出会一③_10年は長い
早速、私には部屋があてがわれ、砂だらけのスーツは回収された。目が回るほど展開が早い。
スーツの代わりに用意されたのは、緋色の着物である。鮮やかな赤色に、散りばめられた大小様々な花。光沢のある生地が美しい。
素敵な着物だ。本当に、借りてしまっていいのだろうか。
「とっても可愛い」
ウメちゃんの着ているワンピースに目をやる。しっかりとした厚めの生地に、惜しみなくあしらわれたフリルとリボン。
「どうしたの?」
「私は洋服じゃないんだと思って」
目の前の全身鏡を見る。見慣れない、和装の自分。
普段から着物は着ないため、着物をさしだされたときは困惑した。目覚めてから、私は戸惑うばかりである。
「普通は、みんな着物だから。日本には、洋服の人、ほとんどいない」
ぎゅっと、着物を握りしめる。いよいよ、この世界が現代ではないという実感が湧いてくる。
「私は、洋服が着たいってお願いして、用意してもらった。着物は、不便。思いきり走れないから。だから、ワンピースがいい」
ふ、と笑いが漏れる。確かにこの子には、着物よりも動きやすい洋装が合っているのだろう。
「髪の毛も整えよう」
促されるまま椅子に座れば、ウメちゃんはブラシで器用に髪を梳く。
「ちゃんの髪、綺麗」
「あまり手入れしてないから、痛んでるよ」
「ううん。綺麗、とっても。エンジェルのワッカがある。エンジェルみたい!」
魔法のように私の髪を整えてゆく、ウメちゃんの手。他人に髪をセットしてもらうなど、何年ぶりだろうか。
ツインテール、おだんご、編み込み。
昔、祖母が私の髪をよくアレンジしてくれていたことを思い出した。
「ちゃんの髪の色、とっても好き。日本ではあまり見ないから、懐かしい。この色、思い出すの、アメリカのこと」
私が思い出に浸っていたのと同じく、ウメちゃんも、過去に思いを馳せているらしい。横目で伺ったウメちゃんの瞳は、遠い場所を映していた。
「できた」
その声を合図に、手鏡をのぞき込む。
鏡の中には、いつもとは違う自分がいる。ゆるく編まれた、ボリュームのあるみつあみ。
「かわいい」
ウメちゃんはそう言ってくれるが、少し若々しすぎるような気がする。
しかし、なんだか、これも良いかもしれないと思った。
「お姉ちゃんが、できたみたい。これから、一緒に暮らすの、楽しみ!」
私は末っ子である。ウメちゃんのような妹が欲しいと思ったことは、少なくない。
これは、私の望んだものの体現なのだろうか。私の願望を叶えてくれる、生ぬるい夢。
夢なのであれば、多少甘えてもいいだろうか。せめて、私が目覚めるまで。
「I love you, my sister!(お姉ちゃん、大好き)」
私に、こんな妹がいたら。
諦めることもなかっただろうか。
ぎりっと、頭が痛む。暗く、冷たい水の中に落ちるような感覚。
周りの音が遠くなる。自分の心臓の音すら曖昧になる。微かに聞こえる猫の鳴く声。
「このベリーの紅茶、とても美味しい。一緒に飲もう」
は、と意識が現実へと戻って来る。
甘酸っぱい匂いが、先程までの息苦しさを取り去ってゆく。
頭が、ぐらぐらする。私は、今何を考えたのか。
思い出すのも億劫で、頭を振って先程までの思考を消した。目の前に置かれた紅茶は、上品で香り高く、私の気持ちを落ち着かせる。
「すぐに住まわせてもらうことが決まって、びっくりしちゃった」
「もっと頼っていいと思う。たくさん頼ると、きっと伊藤さん喜ぶ。伊藤さん、人を助けるのが好き」
なんとなく理解する。この世には、周りに手を出さずにはいられない人が稀にいる。彼からは、そのような雰囲気を感じた。
「もしかして、ウメちゃんも伊藤さんに助けられた?」
「Right.(うん。) たくさん助けてもらってる。
アメリカから日本に帰って、仕事が見つからなかったときも、伊藤さん、ここに住んでいいよって。私が伊藤さんや伊藤さんの知り合いに英語を教えるかわりに、日本語、マナー、たくさん教えてもらってる」
「ウメちゃんは、英語を勉強するためにアメリカに留学していたの?」
「うん。6歳の時にアメリカに行って、この間日本に帰ってきた」
「随分長い期間、留学したんだね」
「うん。10年は、長い」
それだけの期間日本を離れていたのならば、日本語を忘れていることにも納得がいく。
「留学は、まさか一人で?」
「ううん、5人だよ。
アメリカではたくさん勉強した。それに、ホームステイの家族はいろいろ習わせてくれた。楽しかったの、すごく」
小さいころから親元を離れて生活を続けていたのだから、きっと多くの苦労があっただろう。それを感じさせない明るさが、眩しい。
10年か、と溜め息をつく。
ここは、明治の世界。洒落た古さを纏う、レトロな雰囲気に満ちた世界。
10年を何回繰り返せば、私の生きた世界になるのだろう。果てしなく、長い。
明治の世界というと、白黒やセピア色の世界を思い浮かべるが、この世界は鮮やかな色に満ちている。それは当然で、明治の世界を映した写真が白黒なだけであって、世界に彩度がないわけではない。
じっと、自分の手を見つめる。こんなに鮮やかな着物を着ているのに、自分だけは色がついていないように見えるのは、何故だろう。
名を呼ばれ、顔を上げる。
目の前にこちらをじっと見るウメちゃんの顔で、自分が少しの間心あらずだったことに気づいた。
「きっとたくさん疲れてる。今日はもう休もう」
窓から差し込む光は赤みを帯びてきており、今が朝でないことを今更知る。起きたばかりだというのに、変な気分である。
疲れてはおらず、むしろよく寝たようで久々にすっきりとしているが、今私ができることはない。目の前の少女を心配させないためにも、大人しくじっとしているほうがいい。
焦る気持ちを抑えつけ、ふっと息を吐き出した。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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