江戸編三③_私なんて
「すごい、こんなに鯛が捕れるなんて」
船の上には、何匹もの鯛が、日光を受けてその鱗を光らせている。
書生さんに誘われて、今日は漁を見学させてもらっているのだ。揺れる船で、網を巧みに操る技術には感服する。
「まだまだ、こんなものじゃないですよ」
お兄さんが、海に投げていた網を引き揚げる。大きな網には、大小さまざまな魚が捕らえられていた。
「私たちはずっと、海の上で網を投げてきました。あなたたちの刀が、私たちにとっての網なんです。私たちの捕る魚は、この町の重要な食材ですから、魚が捕れないと、途端に困る人がいる」
ぴちぴちと、船上で鯛が跳ねる。
「私たちだけではなく、野菜や穀物を育てている皆も同じです。それぞれがそれぞれの誇りを持って、毎日生活しています」
日本を作っているのは、武士だけではない。彼らは、知ってほしかったのだろう。
「とてもご立派なお仕事だと思います」
渋沢さんは、それを分かっている。武士になるまで、同じ立場だった渋沢さんだからこそ。
「渋沢さんの家では、藍を作っていたんですよね」
「うん。藍を作ったり、買ったり、売ったりね」
「……渋沢さんのご家族は、どんな方ですか」
「父様は、厳しくてしっかりした人。母様も姉様も妹も、みんなしっかり者だね」
そう語る渋沢さんの顔は明るく、家族とはいい関係を築いていたのだとわかる。
ならば、どうして家を出たのだろう。
以前から疑問ではあったが、聞けなかったこと。顔に出ていたのか、渋沢さんは軽く笑った。
「僕、外国人を追い払うべきだって、攘夷を進めるべきだって思ってたから。家のことを放り出して、無理を通して京都に出てきたんだ。
父様には、最後まで反対された。まあ、力づくで攘夷をしようとしてる子供を、笑って見送れるはずはないよね。結局、理解は得られなかった」
親としての心は、少しばかり理解できた。渋沢さんは、大切に育てられてきたのだろう。
「僕が騒ぎを起こせば、家にも迷惑がかかることになる。だから、勘当してもらって、家とは関りがないって言えるようにしたんだ」
渋沢さんは、確固たる信念をもって、家を出た。そして、害が及ばないよう、家族と距離を取った。
ただ逃げただけの私とは、違う。
「別れ方もあれだったから、全然家には帰ってない。心配をかけたことも謝りたいけど。僕が家に帰ると迷惑をかけるから、帰れない。
僕は、武士だから」
町人と武士の隔り。家族が受け入れたとしても、周囲にとってはそうでないかもしれない。
「早く、帰れるようになったらいいですね」
会いたいのであれば、会えるうちに。
「……きみも早く家族に会えるように、願ってるよ。必ず、帰り道を見つけるからね」
周りの漁師さんたちには聞こえないよう、そっと呟かれる。
私を気遣った、優しい言葉。優しいほどに、それが苦しい。
「……私は、家族に会いたいとは思っていないんです。一緒に暮らしてもいなかったし、私の家族も、私がいなくても困らないと思います」
話していく間に、どんどん黒いものが胸の中に湧き出してくる。気づいてはいるが、それを抑え込むすべを私は知らない。
「仕事も、私一人いなくても大した影響はありません。私の世界には、私を必要としているものは一つも」
帰りたい。帰らなければならない。
それは、本当に?
「ねえ、もしかして、記憶が」
渋沢さんの声にはっとして、顔を上げる。今私は、何と言ったか。
ぼんやりとして思い出せなかった、家族の記憶。今は、もやがかかっているような感覚はあるものの、少しばかり輪郭がはっきりとしている。
私にはどこかよそよそしい両親。隣に並ぶこともできない優れた兄たち。
なんとなく、これ以上思い出したくなくて、首を横に振った。
「そっか」
光る水面を見つめる瞳は、ゆらゆらときらめいている。
何故か、目をそらすことができない。
「元の世界で自分がいなくても大丈夫って、は思ってるみたいだけど」
波の音に同調するような、包み込むような声。
「僕は、そう思わないな。きみは物知りだし優しいし気が利くし、周りにいい影響を与えていたんじゃないかな」
そんなことはない。私は、それほどできた人間ではない。
「きっと、気が付いていないだけ。きみは、必要な存在だよ。この世界に不必要な人間なんて、いないんだから。
もちろん、僕も……きみが必要だって、思ってる」
船が揺れる。
ぐらりと、不安定に。
「私は、誰かに必要とされるような人間じゃない」
なんだ、つまらない。出来損ないが。
それは誰の言葉だっただろう。頭が痛い。
「私なんて」
いなくても良い。
そんな言葉は、肩を掴まれた驚きで止まった。
「そんなこと言わないで。きみが自分のことを否定したら、悲しいよ。だって……」
揺れる船。騒がしい波の音。
「僕、きみのこと」
その言葉を聞いていけないと、微かに本能が叫ぶ。
「好きだから」
冗談だと笑い飛ばせないほどに、真っ直ぐに私を映す瞳。どのように反応するのが正解かわからず、ただ立ちつくす。
私は、その気持ちに応えられない。たとえ、私の心がいくら渋沢さんに傾いているとしても。
私は、この世界の人間ではないのだから。
「急に、ごめんね。事はいらないよ。
でも、僕がのことを好きだって、知ってほしかった。それだけなんだ」
言葉にするということは、ある意味残酷なものである。形になってしまえば、見て見ぬふりをできなくなってしまう。
「きみを必要としている人は、たくさんいる。少なくとも、僕はを求めてる。それを、忘れないで」
言い聞かせるような言葉に、曖昧に頷く。
ざぶんと、波の音がする。網が引き上げられたらしい。
得意げに大きな魚をこちらに向けるお兄さんに、渋沢さんは駆け寄った。
「きみもおいで」
眩しい太陽に負けない笑顔。いつも通り変わらない、温かな。
変わらない。
そのはずなのに、あらゆるものが、確実に変わってゆく。
本作はノベルゲーム原作を小説版に書き下ろしたものです。
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