京都編一③_一緒に来ない?
「奥さん、本当にありがとうございました」
「かまやしいひん。またいつでもおいで」
十分休ませてもらったところで、奥さんは家を出る私たちを見送ってくれる。
頭を下げて、感謝を伝えた。
「えーちゃん、お嬢ちゃん、無理したらあかんで」
最後まで暖かい言葉を残し、お姉さんは家の中に消えていく。恐ろしい人、優しい人、世の中にはいろんな人がいるものだ。
「似合ってるよ」
突然の言葉に、ぽかんと渋沢さんの顔を見つめる。渋沢さんは、自身の着物を広げ、笑った。
「おそろいだね」
纏った着物を見下ろす。先ほど着替えた、奥様に貰ったものだ。
透き通った海のような藍色。見れば見るほど素敵で、自然と頬が緩んだ。
「さて、これからのことなんだけど」
渋沢さんは、真剣な瞳で私の目を見つめる。
「きみには、家も、知り合いもいない。そして、お金もない。きみは今、窮地に立たされていると思う」
改めて言葉にされると、絶望的である。まさか自分が家なき子になるなど、予想もしていなかった。
「ここは、きみにとって危ない場所になる」
それは、間違いない。この世界は、いつ命を落としてもおかしくない場所。
「だから、一つ提案があるんだけど……」
目の前に、差し出される手。
「僕と、一緒に来ない?」
一筋の風が、通り抜ける。揺れる体、なびく髪。
「僕の仕事場だったら、危ないことは起こらない。きっと、きみの助けになれる」
差し出されたこの手を、取ってもいいのだろうか。
「記憶が戻るまで、家が見つかるまで。一緒にいよう」
黒く丸い瞳が、まっすぐに私を映す。
「きみが1人で行くって言うなら、僕には止める権利はない。でも、僕は、きみについて来て欲しいと思ってる」
目を伏せる。考えるまでもない。私には、このありがたい提案を受けるより他に、生き抜いてゆく術がない。
選択権がないというのは、ある意味楽でもある。あれこれ悩まず、思考を投げ出してしまえばいい。
「……本当に、いいんですか?」
「もちろん」
その即答に、ゆるゆると不安が溶けてゆく。感謝とこれまでの非礼を詫びる意を込めて、頭を下げた。
「よろしくお願いします」
伝えられていなかった、自分の名を口にする。あまり好きではない、この名を。
「うん、素敵な名前だね。
僕は、渋沢栄一っていいます。改めまして、よろしくね」
変わらぬ渋沢さんの笑顔に、なぜか、思わず涙が滲みそうになる。
「そうと決まれば、さっそく行こう」
一度だけ目尻を拭い、渋沢さんの後ろを歩く。
改めて周りを見渡す。古い街並みだ。しかし、古いと言っても、埃っぽさは感じず、木の香りがするような。
「ここって、京都……なんですよね」
「そう、京都の三条。これから向かうのは、僕の仕事場のお屋敷だよ。御三卿のお屋敷だから、安全に過ごせるよ」
昔授業で習った単語が、当たり前のように言葉に含まれている。頭が痛い。
御三卿といえば、何やら大きな家だったと思うのだが。ぱっと思い出すことができない。
「ついてきて欲しいなんて偉そうなこと言っちゃったけど、僕も今は人のお世話になってるんだよね。まず、平岡さんに許可を取らなきゃ」
あれこれ思い出そうとしている私を置き去りにして、渋沢さんは今後についてを計画してゆく。
「大丈夫だとは思うけど、平岡さんが万が一駄目だって言っても、あては必ず見つけるからね。たくさん心配事はあると思うけど、安心して。平岡さんは優しいから、きっと力になってくれるよ。
もちろん、僕もきみに協力する」
ぐっと、喉が詰まる。非常に頼もしい言葉だが、そうであればあるほどに、頷けなくなる。
「どうして、そこまでしてくれるんですか?」
精一杯、警戒の気持ちを出さないように努めたが、声色に滲み出てしまっていたらしい。
渋沢さんはふっと笑って、きみをどうこうするつもりはないと言った。
「放っておけないだけだよ」
この厚意は、親切心だけということなのだろうか。
真偽は定かではない。だが、今は、その澱みない言葉を信じてみようと思った。
渋沢さんの背中に着いて、砂利道を進む。二人分の、ざりざりという足音が、静かな空気にこだました。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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