京都編一②_どうしてこんな目に
家と家の間の細い抜け道を、縫うように走る。
走れば走るほど、不安になる。全く見覚えのない場所ばかりである。
時折すれ違う人たちは、怯えの混じった目をしている。やはりみんな着物姿で、まるでドラマのセットのような。
私だけが、浮いている。
背中に届く足音、場違いな自分。頭がガンガンと鳴る。
がんばって。もうちょっと。時折短く私にかけられる言葉が、平常心を保たせる。
もう限界だ、と思い始めた途端、腕を引いていた男の足が止まった。
気がつけば、私たちは小さな家に転がり込んでいた。
「あらあら、また追われてるん?」
かけかれた声に、思わず身を固くする。障子の奥から、着物の女性が顔を出していた。
「すみません、奥さん。少しの間、匿ってもらえますか」
女性は私を見て驚いたらしいものの、その目に嫌悪の色はないように見える。
まだ、心臓がうるさく鳴っている。息が整わない。日頃からもっと運動しておけばよかったと、しみじみ思う。
「奥に入り」
渋沢さんに目を向ける。
と、渋沢さんは大丈夫だよと言うように笑った。
そっと、中へ足を踏み入れる。家の中を見渡してみると、やはり時代劇に出てくるような家だ。
中でも目を引くのが、所狭しと掛けられている青色の織物。深く吸い込まれそうな青色はとても綺麗で、高そうに見える。
「お嬢ちゃん、そんなに染め物が珍しい?」
目を奪われている私の肩が、お姉さんにぽんと叩かれる。
「すみません、じろじろ見てしまって」
「かまへんよ、これはうちの商売やから」
それを聞いて、ここが染物屋だとわかった。鮮やかに染め上げられた青色の生地が美しい。
「お茶入れるから、いつもの部屋で休んどいて」
「奥さん、ありがとうございます」
通された部屋は、2階の小さな畳の間。渋沢さんと共に、どっと畳へ崩れ落ちる。
畳の匂いに混じる線香の匂い。さっぱりとしているが、住居スペースなのだろうと思う。
「たくさん走ったね。お疲れ様」
頷いて、大きく息をついた。先ほどまでの出来事が嘘のように、静かな空気が流れている。
今更、震え始める体。あれほどの敵意を向けられたのは、人生で初めてだ。
いや、あれは敵意などという生易しいものではない。明確な殺意である。
「……助けていただき、ありがとうございました」
深々と、頭を下げる。この人がいなければ、どうなっていたかわからない。
「気にしないで。最近、ああいう暴力的な人が多くて、嫌になっちゃうよ」
柔らかく笑うその笑顔は、とても人懐っこい。
腰の刀に目をやる。それさえなければ、普通にいい人にしか見えないのだが。
やはり、私を斬ろうとしたあの男の刀は、本物だったのだろうか。
そして、渋沢さんの刀も。
確かめようと思ったが、怖くなったので止めておくことにする。銃刀法違反で捕まらないように祈るばかりだ。
「先程は、失礼な態度をとってしまい、すみませんでした」
もう一度、頭をさげる。警戒していたこの人は、今や、命の恩人と言っても過言ではない。
「ううん。僕も怖がらせちゃったみたいだし」
じっと、渋沢さんの丸い目が私を見る。
「……答えたくなかったら、答えなくていいんだけど」
静かに、ゆっくりと問う声。
2秒、3秒、沈黙の間が体を固まらせてゆく。
「きみは、一体何者なの?」
「…………ただの一般人、のはずです」
息が震える。
私は何者なのか。今までそんなことを問われたこともなければ、考えたこともなかった。ただ、皆と同じように毎日働く一般人。そうであったはずだ。
しかし、今は。
「お待たせ、お茶をどうぞ」
障子が、軋む音を立てて開き、顔をあげる。先程のお姉さんが、そっとこちらを伺っていた。
遠慮がちに部屋の中へ足を踏み入れたお姉さんは、湯呑みを私たちの前に置いてくれる。ふわりと、茶葉の香りを含んだ白い湯気が、体を包んだ。
「よかったら、これ。もらってくれたら嬉しいんやけど」
差し出される、青い布。見れば、それは着物らしい。
「今のお着物も素敵やけど、多分不便やろうし」
その意味を理解して、慌てて首を横に振った。
「そんな、いただくわけには」
「かまへん、かまへんの。可愛い娘さんに着てもらってたら、宣伝にもなるしなあ」
ここに来るまでに見た人たちを思い出す。色とりどりの着物の数々。この場所では、きっとそれが普通の格好なのだろう。
「……ありがとうございます、大事に使わせていただきます」
「助かります。また近いうちに、お礼させてください」
「ええよ、ええよ。えーちゃんにも、ぎょうさんお世話になってるしなあ」
着物を広げる。青色のそれは、シンプルながらに上品で、美しい。
落ち着くまで休んでいってね、と部屋を出るお姉さんに、深く頭を下げる。感謝の気持ちでいっぱいになった。
一息ついて、出された茶を口に入れる。温かい茶の香りに、ようやく気分が落ち着きだした。
「……一体、ここはどこなんですか?私の知っている場所と、全然違います」
目覚めてからというもの、違和感は増すばかりである。着物、草履、刀、一向に見当たらない自分の知る場所。
「きみは、ここがどこだか分からないの? ここは、京都の三条だよ
京都。頭の中で反芻するが、自分の知る京都とは全く一致しない。三条といえば、繁華街の真っ只中ではないか。
こんな場所、私は知らない。
「きみは、京都の人じゃないの? もしかして、誰かに無理矢理連れてこられた……とか」
私は、東京のマンションで暮らしている。昨晩いつものように仕事から帰り、そのまま寝た、はずだ。
だが、どうもはっきりしない。そうであったはずなのに、何か引っかかるような。
「よく覚えてないんです、どうして私がここにいるのか」
「もしかして、記憶がない?」
口を閉ざす。わからない。何も。
記憶が消えているのだとしたら、私が目覚めるまでの間に何があったのか。どこまでの記憶が消えているのか。
それにしても。おかしいのは、私の記憶よりも。
男を見る。着物。刀。舗装されていない砂利道。
目に映るすべてが、変だ。車やアスファルトの道路に電柱、あるべきはずのものがない。
これでは、まるで。
「参ったなあ。思ったより大事みたいだね」
「どうして、こんな目に」
何度目かの溜め息が漏れ出す。
きっと、これは悪い夢だ。疲れているせいに違いない。そうであってくれと、切に願う。
「……きっと、大丈夫だから」
相当ひどい顔をしていたのだろう。渋沢さんは、笑顔を向けてくれる。その笑顔は、ざわついていた心臓を少し落ち着かせたが、それでもこの悪い夢が醒めることはない。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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