帰還編一④_あなたが作った日本の結果を
夜空を見上げる。
丸い月に、無数の星。静岡の地にいても、空は同じだ。
そして、何百年経っても、同じものがある。
「眠れない?」
栄一さんが隣に腰を下ろす。馴染んだ体温を感じたくて、その肩に頭を乗せた。
「僕も眠れないんだ。色々考えちゃって」
二人で空を見上げる。瞬く星は、散りばめられた金平糖のようで。
「パリでみた景色を、覚えてますか」
ホテルで肩を並べて眺めた夜景を、私は一生忘れないだろう。
地面に落ちた星のような、ガス灯と家の灯り。それを見つめる瞳の輝き。
「栄一さんは、自分のやるべきことがわかったと、言っていましたね」
パリで見た蒸気機関車、工場の機械、電話、学校、下水。今の日本にはない、様々なもの。
「それだけが、答えなんだと思います」
栄一さんが、何をすべきか。何をしたいか。
「僕が、何をすべきか……」
「栄一さんなら、何でもできます」
百姓の時も。武士になっても。そして、幕臣になっても。
どこにいても、何者であっても、栄一さんは自身のすべきことを成し遂げた。あなたなら、できる。
「うん、そうだよね。僕は今まで、その時最善だと思うことを、ただやり続けてきた。これからも、それが変わることはないんだ。僕は僕のできることを、僕のやりたいことを、ただ追いかければいい。
慶喜様も、平岡さんも、平九郎も、みんな日本のために頑張ってきたんだ。僕は、立ち止まってなんていられないんだ」
先を進む勇気がある、あなただから。
「日本を良くしていく。それが、僕だけのものじゃない、僕たちの願いだから。
これから何百年先の未来のためにも。きみの生きる、世界のために」
どんな逆境でも前を向ける、あなただから。
「うん、決めた。僕、政府に入ることにする。
僕は、僕の学んだことを日本のために役立てたい。役立てなきゃいけない。日本を、豊かな国にする。それが、僕の目指すところなんだ。
どこまでできるかは、わからないけど……僕なりに、日本のために頑張るよ」
栄一さんが商人として得たお金の知恵や知識、幕臣として得た外国の技術や仕組み。それらは全て、日本のためになるだろう。必ず、彼は日本を変えてゆく。
彼の未来に想いを馳せる。楽しみだなと思う。
「私、栄一さんの作った世界で生きたい」
自然と、口からそんな言葉が漏れた。
「あなたが作った日本の結果を、しっかりとこの目で見たい」
それが、私のやりたいこと。すべきことだ。
今まで目を背けていた世界。好きではなかった世界。
しかし、私の世界は、栄一さんたちの努力が続き、作られたものである。この不便だが温かい世界は、私の生きる世界に繋がっている。
それだけで、誇りを持って生きられる。
不意に、ぐらりと視界が揺れる。この感覚は。
そうか、と理解する。元の世界に戻る方法なんて、簡単だった。
ただ、帰りたいと思えばよかったのだ。
「私も、やるべきことを見つけました。だから、栄一さんも」
頑張って。その言葉は出なかった。
私を苦しいほどに抱きしめる腕。その手は、震えている。
「待って」
そんな声を出さないでほしい。揺らいでしまいそうになるから。
「ありがとう。僕、頑張るよ。未来が、きみの世界が、良いものになるように。きみが素敵な世界で生きられるように。僕の活躍が、嫌でも目に入るくらい、大きな成果を残して見せる」
私は、幸せ者だ。こんな風に言ってもらえるのなら、生きようと、生きたいと思ってしまうではないか。
非現実なように聞こえるその言葉でも、栄一さんなら現実にしてしまえる。栄一さんなら、絶対にできると断言できる。
「帰るんだね」
帰る。元の世界へ。
「帰れるなら……よかった。結局、僕はきみのために何もできなかったね」
首を振る。
あなたは与えてくれた。私には大きすぎるほどのものを。
「私、初めて、頑張って生きてみようって思ったんです」
嫌で嫌で消えてしまいたかった世界。今なら、なんとかなりそうな気がする。
「嬉しいよ、すごく。きみがそう思ってくれることは。でも」
一層強くなる、私を抱きしめる腕の力。
「寂しい。本当は、行かないでほしい。ずっと一緒にいてほしい。僕の隣で、僕を応援してほしい」
星空がぼやける。涙の中で瞬く輝きが、揺らいでは落ちる。
「私も、帰りたくない。でも、帰りたくて、帰らなきゃいけない」
「うん」
栄一さんは、栄一さんの進むべき道を。私は、私の進むべき道を。
道を分かつことが、不幸なことだとは思わない。
なぜなら、この道の先は、こんなにも期待に満ちている。
「きみなら、帰ってもやっていけるよ」
安心する。私はずっと、その言葉が欲しかったのかもしれない。
日が昇る。一日が終わり、そして始まる。
眩しく、直視できないほど輝かしい太陽が、空の色を塗り替えてゆく。
ひらひらと舞い落ちる、季節外れの桜の花弁。顔を上げれば、息をのむほど美しい満開の桜があった。
この世界に来て最初に見た、私たちが出会った時に見た、大きな桜。
ゆく当てもなく、誘われるまま栄一さんの後ろを歩いたあの日。最初から、栄一さんは私の道しるべだった。
あの日が昨日のようにも思うし、ひどく昔のようだとも思う。
一橋家で過ごした日々、江戸への遠征、パリへの渡航。そして、出会った優しい人たち。
この世界で生きることは大変ではあったが、それ以上に、全てが愛おしい。
私は、この世界が好きだ。そして、未来にある私の世界も、きっと好きになる。
あなたが作った世界を、好きになる。
ありがとうございます。
もう声は出ない。目も開かない。
揺れる。落ちる。包み込む、抗えないほどの睡魔。
「行ってらっしゃい」
朦朧とした意識の中で、ごつごつした手を握る。
どうか、幸せに。
最後に、涙が一つ、落ちた。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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