出会一②_これからよろしくね
目に映るのは、赤いカーペットの敷かれた床に、木目の美しい階段。新しい家具のせいか、木のにおいを感じた。さほど広くはないが、絵本の中に出てきそうな、上品な家である。
砂まみれの自分が、とても恥ずかしい。
「こっち」
階段を登り、二階の部屋に入る。
柔らかい日差しを通す窓。控えめに飾られた調度品。この少女の部屋だろうか。部屋を彩るぬいぐるみや赤い小物は、可愛らしさと上品さを醸し出している。
「とても、お洒落な家だね」
「ウン、すっごく綺麗な家、でしょ」
少女は私を椅子に座らせ、手拭いで私にまとわりついた砂を落とす。
「ここは、伊藤さんの家。私は、ここに住まわせてもらってる。
今、伊藤さんを呼んでる、だから待って。伊藤さん、きっと力になってくれる」
なるほど、と頷く。ここは彼女の家ではないらしい。
「私は、ウメ。津田ウメ。よろしくね」
弾けるように明るい笑顔。その満面の笑みは、この状況での救いである。
私も名乗れば、ウメちゃんは可愛い名前、と笑顔を見せた。
混乱した頭が、少し落ち着いてくる。
疑問はたくさんあるが、まずは会社に連絡したい。
「今、何も持っていなくて。スマホか、電話を借りれたら嬉しいんだけど」
「すま……?」
ウメちゃんの言葉が片言であることには気づいていたが、単語が通じていないのかもしれない。
諦めて、有り余る疑問のひとつを投げかける。
「ここは、どこかな」
「伊藤さんのお家。東京だよ」
何故だろう。私には、この場所が東京に思えない。
「その様子からすると、お嬢さんは遠いところから来たのかな」
かけられた声に振り向けば、一人の男が部屋にいた。
その手が伸ばされる。反射的に立ち上がり、その手を取った。
「俺は、伊藤。この家の主だ」
黒いスーツに黒い髪、黒い瞳。全身黒いはずなのだが、纏うオーラが明るいせいか、暗さを一切感じない。
むしろ眩しい、人好きのする笑顔である。頭を下げ、名乗る。
「勝手にお邪魔してしまい、すみません」
「いや、構わないさ。
それより、一体どうしたんだ。呼ばれてきてみれば、こんなに可愛いお嬢さんがいるとは」
「あのね、お姉さん倒れてた。外で倒れてた、だから連れてきた」
「ほう」
不意に持ち上げられる手。そしてそのまま、私の手の甲に薄い唇が触れた。
「何やらお困りの様子とお見受けした。俺でよければ話を聞かせてもらえるかな。レディ」
なんだ、この人は。
掴まれた手から、じわじわと全身に熱が広がる。
「もう、伊藤さんったらまた。困らせちゃダメ」
「それは失敬」
手が離れると、固まっていた体がようやく動き出した。
「さて、本題に入ろう。きみはどこから来て、なぜここにいるのか」
喉に、重い空気が詰まる。私には、それらにほとんど応えることができない。
「……私は、都内に住んでいて、昨日も恐らく自分の家にいました。知らぬ間に何故かここにいて、ウメちゃんに起こしてもらいました。どうしてここにいるのか、私にもわかりません。本当に、何も、わからなくて」
萎んでいく声。これでは、私は怪しい以外の何者でもない。
考えれば考えるほど、訳が分からない。一体、私はどうしてしまったのだろう。
「不思議な状況だな」
「何も覚えてないの?」
「記憶の欠損か、あるいは。見たところ、目立った外傷はないようだが」
ウメちゃんは、こちらに駆け寄り私の手を取る。
「大丈夫、きっと助ける。だから、安心して。私たち、ちゃんの味方!」
沈んでいた心が、引き上げられる。こんなにも優しく接してもらえるなど、思いもしなかった。
しかし、ひとまず通報されるなどという事態にはならなかったが、それでも良い状況とは言えない。
ここに長居する気は毛頭ない。帰り道が分かれば、早々にお暇したい。
それにしても、と改めて、部屋の中を見る。
ウメちゃんはここが東京だと言うが、やはり拭えない違和感がある。
この引っ掛かりは何か。東京でもなく、むしろ、日本とも思えないような。
そう伝えると、ウメちゃんは綺麗な瞳を輝かせて私の手を掴んだ。
「もしかして、外国で暮らしてた?」
なぜ、そのようなことを聞くのだろう。
「だって、日本じゃないみたいって言った。日本から出たことなかったら、言わないと思う」
「その理屈なら、その格好にも理由にもつくな。だが、海外へ渡航する女性なんて珍しい存在を、俺が知らないはずはない」
伊藤さんもウメちゃんと共に推測を広げているが、この格好は至って普通であり、海外への渡航も今時珍しいものでもない。
伊藤さんの言葉の意味を汲みかねたが、小さなパズルのピースは、着々と形を作っていく。
目覚めてから一度も見かけなかった電線、街灯。大きな家なのに置かれていない空調、テレビ。通じないスマホや電話という言葉。
霧に覆われていたような違和感が、徐々に形になってゆく。
「ウメちゃん。今日って、何年かな」
「1884年だよ」
まさか。
笑い飛ばせないほど、力が抜ける。
私が生きている時間は、令和のはずだ。夢であれば、今すぐ誰か、たたき起こしてほしい。
「もしかしてちゃん、日付のほかにも、たくさん忘れてる?」
否定しかけて、止まる。
私は何も忘れていない。そう思っているのに、どうも寝る前のことが思い出せない。ぼんやりと、頭の中に霞がかかっているような。
私の記憶は、正しいものなのだろうか。急に、自分の記憶が疑わしくなった。
私は昨日何を食べたのか、どのような仕事をしたのか、何時に寝たのか。どれもが曖昧である。
「記憶が一部欠落していることは、確かなようだな」
見知らぬ世界、消えた記憶。どうしたら、私は家に帰れるのだろうか。
急に、考えるのが億劫になる。頭がパンクしているのかもしれない。
「ねえ、ここにいよう。ちゃんと思い出せるまで、家がどこか分かるまで。伊藤さん、いいでしょう」
これ以上ご迷惑をかけられないと首を振れば、伊藤さんはやんわりと、私の手を握る。
「きみには、行く当てがあるのか」
問われ、黙る。
信じたくはないが、ここは私の知る場所ではないらしい。簡単には帰れないだろうということは想像がつく。
伝手もお金もない。考えれば考えるほど、絶望的である。
「当てがないのなら、ここにいればいいさ」
なぜ、そんなに軽い調子で言えるのだろう。
「今わかっていることは、きみが困っているという事実だけだ。だが、それは充分手を貸す理由になるだろう」
「私も、手伝う。困ってるときは、お互いサマ」
正直に言うと、ありがたい提案ではある。
ただ、同時に疑念もある。
なぜ、初対面の怪しい私に対して、これほどまでに親切なのか。まさか、他に何か目的があるのではないか。
「遠慮する必要はないが、気になるのなら、ここで働いてみる気はないか。そうすれば、こちらも助かるんだが」
働く、とは。一体何をさせられるのかと、思わず探るような眼になる私に、伊藤さんはくつくつと笑う。
「ウメの先生になってくれないか」
「私の、先生?」
「ウメは、海外暮らしが長かったゆえに、日本語に慣れていなくてな。大分話せるようになったとはいえ、もっと自由に日本語を扱えるようになってほしい。だから、日本語を教えてやってほしいんだよ」
「それ、すごく楽しそう」
話を進める二人に、慌てて口を開く。
「でも、私、人に教えたことは」
「話し相手になってくれれば充分だ。言語の習得は、喋ることが一番の近道だろう」
まごつく私にぐっと近寄る、ウメちゃんの満面の笑み。
「いっぱいお話しよう!」
首を、縦に振る。断れるわけがない。
「Year! これからよろしくね」
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
ゲームプレイ(無料)はプロフィール等からご確認ください。




