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江戸編四④_立ち止まってる暇なんてないよ

 葬儀は、静かに執り行われた。遺体が消えるのは本当に一瞬で、平岡さんだったものは、この世から消えた。


 供えられる花。匂いを放つ線香。

 借りていた筆に火をつける。灰となって舞い上がる、白い煙。


 私、これだけ文字を描けるようになりました。

 届けられない気持ちを、煙と共に空へ消した。





 人が一人いなくなっても、世界は回る。

 屋敷の中の空気は重かったが、庭の血は雨が洗い流し、空を飛ぶ鳥はいつもと同じように明るく歌っている。


 平岡さんは一橋家で重役だったため、しばらくは混乱が尾を引くだろう。渋沢さんはそう言っていた。


 高く飛ぶ鳥を眺める。空も、鳥も、私の時代にいたものと変わらない。

 私のいた時代から、150年ほど前の世界。似ているようだが、違う。


 150年という深い溝。この世界の考え方は、私にとっては異常である。

 ここが令和の世界だったら、こんなこと起こらなかったのかもしれない。


 私の生まれ育った世界を思い浮かべる。もう、鮮明に思い出せる。

 この世界に来る前が、何月何日だったか。その日にどんな仕事をしていたのか。そして、何故か忘れていた、おばあちゃんや家族、会社の記憶。

 気が付けば、消えていた記憶はここにあった。


 全てを完全に思い出したかと言えば、それは分からない。ないものを探すことはできないのだ。

 急に頭から引っ張り出された記憶たちが、質量はないはずなのに、頭に重くのしかかっている。


 思い出した記憶は、良いものではなかった。取り返してしまえば、別に思い出さなくても良かったのではないかと思う。

 記憶を思い出したとしても、私は何も変わらない。私は私のままで、世界もそのままである。


「思い出せば、元の世界に帰れるかもって思ってたんだけどな」


 いつの間にか足元にいた黒猫を、そっと撫でる。艶やかな毛並みが心地良い。


 元の世界には、まだ戻れない。振り出しである。

 絶望的な感情が沸くものの、その一方で、何故か安堵している自分もいる。


「帰りたい……けど」


 お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも、会社の先輩も。帰らずとも、元の世界で私を心配する人はいないだろう。

 記憶を取り戻した今、はっきりとそう言える。

 このままでもいい。そう思うのは、元の世界があまり好きではないからなのか、それとも。


「これから、どうしたらいいんだろうね」


 黒猫は、返事をせずに、ただじっと私の目を見つめる。

 これからどうすべきか。誰か、私に進むべき道を示してほしい。


 不意に、黒猫が踵を返してかけてゆく。庭の外へ飛び出し、あっという間にその姿は見えなくなった。


 名を呼ばれ、顔を上げれば、優しい笑顔がそこにある。渋沢さんだ。

 途端に、きゅっと、胸が詰まるような感覚がした。


「渋沢さん、忙しそうですね」

「まあね」


 こうして日中に話ができる機会も、少なくなった。

 記憶が戻っていることも、なんとなくタイミングを逃し、伝えられていない。いつも私を気にかけてくれて、尽力してくれている渋沢さんに対して、不義理だとは思う。


「平岡さんの分も、頑張らなくちゃ」


 黙ってうなずく。平岡さんがいなくなった影響は大きい。


「……大丈夫ですか」

「うん。僕は元気が取り柄だから」


 そう言いながらも、その顔は疲れているように見える。平岡さんがいなくなったこともあるが、忙しさの理由は他にもある。


 渋沢さんは、幕府の家臣になったのだ。


 というのも、渋沢さんの仕えている慶喜様が、将軍になったらしい。つまり、慶喜様は徳川慶喜となったのだ。

 必然的に渋沢さんは将軍に仕える者となり、幕府の家臣の仲間入りとなった。


「ずっと、幕府が悪いものだと思って、幕府を倒さなきゃいけないと思っていたのに。幕府を倒すために、京都に来たのにな」


 それが180度変わって、自身が幕臣となった。渋沢さんとしては、複雑な気持ちなのだろう。


「仕事を今すぐ辞めるつもりはないけど、これからどうしたらいいのか……わからなくなってきちゃって」


 渋沢さんも、私と同じだった。私たちは、深い霧の中で、進むべき道を模索している。


「外国からの圧も強くなってるし……いつまで、幕府は続くのかな」


 幕府は、近いうちに崩壊する。渋沢さんはそう言っていた。終わりが迫っているものに力を尽くすことほど、虚しいものはない。


「それでも、頑張らなきゃ。平岡さんに呆れられないように」


 平岡さんはいない。しかし、平岡さんの残したものは、ここにある。


「それに、慶喜様は今大変な時期だから。僕が、なんとかお役に立たなきゃ……」


 私たちの会話を遮って、おじさんが渋沢さんに声をかける。渋沢さんは申し訳なさそうな顔をするが、行ってらっしゃいと手を振れば、小走りでおじさんのほうへ向かった。

 離れた場所で話し合う二人を、何気なく見る。会話の内容は聞こえないが、何やらいつもに増して真剣な雰囲気である。もしかすると、何か大きな仕事があるのかもしれない。


 やがて、話が終わったのか、渋沢さんはこちらへ戻って来る。その顔は赤く、興奮しているらしい。

 何の話をしていたのか聞く前に、渋沢さんは口を開いた。


「きみは、外国に行ったことがある?」


 唐突な質問に、一瞬返事が遅れる。私は、数回は海外へ行ったことがあるが。

 私にとって国の外に出ることは決して珍しいものではないが、ここでは違うのだろう。

 渋沢さんは、すごいなあとつぶやいて、目を細めた。


「あのね、僕、パリ行かないかって言われたんだ」


 パリ。この世界では久しく聞かない都市の名前である。


「パリ万博っていうのがあるんだって。日本も、幕府から参列するんだけど、慶喜様の弟君がパリに行くらしい」


 万博という煌びやかな単語が、この世界に不釣り合いで、なんだか混乱してしまう。


「会計係として、慶喜様に指名いただいたみたいで……」


 それは、大抜擢なのではないか。素直にすごいと思う。


「それで、行くかどうか悩んでるんですか」

「ううん。もう、行くって決めた」


 さすがの決断力である。

 その目は、いつもの渋沢さんらしく、まっすぐ前を向いている。過去を見ない、ただ未来を見据えるまっすぐな瞳。


「ずっと、外国を倒さなきゃって思ってた。敵だと思ってた。でも、慶喜様はそう思っていない。僕も、いろいろ学ぶべきなんだ、きっと。

 ちょっと不安だけど……これは、外国を知るいい機会だと思う」


 渋沢さんは、自分の役割、自分のすべきことを見つけることができる。私は、いつもその姿に憧れていたんだろうなと思った。


「そこでに相談なんだけど」


 いつもものをはっきり言う渋沢さんには似つかない、まごついた様子である。

 少しの間をおいて、渋沢さんはおずおずと口を開いた。


「一緒に、パリに来てくれないかな」


 その言葉の意味を理解する前に、渋沢さんは続けて言葉を並べた。


「関東に行った時も、きみがいてくれて助かったし。世話役も何人か必要らしいから、今回もお願いしたいんだ。慶喜様も、きみをパリに連れていくべきだって考えてるみたい。この屋敷で働いてるなら、信頼もあるし、何より仕事のできる人だから。

 それに、きみは僕より西洋事情に詳しいでしょう。僕は外国のこと何も知らないから、よかったら協力してほしい。世話役も船旅も、大変になると思うけど……どうかな」


 じわじわと、胸が熱くなる。

 どうしてか分からないが、心臓の鼓動が早い。


「……いいんですか、私がついて行っても」

「もちろん。きみについて来てほしいんだ」


 悩むこともない。断る理由がない。


「役に立てるよう、頑張ります」

「よかった。ありがとう」


 その笑顔を見て気づく。

 柄にもない。渋沢さんに誘ってもらえて。頼ってもらえて。私は、嬉しかったらしい。


「そうと決まれば、さっそく準備しなきゃね」


 渋沢さんは勢いよく立ち上がる。私の手を引いて。


「いつも、渋沢さんは急ですね」

「だって、立ち止まってる暇なんてないよ」


 いつだって、この人は背中を押してくれている。


「不安もあるけど、とっても楽しみなんだ。海の外は、どんな世界なんだろう」


 私たちは、日本から出てゆく。

 外国を良く思わない人、外国に習おうとする人、全ての日本の気持ちを背負って。


挿絵(By みてみん)

本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。

ゲームプレイ(無料)はプロフィール等からご確認ください。

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