パリ編一⑤_ここにいる間だけは
宿は、おしゃれな石造りだった。
どことなく古い洋画を思わせる部屋は、私の心をくすぐるものだった。
「今日は、たくさんのものを見たね」
私はくたくただが、渋沢さんはまだまだ元気らしい。興奮が収まらないのか、部屋の中を落ち着きなく歩き回っている。
「汽車も、工場も、ガス灯も、水道も、日本に取り入れられたら、すごいことになる」
頷いて、ふわふわのベッドに腰掛ける。
「明日も、いろいろ案内してもらえるんだって。万博までに、いろんなものを見ておきたいね。
……案内役のお兄さんも、この国の人みんな、優しい人ばかりだ」
ぴたりと、渋沢さんの足が止まる。
「どうしてだろう。僕、外国の人はみんな乱暴だと思ってた。勝手に、怖い人ばかりだって。
日本を脅かすものなんだって、思ってた」
仕方がないことだと思う。それは、普通の感覚なのだろう。
一歩間違えれば、日本の脅威となることは事実である。ただ、違う側面もあるということだ。
渋沢さんには、その側面が見えていなかっただけである。
「知らないってことは、言い訳にならない。やっぱり、無知は罪なんだ。もっと、知識をつけなきゃ」
渋沢さんが、窓の外に目を向ける。私も立ち上がり、隣に立った。
一面にちらちら瞬く、ガス灯や家の灯り。それは、ネオンのような、強い輝きではない。どことなく漂う、上品さと哀愁。
「すごく綺麗だね。星空が落っこちたみたいに、キラキラ光ってる」
魅入られたように見つめるその黒い瞳に、街の灯りが反射して、きらりと輝く。
そっと、静かに体を寄せた。
「僕、知らなかった。こんなに、世界は広いんだって」
見ている景色は同じ。
だが、見えているものは違う。
「これから僕がやるべきこと……なんとなく、わかってきた気がする」
その遠くを見つめる眼差しを見て、思う。
渋沢さんは、これからどんどん先へ進んでいくのだろう。
そして、日本を変えてゆく。私の世界へと繋がる、未来へ向けた道を創る。
ずっと応援できたら。ずっと、その隣にいられたら。
「……泣いてるの?」
ぼろぼろと、溢れては流れ落ちる。一粒、また一粒。
「渋沢さん」
「うん」
「私、渋沢さんが好きです」
「うん」
「私はこの世界の人間じゃないから、いつまでここにいられるか分からない」
「……うん」
「私は」
未来に、帰らなければならない。
出会ったときから、別れは確定していた。決して、共に生きることはできない。
痛くて、苦しくて、けれど確かに暖かい。どうしようもなく溢れ出てくる感情。
「この先、一緒にいられなくても、何があったとしても。
僕は、きみのことが好きだよ、ずっと。いつまでも、きみの味方だから」
どこにでもあるような、ありふれた言葉。
それでも、これまでの人生で投げかけられた誰の言葉より、温かさを感じた。
どこまでも、真っ直ぐな。この人の言葉だからこそ、受け止められる。
「一緒にパリを見て回って、改めて思ったんだ。きみは僕の知らないものを、未来を、たくさん見てきた。
きみには、僕らの作る未来の世界で、この世界の結果を見届けてほしい」
それが、私のすべきこと。
「きみの帰るべき場所、いるべき場所。それは、ここじゃない。だけど」
渋沢さんの手が、頬に触れる。
「今、きみがここにいる間だけは。僕だけのになって」
未来に帰れば、この瞬間は消える。
時計は止まらない。私の未来と渋沢さんの未来は、同じで、同じではない。
「渋沢さんも、今この瞬間は。私だけを、見てください」
今だけ、この夢が醒めてしまうまでは。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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