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パリ編二③_貴方様のためなら

 それから、皆それぞれに残りの時間を過ごした。

 ホテルの部屋をせわしなく歩き回る人。気が抜けたように一日中窓の外を見つめる人。誰もが日本に思いを馳せながら、帰るその時を待っていた。


 その中で、栄一さんも、お金のやりくりに勤しみながらもどこか上の空に見えた。

 私に何かできることもなく、落ち着かない気持ちをすこしでも発散しようと、苦いコーヒーを口に入れる。


「渋沢」


 昭武様が、栄一さんの机にそっと手をつく。


「外の空気を吸いたくなりました。共に来てはくれませんか」

「私ですか? 外に出られるなら、護衛の者を……いや、お供させていただきます」


 昭武様は、満足そうに頷き、こちらに目配せをする。私も一緒に、という意味ととらえ、腰を上げた。





「フランスは華やかですね。一年以上経ったのに、目に映るものがまだ目新しく感じます」


 栄一さんは同意して笑う。

 今回の渡航で、今日までたくさん様々なものを学んできたが、恐らくそれは一部に過ぎない。一年や二年で、全て吸収することは難しいだろう。


「何事もなければ、この国でもっと学ぶ予定だったのだが」


 本来、昭武様はここで数年留学する予定だったらしい。

 ぽつりと呟かれた言葉は淡々としていたが、少し、やるせなさを感じざるを得なかった。


「渋沢、あれは何でしょう。甘い匂いがします」


 指さす方を見ると、キッチンカーがある。クレープ屋さんだ。

 誘われるように車に近づくと、バターの焼ける匂いは一層強くなる。


「なるほど、これがクレープというのだね」


 くるりと巻かれた、もちもちの生地。クリームやフルーツの入った派手なものではなく、シュガートッピングのシンプルなものである。


「召し上がりますか?」

「良いのですか?」

「本当は、外でものを口に入れるのはあまり良くないんですけど。私も食べたいので」


 目を輝かせる姿は、初めて、年相応の子どもに見えた。いつも大人びている彼は、普段からどれだけ気を張っているのだろう。


 クレープを3つ注文すると、信じられない量のバターを溶かした生地が鉄板に薄く伸ばされる。あっという間に焼けたそれは手早く巻かれ、できたてが手渡された。

 日光を受けてキラキラと光る砂糖の粒。じんわりと手に伝わる温かさ。


「甘い」


 弾力のある生地に、砂糖のざらついた食感。和菓子のようなほっとする甘さではなく、胸が躍る甘さである。


「美味しいですね。これは、病みつきになりそうだ」


 やはり、甘いものはなくてはならない。

 この世界にも馴染んできてはいるが、やはりスイーツは恋しかった。一口で、何かが満たされる感覚がした。


「渋沢、そしてそなたも」


 クレープを食べる手を止め、昭武様は目を伏せる。


「本当に、すみません」


 頭が下げられる。ぎょっとして、栄一さんと私はクレープを取り落としそうになった。


「昭武様、どうか頭を下げるなどといったことはお控えください」


「いえ、そなたたちには謝罪せねばなりません。このような時期に日本にいられないこと、とても胸を痛めていることでしょう。申し訳ないと、思っています」


「何も、昭武様が謝ることではありません。確かに、今、日本に帰りたいという気持ちはありますが……パリへ来て、多くのことを学ぶことができ、心から良かったと思っているんです。感謝こそすれ、後悔などしていません」


 栄一さんのその言葉に偽りはないと思う。それでも、昭武様はゆるく首を横に振った。

 何も言わず、彼はクレープを少しずつかじる。少しでも、その甘さが彼の背負っているものを減らしてくれればいいのだが。


「恐らく、近いうちに帰国命令があると思います。そなたたちには特に尽力いただきましたから、きちんと謝罪したかったのです」


 最後の一口が、口に入る。


「しかし、そなたたちには、謝罪よりも感謝のほうが良いですね。

 今日まで大きな問題もなく、この地で多くのことを学んでこれたのは、ひとえにあなたがたのおかげです。本当に、ありがとうございます」

「いえ、貴方様のお役に立てているなら、幸せです」


 ふふ、と栄一さんは小さく笑う。


「昭武様は、慶喜様に似ていますね。聡明で知見があり、何事にもひるまない度量があり、優しく、一家臣である私にも目を向けてくれて、信用してくれる。貴方様のためなら力を尽くしたいと、そう思わせるんです」

「私が、兄上に似ていると……そなたには、そう見えるのですね」

「僕、頑張ります。昭武様が何も気にせず思い切り留学できるよう、日本を平穏な国にします」


 ふわっと微笑んだ昭武様の顔は、どこか照れくさそうな、そんな表情だった。





 数日後、正式に日本から帰国命令が届いた。

 相変わらず日本の詳細な状況はわからない。幕臣さんたちは何も言わずに、着々と帰国の準備を進めた。


 栄一さんも、何も言わなかった。ただ、船から岸を見つめるその目には、複雑な思いが滲んでいるように見えた。


 私たちは日本へ帰る。それぞれの気持ちを背負って。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。

ゲームプレイ(無料)はプロフィール等からご確認ください。

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