パリ編一⑥_こんなにも普通が違う
「ねえ、甘い匂いがする。あのお店に寄ってみようよ」
バターが焼ける、魅惑的な匂い。
二人で吸い寄せられるように店に入れば、小さなケーキやお菓子が私を食べてとこちらを見ていた。
購入したクリームたっぷりのエクレアを食べ歩き、甘い幸せに酔う。和菓子も好きだが、やはりクリームとチョコは外せない。
久々に食べたそれは、麻薬的な甘さを全身に染み渡らせる。ほう、と恍惚のため息が出た。
「これ、お土産にできないかな」
「日持ちしないので、難しいですね」
頬についているクリームを指摘すれば、取って、と顔を近づけてくる。手を伸ばしクリームを拭えば、近かった距離がさらに縮まった。
そのまま避ける間もなく、唇と唇が触れる。
「……ここ、外ですよ」
「だって、きみが可愛いから」
楽しそうな、満面の笑み。そんな顔をされては、注意する気も失せる。
「ねえ、あの店は何だろう」
私の手を引く、温かい手を見る。骨ばった大きな手である。
恋人つなぎだと理解すれば、ざわつくような照れくささが胸に広がった。
目に留まったのは道なりにあったブティックのようで、栄一さんは店のショーウインドウを覗き込む。
「この洋服も似合いそうだ。買っちゃおっか」
「服は揃えたので、大丈夫ですよ」
ショーウインドウに映る私たちは、ぴかぴかの洋服を身に着け、異国の地に染まりかけている。久々の洋装は、やはり着物より動きやすい。
「栄一さん、洋服似合いますね」
「そうかな、ありがとう。でも、きみのほうが似合ってるよ。着物もよかったけど、洋服だと一段と可愛い」
言葉にならない声が漏れそうになり、黙る。これは、非常に困る。
しかし。
「楽しい」
心の声が出てきてしまったのかと思ったが、そんなわけもなく、それは隣でつぶやかれた言葉だった。
「こうしてと街を歩けて、すごく嬉しい」
「そんな、大げさな」
「そうでもないんだよ。これは、すごいことなんだ」
どういうことかと視線で問えば、栄一さんは眉を下げて微笑む。
「日本じゃ、男女が2人で出かけるなんてこと、できない。特に、武士はね」
あ、と不意に気付いた。
日本では、二人で外出するときは大抵、栄一さんは私の少し前を歩いていた。
だが、今は、手を繋いで隣を歩いている。
「日本ではできないことだけど、この国では、みんなが当たり前にやってる。こんなにも、『普通』が違う」
当然のものが当然ではない感覚は、いつだって刺激的である。
「良く考えてみれば、どうして男女が並んで歩いちゃいけないんだろう。
不思議だな。今まで特に何も感じなかったのに、今じゃ、どうしても考えちゃうよ。日本のやり方は、間違ってないかって」
コツコツと石畳を踏む、二人分の足音。
「技術を取り入れるだけじゃ駄目だよね、きっと。それで成長するのは、ほんの一部で、持続的じゃない。日本の発展のためには、仕組み自体を変える必要がある。
僕は、やってみせるよ」
その言葉を、実現してほしい。
「おはようございます、ミスター渋沢。そのお洋服、よくお似合いですよ
どこからかやってきていた案内役のお兄さんが、私たちと同じエクレアを手に持ち、私たちにウインクを飛ばした。
「楽しんでくれてますか」
「はい、とても」
ここに来ているのは仕事のためではあるが、少し旅行気分でもある。船旅の辛さなど、既に喉を通り過ぎた。
「あなた方が真っ先に、こうしてこの国に寄り添っていただけること、大変光栄です。一部の方は、洋装に抵抗があるようですが……
これから、日本とフランスはいい関係になりますよ、きっと」
上品で甘い、魅惑のエクレア。日本でこのスイーツを食べられるようになる日は、遠くない。
「お互いのことを、もっと理解するために。まずは、この国のことをたくさん見てもらえたら、嬉しいです」
見ること。知ること。何かを理解するうえで、一番重要なもの。
「今日見ていただくものも、きっと興味を持っていただけると思いますよ。今から向かうのは……」
お兄さんの言葉が途切れたのは、大きな声が聞こえたからである。
通りに目を向ければ、二人の男が喧嘩をしているようだった。
いや、喧嘩ではない。片方が一方的に、男を足蹴にしている。
まるで、その人が人間として扱われていないかのような。
「……あれは」
口の端から血を流して呻くその姿に、思わず目をそらす。栄一さんは足を踏み出したが、お兄さんがそれを止めた。
「助けようなんて、思わないほうがいいですよ」
行き交う人々も、誰も止めようとしない。見て見ぬふりでもなく、まるでそれが当たり前のように。
なぜ、と視線で問えば、お兄さんは困ったように眉を下げた。
「あの男が、そうされて当然の国の人間だからです」
見れば、うずくまる男は、アジア系の顔をしている。
どきりと、心臓が騒ぐ。
察する。あれが戦争に負けた国の人の姿だ。
かつて強大な力を持っていた国も、一度負ければ、諸国と不平等条約を結ばされる。
「負けたのだから、仕方がないんです。あれをかばえば、あなたたちもただでは済まされないでしょう」
負けた国の末路は、これなのだ。
「日本とは、友好的な関係を築いていきたいと、心から思っています」
味のなくなったエクレアを、かじる。輝かしく見えるフランスも、明るい部分だけとは限らない。
「……日本も、こうなってしまう未来が、あるんだよね」
知らぬ間に震えていた体を抱える。そんな未来、あってはならない。
「選択を誤っちゃいけない。絶対に」
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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