。だが、周りの目は気にしたほうが良いのかもしれない。
「ウメ、あなたも笑っていないで、気をつけるのよ」
「大丈夫。伊藤さんとは、国のヒョーロンする仲だもん」
もし伊藤さんがウメちゃんに手を出すようなことがあれば、全力でウメちゃんを守ろうと決めた。
「私より、捨松のほう。プロポーズされたって聞いた。捨松……結婚する?」
「しないわよ。だって、好みじゃなかったんですもの。なよなよした人はだめだわ。
それに、約束したでしょう。一緒に、学校を作ろうって。日本のために働こうって。だから、結婚はしないわ。これからも、ずっとね」
あ、と気が付く。
そもそも、この時代では、女性が働くこと自体が異例なのだ。この世界で彼女らが結婚することは、さらに仕事の道が経たれることを意味する。
「どうして、学校を作ることにみんな協力的じゃないのかしら。政府も、家族も、誰も助けてくれない。お父様なんか、学校を作るなんて夢は諦めなさい、なんて言うのよ。ひどいわ」
「助けてくれる人、見つかるよ、きっと。伊藤さんも、応援してくれてる」
「……そうね」
「私、諦めないもん。捨松も、そうでしょう」
「……ええ」
「約束。学校作ろう、一緒に! 絶対、女の子が自由に勉強できる国にしようね」
決意を込めたような、力強い声が、青空に溶けて消えた。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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