江戸編三⑤_納得できる答えを見つけて
「船から落ちたって言うから、びっくりしたよ」
先に宿に戻った私を迎えた平九郎くんは、ずぶ濡れの私を見て大層驚いた様子を見せた。
だが、私が溺れかけたことは、もう耳に入っているらしい。
十中八九、それを伝えたのは渋沢さんだろう。申し訳なさに、言葉を返すことができない。
「怪我はないんだよね。無事でよかった」
平九郎くんも、渋沢さんも、どうも優しすぎる。
この場から逃げ出したくなる感覚は、何だろうか。どことなく、目が合わせられない。
これほど私の身を案じてくれる人は、元の世界にいただろうか。様々な顔が頭に浮かぶが、思い当たる人物はただ一人。
いつも私のそばにいて、私を大事にしてくれていた祖母。おばあちゃんは、いつでも私の絶対的な味方だった。
会いたい。その慈愛に満ちた声で、もう一度名前を呼んでほしい。
「お姉さん」
声をかけられて、過去に飛んでいた意識が戻る。
「何かあった?」
そんなに顔に出ていただろうか。何かあったことは間違いない。
きみのこと、好きだから。渋沢さんの声が脳裏によみがえり、顔を覆う。
「どうしたら良いのか、わからないんです」
ぽつりぽつりと、船上での出来事を語る。渋沢さんが、私を好きだと言ってくれたことを。
平九郎くんからすれば、こんな話を聞かされても困るだけかもしれない。しかし、口からは言葉が零れ落ちてゆく。
「そっか。栄一兄さん、想いを伝えたんだね。
お姉さんが困っているのは、どうしてかな」
彼のことは嫌いではない。だからこそ、参っているのだ。
覆い隠すのが困難なほどの、嬉しいという気持ち。
それでも。
「私は、ずっと渋沢さんの側にいられる約束はできません」
だから、望んではいけない。
「え、お姉さんはどこかに行っちゃうの?」
いずれ別れるのであれば、好きになどならないほうが良かった。分かっていたはずなのに。
「そう、これから一緒にいられないなら、辛くなるもんね。気軽に気持ちに応えられないのも、理解したよ」
渋沢さんも、それをわかっている。だから彼は返事はいらないと言ったのだ。今は、気を遣わせることすら辛い。
「お姉さんは、優しいね。そうやって悩むのは、栄一兄さんを大事にしてるからだもん。
兄さんを、傷つけたくないんでしょう」
「…………」
「受け入れるのも、拒否するのも、きみの自由。お姉さんが納得できる答えを見つけて。お姉さんの気持ちを、一番大事にしてほしいんだ」
誰か、こうすべきだと進むべき道を示してほしい。私は、私の気持ちが分からない。
「焦って答えを見つけようとしなくていいよ」
あやすような響きの声に、さざ波だっていた胸が、静まってゆく。
「僕の個人的な意見としては、栄一兄さんじゃなくて僕を選んで、僕のお嫁さんになってくれたら嬉しいけどね」
冗談めかした言葉に、自然と笑みがこぼれる。平九郎くんは、場を和ませることが本当に上手い。
「どんな道を選ぶとしても。僕は、お姉さんの幸せを祈ってるよ」
じわりと、胸が熱くなる感覚。
進みべき道は見えない。まだ心は揺れている。それでも、心のモヤは少し晴れたような気がする。
今はまだ、うだうだしていられない。まだ、与えられた仕事があるのだから。
「お待たせ、戻ったよ」
軽快な足音と共に、渋沢さんが走り寄る。船員さんたちと込み入った話があったようだが、それは終わったらしい。
「漁師さんたちが、この村の人に声をかけて、一橋家の家臣になってくれる人を探してくれるって」
花が咲く笑顔とは、このことを言うのだろう。
「よかったね。この調子で、どんどん仲間を集めていこう」
渋沢さんは、どんどん前へ進む。今はまだ、その背中を追いかけることしかできない。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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